ジュールス・ボイコフ×宇都宮健児 『犠牲の祭典―オリンピックの真実』の動画をみました
- 2021年 6月 26日
- 評論・紹介・意見
- オリンピック米田佐代子
「オリンピック狂騒曲」は、開幕一か月前の今からもう頂点に達しています。「無観客が望ましい」という尾身さんたちの「提言」は無視されて、観客は上限1万人、開会式はそれに加えてかの悪名高きバッハIOC会長以下「五輪貴族とそのファミリー」や「スポンサー枠の関係者」のためにもう1万人を入れるというのですから、それはもう「コロナさん、どうぞきてください」というようなものではないか。菅首相は「ワクチンさえ打てば安全」と思い込んでいる(フリ?)らしいが、その接種率だって「2回済み」のひとはまだ1割にも満たない。おまけに来日したウガンダのオリンピック選手団は「ワクチン2回接種」してきたのに陽性者が発生。これはある意味当然で、ワクチンは絶対にコロナにかからない「お守り札」ではありません。いや感染しても無症状で、かえってひとにうつす心配もあるとか。ワクチン打ったら「もう何をしてもだいじょうぶ」などということもあり得ない。大会組織委員会は「会期中に緊急事態宣言になったら無観客も」といったそうですが、大体緊急事態宣言を出す立場の政府が「何が何でも有人でやる」方針なのだから、宣言なんて出すわけないじゃん。
この「何が何でもオリンピック」暴走を、勝算もないまま無謀な「玉砕」作戦をすすめ、敗戦を目前にしながら「国体護持」のため沖縄地上戦に突入した戦時下の「大日本帝国」になぞらえる指摘があり、あのときウソ八百の「戦果」を宣伝した「大本営」そっくりだという方もいます。わたしのみるところ今の政府・組織委員会は「ウソ」さえつかず、上限1万人の観客に加えて「IOCやスポンサー企業の要求を断われないから」と1万人入れるというのだから、「東京(日本)はIOCの植民地になった」と言われても反論できない。じゃあ、なぜこういう事態になったのか。「コロナ」のせいでこうなったのでしょうか。コロナがなければオリンピックは「正義と平和の祭典」として世界的にも日本国内でも熱狂的に歓迎されるはずだったのでしょうか。
そう思うこと自体がオリンピックに対する幻想であり、「虚構」に過ぎないという批判がやっと日本にも広がってきたことを、先日このブログで書きました。わたし自身オリンピックが毎回わいろで誘致され(今回の東京オリンピックにたいしてもJOCの前竹田会長が巨額な買収資金を動かした疑いをもたれています)、電通をはじめとする巨大企業の食い物になっていることは以前から知っていました。それは、オリンピック発祥の時からついて回った構造であることを、図書館の順番待ちで借りた3冊の本で勉強したのです。その3冊と言うのは、ジュールス・ボイコフ『オリンピック秘史』と『オリンピックに反対する側の論理』、ヘレン・ジェファーソン・レンスキー『オリンピックという名の虚構―政治・教育・ジェンダーの視点から』です。
そして6月13日に行われたボイコフ氏と、ネットで「オリンピック中止署名」をよびかけ43万という署名を集めた宇都宮健児氏による『犠牲の祭典―オリンピックの真実』という動画をやっと今日、それも2時間もかかるのでお二人の話の部分だけですが視聴しました。すごく説得力がありました。特にボイコフ氏は2019年に来日して福島を訪問、「東京オリンピック誘致の当時の安倍首相は福島原発事故は<アンダーコントロールされている>と言って支持を獲得し、<東日本大震災と原発事故からの復興>というスローガンを掲げたが、それは現実と大きく乖離している」ことを指摘され、さらにコロナがもたらした世界的な貧困と格差の拡大にオリンピックが拍車をかけているという現実を直視すべきだと明快に発言されました。それは彼の著書によれば「オリンピック反対は資本主義の構造そのものへの批判にならざるを得ない」のだと言うのです。動画の中で宇都宮さんが「そこまで考えていなかった」と反省の弁を述べておられましたが、日本国内でもコロナがなければオリンピックをほめたたえていたかもしれないという感情は根強くあると思います。
レンスキー氏の著書は『ジェンダーの視点から』とあるように、オリンピックが女性を排除したところから出発し、ようやく与えられた役割が「女性は(競技者ではなく)応援者」という位置づけであった歴史から説き起こし、さらに「植民地化ツール」としてのオリンピックの役割にも説き及んでいます。だからボイコフ氏は「オリンピックは今や政治的争点だ」と言うのです。彼がもとサッカーのオリンピック代表だったことは知られていますが、その経験を論理として提起したことはすごい、と思いました。
オリンピックで活躍するアスリートたちには激励を送りたい。しかし、オリンピックを頂点とする(と思われている)スポーツの世界でこれまで繰り返されてきたセクハラやパワハラ、出身校による差別等々をみれば、「純粋なスポーツマンシップ(これも男性名詞だよね?)」の虚像はもはや存在しない。今回のオリンピック開催問題でも、本来なら生命の危険を感じているはずの現役アスリートたちからの発言が殆ど出ないということは、尾身さんのような専門家でさえ政府の方針に反する発言をすればどうなるかを見せつけられたらものが言えるわけないでしょ、と思ってしまう。「五輪ファシズム」「オリンピック産業」と呼ばれるこの世界的プロジェクトを「コロナがなければ歓迎したのに」と言えるだろうか?
かくて6月6日に「ワクチン2回接種済み」でそろそろ抗体ができるはずという「恵まれた条件」のわたしも、7月23日以降東京の街なかには絶対出て行かない、オリンピックもテレビででも見ないゾ(もともとテレビのスポーツ番組はほとんど見ない)、と「はかない抵抗」をしようと思っています。せめて7月4日の都議選では、「オリンピック中止」を公約する候補者を探そう。
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