「唯一の被爆国」でなぜ「ヒロシマからフクシマへ」の悲劇が再現したのか? 原子力にまつわるあらゆる「神話」の検証を!
- 2011年 7月 2日
- 時代をみる
- 加藤哲郎原発安全神話崩壊技術大国神話崩壊
2011.7.1 3月11日以来、世界から見える日本の光景は、大きく変わりました。人類史上まれにみる大地震と大津波で東日本が壊滅的被害を受けた国、自動車や電気製品の部品工場が被災し世界のメーカーの生産ラインをとめた国。ベトナムほか世界に輸出しようとしていた原発が、福島でチェルノブイリに匹敵する巨大なメルトダウン事故を起こし、いまだに核燃料を制御できず、放射能汚染を広げている国。「技術大国」の神話は、崩壊しました。その事故に際して、メルトダウンの事実を長く認めず、基本データの発表数値がいくども変更され、放射性物質を含む汚染水を近隣諸国に無断で海に流すという、政府と東京電力(TEPCO)の情報隠蔽に、唖然とさせられました。そうした政府と「原子力村」公認情報を一方的に流すのみで、まともな真相究明も原発政策批判もできなかった、ジャーナリズム不在のマスコミ。世界一の発行部数を持つ大新聞と、長時間視聴を誇ってきた日本のテレビのあり方も、地に墜ちました。わずかな希望としてスポットを浴びたのは、地震・津波被害に遭いながらも24時間治療を続けた医師、中国人研修生20名を津波の危機から救い自らは犠牲になった水産会社の専務、You Tubeを通じて政府を通さず原発事故の悲惨を伝え世界からの支援を訴えた福島県南相馬市長、そして高放射能の原発事故現場で炉心安定化のために働く下請け・孫請け作業員たちです。事故直後の、略奪も暴動も起こらない沈着冷静な日本人、避難所で助け合う秩序正しい日本人という報道は、ほとんど3月中だけのことで、その後は、政府と東電の場当たりで非情な避難命令に怒りを表情で示さず唯々諾々と従う被災者、世界中から集まった支援物資・義捐金がいまだに被災者に届かない不明朗で不思議な国、原発反対デモの両側を武装警官がとり囲み市民と分断する、途上国独裁国家なみの治安維持・言論の自由。何よりも、この非常時に、政治家が現地の救援・復興に向かわず、首相の不信任や政党の合従連衡で国会が空転する、無為無策の政治。「脱原発」さえ政争の具として扱い、権力にしがみつく、与党からも孤立無援の首相。無論、中東危機やギリシャ財政危機で揺れる世界では、外交的にまともな交渉のできる相手とは、見なされません。「先進国」「民主主義国」というイメージも、深く傷つきました。
「原発絶対安全神話」と一緒に、さまざまな「神話」が崩壊しました。故高木仁三郎さんは、亡くなる直前の2000年8月に『原子力神話からの解放ーー日本を滅ぼす九つの呪縛』(光文社)を発表していました。1999年9月の茨城県東海村JOCウラン加工工場「臨界事故」をきっかけに執筆されたもので、「プロローグーー原子力の総括として」には、この事故は「原子力産業や政府はもちろんですが、原発反対派の私自身も含めて、根底から今までの原子力問題に対する態度の甘さを認識させられ、痛感させられる、そういう事故だった」とあります。そして、「原子力安全神話」を支える9つの「神話」を、一つひとつ解きほぐしていきます。「原子力は無限のエネルギー源」という神話、「原子力は石油危機を克服する」という神話、「原子力の平和利用」という神話、「原子力は安全」という神話、「原子力は安い電力を供給する」という神話、「原発は地域振興に寄与する」という神話、「原子力はクリーンなエネルギー」という神話、「核燃料はリサイクルできる」という神話、「日本の原子力技術は優秀」という神話。10年前に書かれ、最近講談社文庫に入ったのに、不幸にも、現在の事態を完璧に予見しています。「神話の呪縛」は、21世紀に入っても、しぶとく続いていたのです。最近構造不況の出版界に、異変が起きています。原発事故や放射能汚染を特集した雑誌や週刊誌が売れています。単行本でも、高木仁三郎さんの精神を受け継いだ3・11以後の語り部、京都大学原子炉実験所の小出裕章さんの本が、爆発的ベストセラーになっています。新刊『原発のウソ』(扶桑社新書)は、発売20日間で17万部とのことです。アマゾンで見ても、コミックやダイエット本とならんでベストセラーに入っています。しかし小出さん自身は、原発事故が起こって売れたことに「うれしくない」と言っています。そうです。故高木さんの告発した「神話」は、世界史的なFukushimaの悲劇を体験した後に、小出さんたちの長年の真摯な研究と解説によって、ようやくほころび始めたばかりなのです。この夏は、「原発がないと電力が足りない」という新たな「神話」をめぐる攻防になりそうです。
