書き写していると
- 2021年 7月 9日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
本を読んでいて、気になるところには線を引いたり、何行にも渡るときは大きな円でざっと囲んだりしていた。電車の中では、ペンを取り出すもの面倒でページの耳を折っていた。後で読み返すときのことを思ってことだが、よほどのことでもなければ一、二度あるかないかだった。
読み終わった本は捨てるわけにもいかず、本箱に放りこんでいだ。本にしてみれば、終身刑をくらったようなもので、もう日の目をみることもなくなった。ときには参照しなければならなくって、仮出獄させてもらえるのもいるが、リファレンスのような特殊な本に限られていた。そんな本でも数回の仮出獄で終わりだった。再読の可能性は限りなくゼロに近いが捨てる勇気がなかった。そんな溜めてしまった本も、引っ越しを繰り返すなかでおおかた処分してしまった。
何年も前に読んだ記憶はあるが、誰の本だったのか書名すら覚えていない。それでもたとえ断片的にしても、ここというころだけは覚えている。ただどこまで記憶があっているのか自信がない。しょうがないからWebでこれかもという本を探して図書館で借りてきては、違う。どれだったけ、もしかしたらこれかもとまた借りてくる。そんなことを繰り返していて、なんとかならないものかと考えだした。ちょっと手間だが、後日参照することになるだろうという個所は、書き写しておくことにした。
書き写すといってもキーを叩いてMS-Wordのファイルだから、入力さえしてしまえば、後々検索するのも楽だし、読む時間に比べれば、たいした時間でもない。それでもときには、数ページまるごとなんてこともあって、それなりの時間がかかる。腱鞘炎で痺れた指が疲れてくると、こんなことして何なるんだと気になりだす。Wordのファイルにしたところで、いつ見るとも分からなのに……。でも一時の手間を惜しんで、当てにならない記憶をたよりにするよりいいだろうと思っている。
一字一句書き写していると、読んだときには気がつかなかったところで引っかかるとことがある。読んでいてひっかかったところでは必ず引っかかる。さらっと読みすすめてしまった文章でも、書き写していると、なんでこんなに行儀のわるい文章なんだ、これでも日本語かと呆れることがある。ページ数を稼ぐために繰り返しているとしか思えない文章にであうと、著者の立派な(貧しい?)品性を疑いだす。なんでこんな本まで書き写さなければならないんだと、途中でやめてしまうこともある。痺れた指先は大事につかわなきゃならないのに、こんなものにと癪には障るが、後日役にたつこともあるかもしれないし、と思うもう一人の煮え切らない自分がイヤになる。
外国語からの訳本の日本語は日本人の日本語になっていないことがある、というより多い(すぎる)。二十歳のころから翻訳日本語に悩まされてきたうっぷんがある。溜まりに溜まったうっぷん、多少の悪たれ(悪文)をご容赦いただきたい。
翻訳日本語、たとえてみればふんどし(土着日本)の上にタキシード(欧米文化)を着て、その上に羽織(文科省)を重ねているようなもので、足元をみればそれこそ便所の下駄(庶民の日常生活)でもひっかけたような、それでいていっちょ前の格好だけはというなんとも通りの悪い文章で、読むのもつらいが、書き写すとなると、それこそ拷問にでもあったような気がしてくる。それでもこのとんでもない著名な方の尊い、わけの分かりようのない文章、悪文の例として記録しておく価値はあるだろうと、オレはいったい何をやってんだろうと思いながら書き写すこともある。
真に受けられる可能性もなきしもあらずで、ちょっと心配になるが、力いっぱいの皮肉を込めて、
「日本語、お上手ですね。これほどまでの名(迷)文は、おいそれと書けません」
といってやりたくなることがある。
