民族の虐殺者とのパイプ役を誇る「日本ミャンマー協会 渡邉祐介氏」の驚くべき論考 ―日本の支配者階級の底なしの劣化を示す鉄面皮な言説
- 2021年 6月 3日
- 評論・紹介・意見
- 日本ミャンマー協会野上俊明
アジア・パシフィックにおける定評ある外交誌「The Diplomat」(5/26号)に掲載された「ミャンマー問題で、日本は率先垂範しなければならない」(On Myanmar, Japan Must Lead by Example)と題する論考は、ミャンマー内外の圧倒的世論に敵対するものであり、安倍政権以来顕著になった日本の外交政策における右派的な潮流の本音をさらけ出すものになっている。
筆者である渡邉祐介氏の「日本ミャンマー協会」における肩書は、事務方トップの「常務理事・事務総長」となっている。しかも「協会」の創立者であり、氏の父親でもある渡邉秀央氏が、創立以来会長職にあることからみて、親子で「協会」を牛耳っているとみて間違いなかろう。「協会」には日本の政官財各界の名士が役員に名を連ねているが、これは日本におけるミャンマー案件が官民一体の重要プロジェクトであることの反映である。祐介氏の父親の元国会議員の渡邉秀央氏は、2011年以来「日本ミャンマー協会」を率いて、「ティラワ経済特区」の実現をはじめODA案件を裁くフィクサーとして、日本財団の笹川陽平氏とならんで、つとにその筋では実力者として名を知られた人物である。渡邉祐介氏の本論考の居丈高な論調には、親の威光を背にものを言う風が感じられるが、それが期せずして戦前からの日緬両国関係の裏面史を垣間見させる結果になっている。
氏のこの論考の主旨は「日本は、欧米の軍事政権打倒政策に盲目的に同調するのではなく、国軍と米国や民主主義諸国との橋渡し役としての役割を果たさなければならない」というものである。その限りでは、一見従来の日本の二股外交、つまり国軍にもスーチー政権にもいい顔をして、日本の経済的な権益を確保し、かつミャンマーが中国寄りになるのを防ぐとする方策と大差ないようにみえる。しかし問題は、「伝統的な」日本外交を展開する条件が、2月1日の国軍クーデタによって激変したことを氏は無視していることである。国軍クーデタは、2016年以来国軍と民主派との勢力バランスを保たたせていた2008年憲法の枠組みをみずから破壊してしまった。その結果、民主派勢力が合法的な政治の舞台から消えることになって、日本の二股外交が成立する条件が失われたにもかかわらず、渡邉氏はそれを見ぬふりをして国軍との関係を維持せよとしている。これでは西側諸国との橋渡しどころか、一方的に国軍に肩入れすることによって西側諸国とのつながりをみずから断ち切ってしまいかねない立場に追い込むことになる。
そもそも国軍、しかもこの期に及んでそのトップのミンアウンライン将軍との太いパイプを誇示するとは、いったいいかなる神経をしているのであろうか。ミンアウンライン将軍とは、2016年にロヒンギャ族に対する無慈悲な掃討作戦によって大量の死者と70万人のエクソダスを引き起こした張本人ではないか。この暴挙においてNLD政権からも批判を受けなかったこと――いやそればかりか「国際司法裁判所」でスーチー国家顧問は国軍擁護の陳述をした――が、国軍の成功体験となって今回のクーデタを引き起こしたのであろう。国軍によるクーデタ抗議者800名以上の実弾射殺、暴行、放火、略奪に世界は驚いたが、ロヒンギャ・ジェノサイドにおいてはそれに加え、焼き討ちと婦女子へのレイプが大規模に行われたのだ。近年二度にわたってミャンマー国民を敵に回し、戦争行為を仕掛けてきた張本人が、誰あろうミンアウンライン将軍その人なのだ。
しかも渡邉氏は、国軍トップとの関係はたんなるパーソナルなものではなく、戦前からの歴史的背景に裏打ちされた地政学的な重要性をもつものだという。ここでは詳しく述べる余裕はないが、1950年代半ばの戦後賠償から復活した旧ビルマとの外交関係は、1962年のネーウイン将軍のクーデタ以降本格化する。民主化勢力が合法化した2010年代半ば、ミャンマーへのODA、なかんずく円借款を再開するにあたっては、日本はまず5000億円近くの日本への累積債務を帳消しにしなければならなかった。ネーウイン軍部独裁に対する巨額のODAは、ミャンマーの近代化にも民主化にも何の貢献もせず、独裁の延命に手を貸しただけに終わった。日本国民の血税が無駄に使われたのである――1980年代、ビルマは最貧国家に転落し国民は圧政と貧困に苦しむなか、ネーウイン一族は夏のバカンスで毎年ヨーロッパに長期滞在したという。日本とミャンマーの二国関係の歴史的背景を言うのなら、その影の部分にも目を凝らさなければならない。日本軍国主義に歴史的淵源を有するとミャンマー・ミリタリズム(軍部独裁)と日本の右派勢力との親和性がいかほどのものか、渡邉氏の論説からうかがい知ることができる。今私が述べたことを、渡邉氏の論理で言い換えると次のようになる。
