「書評」 西角純志著『相模原障害者殺傷事件―裁判の記録・被告との対話・関係者の証言』(明石書店) 21世紀の「暴力批判論」のための道標
- 2021年 10月 6日
- 評論・紹介・意見
- 高橋順一
1.アウシュヴィッツを訪ねて
かつてアウシュヴィッツを訪ねたとき忘れることの出来ない体験をしたことがある。アウシュヴィッツ強制収容所は第一収容所とビルケナウ第二収容所とに分かれているが、第二収容所の一番端の方に、もとは収容者の受け入れや登録、さらには着ているものの洗濯や殺菌が行われた「サウナ」と呼ばれる建物があり、そこは現在アウシュヴィッツで犠牲になった人々の写真の展示室となっている。アウシュヴィッツ第一収容所では三枚一組になった囚人服姿の収容者の身元確認写真が展示されているのに対し、この「サウナ」では収容者が普通の暮らしをしていた時代の家族写真やスナップ写真が展示されている。第一収容所から始まるアウシュヴィッツ見学ツアーにおいて想像を絶するような暴力と殺戮のドキュメントをこれでもかこれでもかというほど見せられ、身も心も凍りついてしまったような状態で「サウナ」に展示されている写真へと行き着いたとき、私は何ともいえない、明らかにそれまでとは違う衝撃を感じ、写真を目の前にしながら嗚咽をこらえるのに苦労した。それまであまりに凄絶な絶滅の記録を見続けたために、犠牲者一人一人が当たり前の生活を送る当たり前の人間であったという事実をすっかり忘却してしまっていたことに気づいたからである。私は、そうなのだ、犠牲者たち一人一人が、様々な喜びや悲しみや怒りや慰めを感じながら日々の暮らしを送っていたかけがえのない人間であったのだ、このことを決して忘れてはならなかったのだ、と内心で呟いた。そして、アウシュヴィッツを語るとき私たちはともすれば犠牲の数の大きさやガス室、焼却炉の外形的な残忍さに関心が向かいがちなのだが、アウシュヴィッツの認識は何よりも、あの膨大な死者たちの一人一人がかけがえのない、決して量へと還元することの出来ないたった一つの命の持ち主だったという事実から、彼らに備わっていた決して侵すことの出来ない個としての尊厳をあらためて確認することから出発しなければならないことを痛感したのである。
私は、津久井やまゆり園の事件について書かれた西角純志の著作を読み進めながらこのアウシュヴィッツの体験を思い起こしていた。この事件について考えるとき、私たちは、十九人もの障害者が一時に殺害されたという事実のもたらす戦慄や衝撃に、あるいは植松死刑囚が障害者に対してふるった暴力の残酷さ、さらにはそれを正当化する言説の異様さなどについ目がいきがちなのだが、その前にまず考えなければならないのは、犠牲になった人たち一人一人の存在のかけがえのなさ、その失われた命の限りない重さなのではないだろうか。あえて愛おしさという言葉を使えば、それは、失われた命に対して慟哭とともに浮かび上がってくる愛おしさといってもよいだろう。それは、植松が何といおうと、決して人格や判断力や帰責能力の有無などによってはかることの出来ない、存在することそのもの、生きていることそのもの、そしてともにそこにいることのぬくもりや親密さや重さのなかにしかないもの、そこからしか見えてこないものである。それがある日無惨にも一挙に絶たれてしまったのだ。そのかけがえのなさ、愛おしさを知る家族や職員の方々の悲嘆、傷みがいかばかりのものであったであったろうか。私は西角のこの著作を読み始めて第4章の証言の部分まで来たとき、そのことをまざまざと感じた。西角は、決して器用にまとめられているとはいえないこの本のなかで、あの事件において何が問われ、私たちが何を考え続けなければならないのかを、この、なぜかけがえのない存在である一人一人の命があのようなかたちで奪われねばならなかったのかというもっとも根源的な問いから出発しながら、愚直ともいえる執拗さでもって追い続けようとしている。それは、西角が私のいったかけがえのなさ、愛おしさをごく自然に自分のものとしながら本書を書き進めていることの証しであるといえよう。決して容易いこととはいえないそうした姿勢を取り続けることが出来たのは、おそらく西角がやまゆり園の職員として、犠牲になった人たちも含め日々入所者たちと接してきた体験を持っていたからだであろう。同時にそれは西角もまた深い悲嘆や傷みを抱えていたに違いないことを示している。