最近、拾った迷文を挙げておく。こんな先達の下で切磋琢磨されてこられた先生方や研究者の方々とは無縁のところで生きてこられたことをありがたく思っている。翻訳日本語を共通言語とした特殊な集団のなかで生活していたら、本来あるべき日本語(ひいては思考)までが翻訳日本語もどきになってしまいかねない。
下記は、江國滋著『日本語八つ当り』からの抜粋。
「悪文のうまい、というと妙な表現だが、よくまあこれだけの悪文を書けるもんだ、と感心するような文章を、平気で書き綴ってやまない職業人がいることは事実であって、私の目には、悪文がうまい、とうつる」
「一に裁判官、二に学者、三に新聞記者」
「ただし、“悪文”の性質はそれぞれにちがっている。実例を挙げよ、といわれたら、十例や二十例はたちどころにお目にかけることも可能だが、残念ながら紙数が尽きた。きわめつきの、ほんの一例だけ――」
『犯罪は資本主義社会――および他のすべての生産手段の・・・・・・・・・・・・・・私的所有に立脚した社会秩序――においては、社会のこの社会経済的基本構造によって、この社会形態における社会的行動の基本類型や基本範型に適合する。/反社会的行為の研究のための指導的方法として用いるべき基本的な考え方は、『過去の残滓』の概念に社会主義が不健全な遺産として抑止することを強いられているすべてのものを包含させることである (『社会主義刑事学』/E・ブーフホルツ(Erich Buchholz)他著/横山 晃一郎他訳)』
HTML言語で「傍点」を入れる方法が分からないので、「傍点」の代わりにルビ「・」を付けてみた。ざーっと「・」が並んだ文章、目がくらみそうで読む気にならない。苦肉の策として、傍点をすべて取り除いて、傍点が入っていない所に「・」をつけた。傍点がついた原文を想像して頂きたい。
「赤飯にゴマをまいたような傍点は、お断りしておくが、原著のままである」
「いったい、なんのための傍点なんだろう。とくに強調したい字句にほどこすのが傍点だが、この怪文では、ただ一ヵ所傍点を免れた「および他のすべての生産手段の」という文言だけが、かえって目立つというものである。この部分だけではなくて、傍点禍は全体に及んでいる。一冊ゴマだらけというのにもおどろいたけれど、ゴマを払った上で、この文章、何度読み返してみても、ちんぷんかんぷんである」
似たような晦渋な文章に辟易しながら、読まなければという強迫観念にかられて、読めない自分の浅学と無能にさいなまれてきた。それだけに、この評価はなにを押しても書き写しておくだけの(少なくとも個人にとっては)価値がある。
ことの次いでと言っては失礼に過ぎるが、助けられたとほっとしたものをもう一つ挙げておく。柳父 章著『翻訳語成立事情』の「6.存在」のなかの結論の部分だけをとりだした。結論に至るまでが気になる方は岩波新書『翻訳語成立事情』をどうぞ。一般大衆向けの小冊子で分かりやすい。
日本の学問の主流が昔は中国からの、明治期からは先進欧米からの翻訳によって形づくられてきた。それは日本の日常から切り離されたところで始まって、そのまま今日まで続いていると柳父が批判している。
「日本の哲学は、私たちの日常に生きている意味を置き去りにし、切り捨ててきた。日常ふつうに生きている意味から、哲学などの学問を組み立ててこなかった、ということである。それは、まさしく、今から三五〇年ほど前、ラテン語ではなくあえてフランス語で『方法序説』を書いたデカルトの試みの基本的態度と相反するものであり、さらに言えば、ソクラテス以来の西欧哲学の基本的態度と相反するのである」
ことは哲学だけではない。事実を事実としてできるだけ誤読の可能性を排除した文章を良しとする理工系以外――一般的な言葉で一括りにすれば人文科学系も哲学と同じ問題を抱えている。