「戦後のミャンマーと日本の特別な関係は、歴史的な個人的な結びつきを中心とした、地政学的なプラグマティズムに後押しされてきた。実際、独立したミャンマーは、インド太平洋における日本の不可欠なアンカー(橋頭堡)として、日本の永続的な地域利益に貢献してきた。・・・戦後すぐに特別な関係を再開したことで、敗北した帝国(日本のこと―筆者)は、この地域の主要な経済的後援者としてインド太平洋に真っ先に戻ってきた。1962年にネーウィン将軍の軍事政権が誕生した後も、東京は戦前の日本との関係を利用して、社会主義国として孤立しつつあるビルマとの戦略的関係を構築し、経済的な支援を行なった。新しい日本とミャンマーの特別な関係は、民主主義運動から軍事クーデタに至るまで、ミャンマーの国内変革のその後の変遷を乗り越えてきたのである。このように日本は一貫して東南アジアの国の指導部への独占的なチャネルを維持してきた。これには、私とミンアウンライン将軍との個人的なつながりも含まれる」
ものは言いよう、新旧の独裁者との腐れ縁も、日本の東南アジア外交の貴重な財産として評価せよというのである。4月初めに実施された日欧米商工会議所による合同調査では、ミャンマー国内で事業を展開する外資系企業へのアンケート(回答した372社中182社は日本企業)によれば、半数の企業が50%から75%の事業縮小を考えているとした。その後二カ月たっているので、撤退すら考える企業も増えているであろう。国軍支配のミャンマーを企業活動にとって好ましいところと考えるのは例外中の例外であろう。しかしそれにしても国軍による経済支配の実態を、日本の政府系シンクタンクや大学の研究者たちは正しく日本の世論に伝えてこなかった。産業インフラのうち電源開発が遅れているために、進出企業にとって電力供給が操業のネックになることは火を見るより明らかだったのに、都合の悪いことは表沙汰にしなかった。国軍系コングロマリットとクローニーによってゆがめられた経済構造においては、彼らにとって濡れ手に粟の、宝石(ヒスイやルビー)や銅・スズ、天然ガスなどの採掘産業に重点がおかれ、製造業を育てるための産業基盤整備や生活インフラは後回しにされた。東南アジアでも屈指の資源大国であるにも関わらず、いや資源大国であるがゆえに「資源の呪い」に冒され、GDPがいかに増大しても、民生部門が豊かになる仕組みにはなっていなかった。国軍支配が続く限りやらずぼったくり経済の仕組みは変わらず、農業セクターの底上げや分厚い中産階級の育成にはいまだつながっていない。「日本は、ミャンマーを最終的に安定した民主主義へと変革するための基礎として、ミャンマーの経済発展に引き続きコミットする」としているが、経済発展と民主主義は別物ではない。政治・社会構造の民主化と併行して、国軍やクローニーに特権的な利益を保障する経済構造そのものの民主化をミャンマーは必要としているのである。
ところが渡邉氏は、民主化への敵意もあらわに白を黒と言いくるめるのである。
「日本と対照的に、西側諸国はミャンマーの民主主義の未来のためと称して軍事政権転覆という疑わしい戦略を、自らの利益のために不断に追求してきた. このようなアプローチは、せいぜいミャンマーの歴史に対する無責任な無視と、最悪の場合、取り返しのつかない戦略的愚行を反映している。 実際、過去10年間のミャンマーの民主化の取り組みは、ミャンマーの民族的緊張を意図せずに激化させ、皮肉なことにアウンサンスーチーとの新たな関係のおかげで、中国はその影響力を劇的に拡大することさえできたのだ」
西側諸国からの厳しい制裁にあって窮地に陥り、中国をミャンマーに呼び込んだのは、タンシュエ独裁政権であって、スーチー政権ではない。パイプラインの建設もチャオピュー港を建設し、インド太平洋への中国の出口を整えたのもテインセイン政権であって、スーチー政権ではない。また少数民族との和平交渉をとん挫させ、一部で戦闘を激化させたのもミンアウンライン国軍であって、スーチー政権ではない。渡邉氏は民主主義とか民主化とか気軽に言うが、そもそもその言葉がどんな現実を指しているものか理解しているのであろうか。国民の多数の意思を尊重し、その線に沿って政策を整え実行していくのが民主主義であろう。2月1日以来ミャンマー国民の圧倒的多数がクーデタに反対し、スーチー氏ら民主派の政治家の釈放を求め、民主主義体制への復帰を熱望して、全国津々浦々で反軍闘争に参加している。この民意の動きに敵対しては、経済発展も民主主義もむなしい言葉遊びに過ぎない。それにしても渡邉氏は正規軍が丸腰の市民を無差別に殺戮する事態に対し、人間としてまったく心が動かないようである。こうした権力志向の強い人間類型の人が、正々堂々と外交世界で論陣を張るというところに現代政治の危機が露呈している。
「日本はミャンマーの危機において模範的なリーダーシップを発揮し、最終的には平和と究極的な民主化に向けたより大きな経済協力のために、国軍との特別な関係をさらに強化する方針を堅持すべきである。ワシントンと東京が民主的なミャンマーへのコミットメントを新たにするなかで、日本は自由で開かれたインド太平洋のために、ミャンマーの軍事政権を導くという歴史的な使命を自覚し、米国や他の民主的な同盟国の行動との違いがあっても臆することなく行動しなければならない」(太字は筆者)
崇高な使命を謳うかのごとき外観を装い、驚くべき暴言を発しているのである。ミャンマー国軍との太いパイプを武器に、支配階級のフィクサーにのし上がった人物がここにいる。我々は、ミャンマーと日本両国民の友好のためにもミリタリズムの妖怪の跳梁をこれ以上許してはならないのである。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion10965:210603〕
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