2.「法」という視角
私にとって西角は何よりも『移動する理論 ― ルカーチの思想』(御茶の水書房)を書いた哲学者であった。西角の博士論文のもととなったこの著作は、「社会主義」崩壊後の時代にあえて二〇世紀を代表するマルクス主義者であったルカーチを取り上げ、「モデルネ」と呼ばれる世紀末から二〇世紀初頭の時代状況、そこでの文学や芸術も含めた思想的な葛藤を含めてダイナミックに描いており、近年の日本における社会思想史研究の重要な成果の一つといってよいものであった。その西角から、自分がかつて津久井やまゆり園に勤務していたこと、この事件に対して、その裁判も含めて関わり続けようと思っていることを聞いたのはこの事件のすぐ後だったと思う。私がすぐに思い出したのはハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』のことであった。この、哲学者であると同時にナチス時代の亡命ユダヤ人としてホロコースト=ショア―の当事者でもあったアーレントが書いた、ナチス親衛隊高官にしてホロコースト=ショア―の実質的な立案者でもあったアードルフ・アイヒマンに対する裁判の記録は、たんなる記録という以上に、ホロコースト=ショア―という出来事がいかなる意味を私たちに投げかけているのかを問い続け、考え続けるための最も重要な試金石の一つとなった。私は、西角もまた哲学者であると同時に津久井やまゆり園元職員としてこの事件の間接的な当事者でもあることを踏まえながら、西角がこの事件に、裁判の過程を含めて関わり続けるべきであると、そしてそれを報告にまとめるべきだと、それが出来るのは西角しかいないはずだと話をしたのを憶えている。
本書で西角は二つの視点、すなわち哲学者としての視点と当事者としての視点から、この事件に対する比類のないアプローチを行っている。丹念に裁判の記録を読み、遺族、職員、さらには植松被告本人の、直接面接も含めた膨大な証言を集める作業は、ほとんどクロード・ランズマン監督の映画『ショア―』にも匹敵するような重みと深みを備えている。その一方哲学者として西角はこの事件から見えてくる本質的な問題を「法」という視角から見定めようとする。序論および第三章で主に展開されているその議論は相当に晦渋な内容を含み、津久井やまゆり園で起きた出来事についてのルポルタージュだけを期待して本書を手にした読者はおそらく困惑し読むのをやめてしまうだろう。だが本当はここで展開されている議論こそが本書の最も重要な内容となるのである。
3.根源悪とは何か
さて序論には「人間社会の『根源悪』」というタイトルがついている。「根源悪」とは何か。この問いの起源となるのはキリスト教神学における、もし神がこれ以上ないほどに善きものであるなら、神はなぜ自らの創造したこの世界に悪(サタン)を創り出したのかという疑問である。キリスト教神学はこの疑問に、悪もまた神の創造物として神の至高性の下に「是認」される、言い換えれば神という絶対善によって担保されるこの世界の予定調和的秩序のもとに服するのである、という悪の弁神論によって応えようとした。だが、この世界に神によって体現される善が、そしてそこに源を発する道徳や規範(何が善で何が悪か)が存在すると同時に、それと相反する悪もまたこの世界に存在するのはなぜなのか、という疑問ははたして悪の弁神論によって本当に解消出来るのだろうか。というのもこの悪には、いわば相対的な悪と呼ぶべきもの、すなわち人間が作った掟や決まりに違反するだけにすぎない悪だけではなく、根源的には神という絶対善に対してサタンが占めている位置によって示唆されている絶対悪というべきもの、存在それ自体の次元における悪が存在するのである。これが根源悪に他ならない。私たちがふだんこうした根源悪を意識することはほとんどない。どんな殺人事件でも暴力事件でもおおむね相対悪のレヴェルで受け止めている。だがまれではあるがそうした悪を突き抜ける絶対悪というべきものに相対さざるを得ない瞬間がある。ナチスによるホロコースト=ショア―、ヒロシマ・ナガサキ、チェルノブイリや「三・一一」の原発事故、そして津久井やまゆり園の事件などの場合である。