ローカル・テクノロジー論―収奪技術から還流技術へ―
- 2011年 6月 29日
- スタディルーム
- 石塚正英
世に言うローテクとは、旧式の技術のことをさす。そうであるなら、あらゆる技術は開発当初はハイテクであっても、遅かれ早かれローテクになりさがる。ハイテクとローテクについて、そのような定義をしたのでは、2つの言葉に固有性が生まれない。
私は技術を自力=ローテクと他力=ハイテクの2つに区分する。停電しても関係なく動く技術:人力車・人力発電などは自力技術である。それに対して、停電したら動かない技術:電気・電子製品一般は他力技術である。あるいはまた、身体の(自然な)動きを維持し補強する技術ならローテクであり、反対に身体の(自然な)動きとは相対的に別個の動きを作り出す技術ならハイテクである。
動力で分類すると、自転車に代表される人力(物理的)機械はローテクで、電気洗濯機・冷蔵庫などの電動(電気的)機械や携帯電話・デジタルカメラなど電子(IT的)機器はハイテクである。そのほかのエネルギーでみると、自然力(太陽エネルギー・水力・風力・火力など)はそれのみであればローテクに関係し、電気力(電磁誘導によるエネルギー)や原子力(核融合および核分裂によるエネルギー)はハイテクである。
おおきく概念区別をすると、ローテクは人の不健康と苦痛を軽減し心を豊かにする。それに対して、ハイテクは人の健康と楽しみを増幅しモノを豊かにする。どちらも大切であるが、技術の基礎はローテクであろう。優れた技術は永続的にして普遍的なのである。
けれども、技術にはロー・ハイ2種にくわえ、もう一つある。地域に根ざした技術という意味でのローカル・テクノロジーである。これは上記2種の技術ロー・ハイのいずれをも取りこむ。地域にとって相応しい技術であれば、ローもハイも併用し、ドンドン取り込み、ユニット(結合)し、アマルガム(融合)にする。それが、資源問題と環境問題の壁にはばまれている21世紀人の選択するべき技術革新というもの。資源の地産地消に資する技術を確立しようではないか。
たとえば、かつて農山村において粉引きなどの動力に用いられた水車は、現在ではマイクロ小水力発電に転用されている。都会の駅では、改札口を通過する乗客が踏む圧力で電気をおこしている。いずれもロー・ハイのユニットである。あるいは、伝統的建築技術で建てられた木造家屋のいくつかは、数百年の風雪に耐えて現存している。例えば雪国高田(現上越市)にのこる町家(屋号「大鋸町ますや」)は慶応4年から明治元年にかけて建造されたが、多少の補強を経て今もしっかりしている。昭和後期に建てられた近代的工法の家屋より長持ちするであろう。雪国ならではの技術がここかしこに活かされているからである。そのようなロー・ハイのユニットこそ、エネルギー自立(サスティナブルな地産地消)を取り込んだローカル・テクノロジーなのである。
原子力はもはやダーティ・エネルギーである。CO2が温暖化の元凶であるとする政府の原子力政策は叩きのめされた。とはいえ、既存の化石エネルギーや自然力エネルギーのいずれかをやみくもに否定するのは一面的であろう。地域の事情を勘案してハイブリッド・エネルギー、ローカル・テクノロジーで臨みたい。
*詳しくは以下の論文を参照、石塚正英「ローカル・テクノロジー論―収奪技術から還流技術へ―」、『東京電機大学総合文化研究』第7号、2009.12
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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