NHK文書開示請求訴訟が問うもの
- 2021年 6月 15日
- 評論・紹介・意見
- 澤藤藤一郎
(2021年6月14日)
本日、NHKと森下俊三(経営委員長)の両名を被告とする、NHK文書開示等請求事件の訴状を東京地裁に提出した。訴訟の概要は、以下のとおりである。
原告は、NHKの視聴者104名。文書の「開示の求め」手続に着手後2か月を経ていまだ開示を受けていない者
被告1 NHK 文書開示義務の主体
被告2 森下俊三(経営委員長) 文書開示拒否の責任者
請求の内容 (1) 受信契約に基づく文書開示請求
(2) 不法行為損害(慰謝料+弁護士費用)計2万円の賠償請求
その後の記者会見で、私は2点を強調した。
まず、第1点。
この事件で問われているものは、何よりもNHKの最高機関における意思形成についての説明責任のあり方である。あるいは、意思決定プロセスの透明性の確保についての経営委員らの認識。
放送法41条は、「委員長は、経営委員会の終了後、遅滞なく、経営委員会の定めるところにより、その議事録を作成し、これを公表しなければならない。」と定める。にもかかわらず、2018年10月から11月にかけての3回の経営委員会議事録はいまだに、公表されていない。
これまで、森下俊三やNHKの幹部が、「議事録を公開できない」「議事録の非公開も許される」としてきたのは、「非公開の約束の会議だから公表できない」「これを公開すれば、今後忌憚のない意見交換ができなくなる」ということ。とんでもない。その認識自体の誤りが糺されなければならない。
非公開でなくては意見を言えないという経営委員やNHK幹部にも猛省が必要である。公共放送の報道の在り方や、それを支える体制のあり方についての議論は、一国の民主主義の帰趨に関わる。明らかに、放送法は経営委員の説明責任を求めている。議事録を公開することによって、それを担保しようとしている。例外は最小限とすべきが当然ではないか。
誰がどのような発言をし、どのような議論を重ねてNHKの方針が決まったのか。誰が責任をもつべきか、どのような教訓が引き出せるのか、そのことが議事録の公開で初めて明らかになる。それが非公開でよいはずはない。議事録の開示を命じる判決は、NHK経営委員の説明責任のあり方を明確にするだろう。
そして2点目。
問題の議事録には、経営委員会の上田NHK会長に対する厳重注意の経過が記載されているはず。厳重注意とされた理由はガバナンスの不備である。経営委員会がいう「NHK会長のガバナンス」とはなんぞや。
NHKの番組「クローアップ現代+」で放映された、「かんぽ生命保険不正販売問題」について、郵政側はNHK会長に番組制作の現場を押さえこむよう期待した。しかし、NHKの番組制作現場は郵政との交渉において、一貫して「NHKでは、番組制作と経営は分離している。番組作成に会長は関与しない」と説明している。
「番組制作と経営は分離している」ことは報道機関のあり方として当然ことではないか。だが、日本郵政側はこれに納得しなかった。「放送法上編集権は会長にある」との立場で、NHKのガバナンスのあり方を問題としたのだ。つまり、郵政側が言う「NHKのガバナンスのあり方についての不満」とは、「かんぽ生命不正販売報道」を黙認し、その続編放映を中止させないNHK執行部の姿勢についての不満にほかならない。
ガバナンスとは、経営陣がしっかりと番組制作現場を押さえ込んでかつてな報道をさせないこと、なのだ。そりゃなかろう。これは、NHKだけの問題ではない。すべてのマス・メディアに通有の問題ではないか。あるいは、すべての企業の経営陣と、自律的に伸び伸びと働いている現場とに通有の問題なのかも知れない。
経営陣は、あるいは組織トップは、いざというときは防壁となって現場を守らなければならない。経営に、外部と一体となって報道現場を攻撃することに加担せよ、というのが森下流のガバナンスだったのだ。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.6.14より許可を得て転載
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〔opinion11015:210615〕
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