こうした行為の善悪ではなく、存在そのものの次元における悪を問わずにはいられないような出来事を前にしたとき、私たちは相対悪の次元で成立する日常意識を捨てて根源悪というべきものへと思いを廻らさざるを得なくなる。ちなみにキリスト教神学もまた一七五五年に発生し、ヨーロッパ史上未曽有というべき災厄をもたらしたリスボン地震という絶対悪に遭遇し、悪の弁神論を放棄せざるをえなくなったであった。被害者たちがたんに物理的に殺されただけでなく、その存在そのものの根源的な愛おしさ、その記憶、生きた証しをも抹殺されてしまった ―― 事件後被害者たちが裁判の過程で名前さえも奪われてしまったことを思い起こしてほしい ―― 津久井やまゆり園の事件を前にして西角もそうした思いを抱いたに違いない。そして西角は津久井やまゆり園の事件において露呈した根源悪について「法」という視角からアプローチを開始するのである。
誤解がないようにいっておくと西角が問おうとする「法」の問題は実定法としての法律の問題ではない。それは相対悪の次元の問題でしかないからだ。西角が問おうとする「法」の問題は、西角自身が言及しているように、ベンヤミンが「暴力批判論」において、あるいはデリダが『法の力』において、さらにはアガンベンが『ホモ・サケル』において問おうとした「法」の問題、より正確にいえば法と法外なものの関係の問題である。そこでは人類が法とともに作り出した法外なもの、それは端的にいえば、人間存在やそれが作り出す社会の根源において破壊と創造の両義性を負ったかたちで作動する暴力に他ならないのだが、それが実定法によって構成される私たちの日常世界の秩序に対してどのような位相にあるのかが問われることになるのである。根源悪の核心に潜むのもこの法外なものとしての暴力であることはいうまでもない。法の視点に立つとき、根源悪が露呈する瞬間とは法秩序の世界に対して法外なものが介入する瞬間を意味するのである。
この問題を問う上で西角が着目するのはカフカである。カフカの文学を社会的現実の暗喩として解釈することは誤りである。むしろカフカの文学そのもののなかから、私たちが「社会」―――法といってもいいし、日常といってもよいし、生活といってもよい ――と呼ぶものの生成の起源の原風景をつかみ取るべきなのだ。カフカの文学を社会の暗喩として読むのではなく、カフカの文学の側から社会が創出される起源の風景を読み解くのである。そうしたカフカの読み方にとって最もふさわしいテクストが「掟の門」という題を持つ作品である。デリダのカフカ論に取り上げたことで有名になったこの作品は、法と法外なものの関係、言い換えれば根源悪と法、そしてそれに相対する諸個人の関係を途方もない射程を通して描き出している。途方もない、といったのは、おそらく短いこのテクストのなかに、法やそれにまつわる支配や権力の形成、それを打倒しようとする革命や停止を命じる戦争、そしてそうした「暴力」の乱舞に向き合う諸個人を含む全人類史の過程が凝縮されているからである。さらにいえば、根源悪が露呈する瞬間に立ち会わされる人間が感じる凄まじいまでの孤立感、寄る辺なさもそこから読み取ることが出来るからである。
4.法の普遍性と個人の唯一性
「掟の門」は、法の内部へ入ろうとしてついに入れないままに生涯を終える一人の人間の話である。この門は常にだれに対しても開かれている。法の方から見える風景とは、法の門が誰に対しても常に開かれているという、いわば法の普遍性が体現された状況であるといえよう。だが個人の側から見れば法は決して普遍的なものではないのだ。なぜなら法が個人に接触してきた瞬間、その状況はその個人だけのもの、誰によっても代替することの出来ない自分のためだけのものになるからだ。それは法の方から見れば常にだれに対しても普遍的に開かれている状況が、個人の側から見ればいかなる代替性も効かない唯一的な状況、いわばたった一人で蟻地獄に落ちたような状況に置き換わることを意味する。このとき法の普遍性と個人の唯一性とのあいだに途方もない非対称性が生じることになる。それは個人の法に対する窮極的な無力性の現われを意味する。「掟の門」の主人公が命絶える瞬間に悟ったのはそのことであった。