一職業人として、浅識非才をその場その場のつけ刃でつくろってきた。つけ刃を一つでもと思って知識を漁るたびに、難しい本や説明に四苦八苦した。何度読み返しても主旨を理解できない。オレはバカなのかと悩み続けてきた。「高尚な知識は難解」を常識と思っていたし、とうに古希を迎えてもその常識から抜けられないでいる。ところが、どうも難解で晦渋であることが高尚であるとは限らないらしいことに気がついた。それどころか、書いているご本人も、翻訳日本語の泥沼にはまり込んで、日本語からは遠いその世界の共通語でしか語ることができなくなってしまっているだけのような気がしてきた。そんなことを思っているときに、上記の二冊にであった。重く立ち込めていた雲がさしたる意味のあるものでもなさそうだ、と思えるようになっただけでも気が軽くなった。ここに辿りつくまで半世紀以上。棺桶に入るまえに気がつけただけでも幸いと思っている。
もっとも思ってきたことを説明している文章に出会ったからというだけで、浅識非才にかわりはない。いつの日にか難解で晦渋で七面倒くさい文章もさらっと読んで、本箱に入れることなく即処分できるようになりたい。もっとも、こんなことを考えていること自体が浅識非才のゆえだと思うが、半世紀以上くだらないことにひっかってしまったものだと反省しきり、にやっと至ったということなのだろう。
ついでに言わせていただければ、翻訳日本語でああだのこうだの講釈たれても、通じるのはお仲間までで、大衆運動には結びつかないこと歴史が証明しちゃってますよね。
p.s.
<堀田善衛の『若き日の詩人たちの肖像』から>
『若き日の詩人たちの肖像』は一九六八年に出版されている。堀田善衛は一九一八年生まれで、二・二六事件は一九三六年だから、一八歳のときの経験(ニ・二六事件のあったころ)を、三二歳の堀田善衛が思いだして書いている。
堀田善衛がいきつけの古本屋でLENINについて書かれた英語の本を見つけたところから書き写しておく。
「中学生の頃には、あまりにむずかしい専門用語ばかりの出てくるマスクス主義についての本や解説なども、ほとんど呻きながら読んだものであったが、そういうものも、もう読まなくなっていたのだ。だから、LENINという名を英語で見出して、すでに妙ななつかしさのようなものを感じたのであった。英語の本を読むことは、少年にとっては何ということもないことであった。聖書も、あの聖書独特の言い廻しになれてしまって、英語で読むことの方が少年には楽だったのだ。だから、こいつを一つ読んでやろうか、と思い、その本をつまみ出して帳場に坐っている四十ほどの男のところへもって行った」
「夏休みは、レニンに没頭していた。とにかく矢鱈無性にむずかしい漢語が出て来て、翻訳臭だけしかない日本語版のマル・エン全集などに比べたら、英語のレニンは読み耽るということが出来た。それに、論文の題名も魅力のあるものであった。『何が為さるべきであるか』(What is to be done?)『一歩前進、二歩後退』(One step forward, two steps back)などという題のつけ方は、内容の面倒さにいささか参りかけていたときに、その題名を思い出してみるとき、先を読みつづけるための根気に資してくれるものがあった。とはいうものの、少年には別して高級なものを読んでいるとか、あるいは危険なものを読んでいるといった気持ちはまったくなかった」
「要するに、それが英語であったればこそ、少年は読むことができたのであった。これが日本語の訳であったら、おそらく三頁も行かぬうちに放り出してしまったであろう」
あの堀田善衛が翻訳日本語で読むより英語で読んだ方がといっているのはなぜなのか?何が翻訳日本語を分かりにくくしているのか?
分かりにくければ、どんなに高尚でかつ大衆に理解していただかなければならない考えであても、一般大衆には広まらない。まさか、広まらなくていいと思っているわけでもないだろうし、もしそれで良しとしているとしたら、あるいは理解し得ないのは大衆には理解する能力がないからだと責任を大衆に求めているとしたら、知識人あるは教養人としての社会に対する責任はという話にならないか?
2021/5/15
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11088:210709〕
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