マスメディアにもようやく、小出裕章さんや広瀬隆さんが登場するようになり、脱原発世論の高まりの中で、大新聞にも政府・東電に批判的な検証記事や、「原子力村」の内部に切り込む記事が出るようになりました。前福島県知事佐藤栄佐久さんの最新刊『福島原発の真実』(平凡社新書)は、原子力政治の臨場感ある体験記で、日本の政治過程・政策決定の格好の教材となっています。しかし「原発安全神話」は、一朝一夕で出来たものではありません。故高木仁三郎さんの分析した9つの神話の多くは、1945年以後に政治的・社会的に形成された、情報戦の産物というべきものです。イマジンに入れた吉岡斉さん『原子力の社会史ーーその日本的展開』(朝日選書、1999年)やウェブ上の東京外語大学科学史研究吉本秀之さん「原子力と検閲」に刺激されて、原子力をめぐる情報戦を検討していくと、原発事故を自らの問題と受け止め内在的に批判してきた高木さんや小出さんを例外とする大多数の原子力研究者ばかりではなく、私も末端にいる政治学者や歴史学者、戦後科学技術研究ばかりでなく人文社会科学研究の全体も、「神話」誕生に一役買ってきたのではないかという問題に、突き当たります。「原発安全神話」は、その周辺の「大きな神話」のうえに成り立ち、増殖してきたのではないか、と思われます。たとえば「唯一の被爆国」という神話は、春名幹男さん『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書、1985年)で、原爆開発のマンハッタン計画段階から多くの米国人「ヒバクシャ」を産んできた事実が述べられていますから、チェルノブイリ以前に崩壊すべきものでしたが、なぜか今日でもよく使われます。ウェブで読める中村功さんらの原子力安全基盤調査研究「日本人の安全観」(2004年)の実証資料、特に第3章「原子力の安全観に関する社会心理史的分析ーー原子力安全神話の形成と崩壊」をじっくり読むと、原発導入時に米国諜報機関の恐れた「日本人の核アレルギー」というのも「神話」だったのではないかと気づかされます。
とすると、「平和国家日本」も「民主国家日本」も、「より大きな神話」であった可能性があります。世界から見れば、「憲法第9条」も「非核3原則」も、「杉並の主婦たちの始めた国民的原水禁運動」さえも、いまや原爆5000個分以上に達するプルトニウム保有を弁明するため自分たちを暗示にかけた「神話」だったのではないか、ということになりそうです。さしあたり、二つの歴史的転換点を検討してみようと思います。一つは1955年、前年第5福竜丸事件で「死の灰」を経験し、8月に第一回原水爆禁止世界大会を開いたのと並行して、日本の原子力発電導入が進み、同年12月に原子力基本法が成立して今日の悲劇にいたる経緯です。「原水禁運動」と「原子力の平和利用」神話による原発導入は、同時に出発しているのです。もう一つは1988年、チェルノブイリ原発事故の衝撃で、世界の反核運動が高揚してドイツほか多くの国で「脱原発」が始まり、日本でも広瀬隆『危険な話』が30万部のベストセラーになる「反原発」運動の高揚があった時点です。この冷戦崩壊直前のバブル期、なぜ「唯一の被爆国」神話下の日本は、世界の流れに逆行して、むしろ原発推進・増設の流れにアクセルを踏んだのか、という問題です。この時の世論の転換点を、中村政雄『原子力と報道』(中公新書、2004年)は、「ヒロセタカシ現象」に危機感を抱いた自民党政府・電力会社の情報戦、特に日本共産党『文化評論』誌上の日本科学者会議原子力問題研究会による広瀬隆批判を『文藝春秋』に登用・転載し大々的に利用した「反原発」言説封じ込めに求めていますが、その真偽を含む歴史的検証が必要です。今後当HPでは、さまざまな史資料を公開していきます。
かつて私は、21世紀のとば口での米国9・11に際して、「現代日本社会における「平和」──情報戦時代の国境を越えた「非戦」」(『歴史学研究』第769号、2002年11月)を発表し、「戦後民主主義」を支えた「平和」意識に内在する(1)アジアへの戦争責任・加害者認識の欠如、(2)経済成長に従属した「紛争巻き込まれ拒否意識」、(3)沖縄の忘却、(4)現存社会主義への「平和勢力」幻想、の4つの問題点を析出しました(『情報戦の時代』花伝社 、2007、所収)。しかし、10年後の3・11によって、「根底から今までの原子力問題に対する態度の甘さを認識させられ」、(5)核戦争反対と核エネルギー利用を使い分ける二枚舌の「平和」、を加える必要を痛感します。震災後の思想状況に、学術論文データベース寄稿の常連宮内広利さん「貨幣・自由・身体性ーー想像の『段差』をめぐって」で斬り込みましたので、新規アップ。ボードリヤールやポランニーを使って、小熊英二や中沢新一を批評しています。私の『東京新聞』『中日新聞』紙上のジェフリー・ゴーラー、福井七子訳『日本人の性格構造とプロパガンダ』(ミネルヴァ書房)書評も、アップしておきます。昨年、菅孝行・加藤哲郎・太田昌国・由井格「鼎談 佐野碩ーー一左翼演劇人の軌跡と遺訓(上)(下)」(『情況』2010年8・9月、10月)を行った延長上で、7月9日(土)午後3-6時、早稲田大学桑野隆教授らの「桑野塾」(早稲田大学16号館701号室)で、メキシコ大学院大学田中道子教授と共に、佐野碩について講演します。こちらも東日本大震災後に、岡村晴彦『自由人 佐野碩の生涯』(岩波書店)を読み直し、佐野碩の思想形成に関東大震災のインパクトを見いだし、「亡命者佐野碩ーー震災後の東京からベルリン、モスクワへ」と題して、佐野碩研究の専門家田中道子さんの話「国際革命演劇運動家としての佐野碩」の前座をつとめます。公開ですから、ご関心のある方はぜひどうぞ。
「加藤哲郎のネチズンカレッジ」から許可を得て転載 http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml
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