法は普遍性の網によってあらゆる個人を掬いとっていく。このとき掬いとられる個人のほうはたった一人で法の前に立たされることになる。だれも彼の代わりをしてくれる人間はいない。それは、彼が法の行使する、死刑という殺人行為も含む力(=威力ないしは暴力)にたった一人で無防備にさらされることを意味する。この瞬間個人の側に一個の逆説的な状況が生まれる。この代替の効かない唯一的な状況に唯一の個人としてさらされるという状況が、じつは法の普遍性によって個人のかけがえのなさ、唯一性が奪われる瞬間を意味するという逆説である。この逆説はある意味個人の死がだれにも代替することの出来ない唯一的なものであるにもかかわらず、死の瞬間個人の人格が消えることによってその死はだれのものでもない非人称的なものへと変容するのとそっくりである。誰も死を逃れることは出来ない。死に対して個人は完全に無力である。そして、というより、ところが死の瞬間とともに、死を免れることの出来ない個人の代替不可能性、かけがえのなさは、誰のものでもない死という非人称性へと埋没し消滅する。この逆説に現れているのが、死の絶対的な抗いがたさ、個人の無力さであり、死の非人称性と個人の生の唯一性のあいだの不可逆的な非対称性であるとするならば、それは、法の普遍性と法の前の個人の唯一性とのあいだの絶対的な非対称性、法への抗いがたさと完全に相似的である。これも逆説的ないい方になるが、個人は法の前に立つときたった一人の存在であるしかないことによって、そのたった一人の存在であることの証しを ―― その証しの根源にあるのが生命のかけがえのなさであり、その存在の限りない愛おしさである ―― 法によって奪われるのである。このときもう一つの逆説、というより問いが浮かび上がってくる。ふつう法は個々の行為の合法・非合法を問うだけのはずなのに、なぜ法は存在へと、生命へと介入してくるのか、という問いである。こうした存在や生命への介入というかたちで法の威力が行使されるとするならば、法のなかには、たんに規範を逸脱するという相対的な悪に対して行使される力だけにとどまらない、個人の存在を滅却する力、というより端的に暴力というべき力が働いていることになるはずである。つまり法は法であることのなかで、じつはまぎれもなく法外なものというべき暴力をはらんでいるのである。別ないい方をすればそれは、法が本来ならば手を差し伸べることの出来ないはずの法外なもの、個人が自己保存のためにときには他者を殺すという暴力の行使を厭わないことを正当化する「自然権」(スピノザ)として現れる法外なものにまで触手を伸ばし、ついにはそれを占有してしまうことを意味する。ちなみに 法が逆説的に法外なものとしての暴力を占有するという事態を最初に論証して見せたのがホッブズの『レヴァイアサン』であった 。そしてそれがじつは社会や国家の起源であることもホッブズは論証したのだった。ちなみそうしたホッブズの論証を論駁し、「自然権」という個人の次元に定位される法外なものを断固として擁護したのがスピノザだった。このことの持つ思想的意味を私たちは忘れてはならない。
5.法の根源悪と植松の絶対的非対称性
ところでじつはベンヤミンが「暴力批判論」で、さらにはそれを受けてデリダが『法の力』でいっているように、法外なものには暴力と並んでもう一つたいへん重要な意味が含まれている。それは、実定法が自らだけの力によっては絶対に創り出すことの出来ない「正義」という意味である。この「正義」の核心をなしているのが個人の存在の、その生命のかけがえのなさ、根源的な愛おしさに他ならない。だからこそ個人の存在も生命も本来なら不可侵な「正義」でありうるのだ。だが法は、いわば神の絶対善に匹敵するこの「正義」をも、暴力とともに法外なものから簒奪する。繰り返しになるがこれを論証し正当化したのがホッブズの「レヴァイアサン」の論理に他ならない。そこから生まれるのは、罪と罰の相互循環(罪があるから罰がある=罰がある所には罪がある)によってしか証明することの出来ない法の「正義」である。この本来ならばどこにも根拠のない捏造された「正義」によって、法は暴力とともに法外なものを占有するのである。これが国家による軍隊と警察と司法の占有の意味に他ならない。ふたたび逆説的ないい方をするならば、この法による法外なものの占有によって、法は相対的な悪のレヴェルにおいて修正や変更が可能なものの次元を超えて、その存在そのものの悪が問われる絶対悪、すなわち根源悪となるのである。法は思うままに正義と暴力を行使し諸個人を徹底的に根絶やしにする。ナチスがアウシュヴィッツで行使した暴力も、アメリカがヒロシマ・ナガサキに対して行使した暴力も、ポル・ポトが自国民を虐殺するために行使した暴力も、すべてその拠り所には「法」が存在している。この「法」のあり方のうちに、法と法の前に立たされる個人、より正確にいえば個人のかけがえのない命とのあいだの絶対的な非対称的関係を生み出す窮極的な根拠が見出されるのである。それは、いかなる抵抗するすべのないまま植松のふるう刃物によって命を奪われていった犠牲者たちと植松とのあいだに存在した絶対的な非対称性と正確に重なり合う。植松は、法外なものを占有する「法」に基づき、障害者という罪と「生きるに値しないから殺害する」という罰とのあいだの完全に閉じられた循環を恐るべき正確さで遂行したのだった。ここに植松の行為の根源悪としての性格が現われているといえよう。ここまで来たときようやく私たちは西角がなぜ津久井やまゆり園の事件を、植松の「犯罪」を法の視点から論じなければならなかったが明らかにになる。
6.法の例外性と正義の暴力
西角は「掟の門」を植松に差し入れて読ませ感想文を書かせているが、そのなかに「どんな犯罪でも無罪にできる心失者には、人権すら例外であると考えられます」(七七頁)という言葉がある。これはある意味で法の本音を表している。なぜならこれこそが法のオールマイティの実現だからである。人権の考慮なしに思うまま法の力を行使したいというのが常に法が抱いている願望である。それこそが法と個人の非対称性の窮極的な到達点に他ならない。アイヒマンの理想も、カフカの『訴訟(審判)』においてヨーゼフ・Kに死刑を言い渡す裁判官の理想もその実現にあった。私たちは、こうした法の本音、理想と完全に同じ次元であの植松の途方もない殺害行為が遂行されたことをはっきり認識しなければならない。だからこそ西角はこの事件の解明のために「法」という視角を採用したのである。法の残忍さと植松の残忍さの本質的な同質性こそ本書の結論であるといえるのではないかと思う。ただ一つだけ付け加えておきたいことがある。植松はここで「例外」という言葉を使っているが、じつはこの「例外」という言葉にはそうした法に対して、ということは植松が振るった暴力に対して、ということでもあるのだが、ほとんど唯一根源的に対抗しうる契機が隠されているのである。それを教えてくれたのはカール・シュミットである。シュミットは法が作動する空間に対して一挙に停止を命じる事態を「例外状態」と呼んだ。シュミットは、世界で最も民主的な憲法と呼ばれたワイマール憲法のなかに憲法の効力の停止を命じる大統領命令が存在することに着目し、ナチスが授権法によって独裁を実現するための道を開いた人間だった。このことが許されざる行為であったのはいうまでもない。まさに悪魔のシュミットである。だがまがりなりにも法に対してその停止を命じるすべがあることをシュミットは私たちに教えてくれたのである。このシュミットの教えを逆手に取るかたちで、法が振るう暴力に対して逆に法の停止を命じる暴力、つまり語の真の意味における正義の暴力を、「神的暴力」という名とともに対置して見せたのが「暴力批判論」におけるベンヤミンであった。その考え方がデリダの『法の力』にも受け継がれているのはいうまでもない。彼らが明らかにしたのは、法を停止させる正義の暴力(暴力の廃絶を実現する最終暴力)こそが、法と法外なものの関係を根底から覆す力、つまり法外なものを法から取り戻すというスピノザの目指したものを実現する力に他ならないということである。ベンヤミンが、ジョルジュ・ソレルの『暴力論』を踏まえゼネストに仮託しようとしたこの法停止の暴力が革命の暴力を意味するのはいうまでもないであろう。革命とは法に対して一挙にその停止を命じる正義の暴力のもっともラディカルな行使に他ならないのだ。はたして植松は「例外」という言葉を使ったときそこまで考えていたのだろうか。ともかく私はこの「例外」という言葉に、この本から拾うことの出来た微かな救いの証しを見たいと思うのである。
(付記)なお『週刊読書人』(第3408号)2021年9月24日号掲載の「書評」は本稿にもとづくものである。
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