モスクの破壊と「宗教中国化」について

改築前の東関清真大寺(いずれも坂本記者による)

 さらに1ヶ月後の「東京新聞ネット(10月23日)」は、西寧のモスクについて西日本新聞とほとんど同じ内容の記事を掲載した。
中沢穣記者によると、「ネット上に流出した同区当局の内部資料とみられる『アラブ式モスク改築案』は現地の状況と符合する。昨年5月作成の改築案によると、同区内の『アラブ式』モスク19カ所のうち、昨年に10カ所、今年に9カ所の改築を行う。費用は計約2689万元(約4億6000万円)をかける」
 関係者は「工事の理由について、当局側は老朽化や尖塔が倒壊する危険性を挙げる。東関清真大寺のドームは完成してまだ20年ほどだが、モスクの管理組織は『ドームや尖塔は文化財ではない』と撤去を正当化。『下心のある人々が社会の安定を壊すのを防ぐ』としている」とのことであった。
(ネットで「宗教中国化」と検索すると詳しい記事が読めます)

 回族(漢人は回民ということが多い)は、チベットやウイグル・カザフ、モンゴルとは違い、中国共産党の民族政策に公然と反対したり抵抗したりしたことのない、まことに権力に従順な民族である。
だが坂本・中沢両氏などの記事をみると、いよいよ習近平総書記の「党がすべてを指導する」政策の手が回族にまで伸びてきたことを感じる。

 青海省はもともとチベット人とモンゴル人の土地だったが、1949年の革命後移民によって漢人と回族が増加し、人口は570万人。西寧は200万余で青海省人口の40%が住む。青海回族は80万近い。「回族」という名称は、民族識別工作のとき周恩来が全国に散在する漢語を母語とするムスリムをひとくくりにしてこう呼んだという。

 わたしが西寧に住んだのは2000年代の半ばから5年余りだが、東関清真大寺には幾度となく出かけて、ムスリムの友人たちから信仰について教えてもらった。この大モスクは明代の創建。中国西北でも有数の規模を誇り、「国家3A級観光地」とされ、宗派はスンニー派である。
 モスクの周りにはムスリム用の荒物屋や食料品店、衣料品屋、みやげもの屋が並んでいた。毎週金曜日になると、白い帽子をかぶった千人近くの信者(といっても男性だけだが)が礼拝用のカーペットをもって集まった。ラマダン(断食月)明けの祭りには数万人の信者が集まり、通りは人でいっぱいになった。
 西寧の町は、2000年以後モスクが増え尖塔とドームが目立つようになった。チベット人の友人はそれを指して、回族は金持が競争でモスクを建てているのに、おれたちは貧乏のままだといった。
 2008年北京オリンピックの年、ラサで反政府暴動が発生し、青海省各地のチベット人はこれに呼応した。この動きに促されたのか、少々なら「白酒(焼酎)」を飲んだ回族の友人たちがまったく酒を口にしないようになり、モスクへも通いだした。回族のどの「清真餐庁」も、客のアルコール持ち込みを断固ことわるようになった。私は回族の民族意識が高まったことを感じた。
 
 中国少数民族のうち、ムスリムは10あるとされ、回族は人口1000万近い大民族である。西北地方に多いが、「大散居、小集居」の典型で全国各地に居住地が散在する。農耕民もかなりいるが、町では流通業、サービス業に従うものが多い。
 黄河の谷にはチベット語を母語とする回族集落があるが、青海回族は一般に漢語(中国語)の西北方言を話す。これが民族固有の言語をもつウイグルやカザフなど他のムスリム民族と異なるところである。
 以前漢人は「回回」と呼んでいたが、蔑視して「回」の字に「けもの偏」を付けていた。わたしは西寧だけでなく、北京や天津でも「ウイグルは泥棒、回族はずるい」という根拠のない言葉を聞いた。青海ではチベット人との関係はあまりよくなかった。子供同士のけんかでは、回族はチベット人を「汚いやつら」、チベット人は「ご先祖さまは豚」とののしり合った。

 習近平主席はすでに、「宗教中国化」を2015年5月の中央統一戦線工作会議で提起していた。今年5月施行の「宗教教職人員管理弁法」、9月からの「宗教院校管理弁法」は、従来の宗教指導者に対する管理を一層強めるものであった。
 「弁法」では、「宗教指導者は祖国を熱愛し、中国共産党の指導を受け、社会主義を擁護すること」、また「党の指導や社会主義制度を支持しなければならない」「わが国の宗教独立、自主自弁の原則を堅持すること。宗教の『中国化』を堅持し、国家統一、民族団結、社会の安定と和睦を堅持すること」などと明記したが、これは「弁法」以前からいわれてきたことである。
 わたしは、「宗教中国化」を見て、イスラム教や仏教、キリスト教の教義を中国化することだと思いこみ、その中共版はどんなものになるかと大いに期待した。
 チベットやウイグル・カザフ、モンゴルなどの民族性を抹殺しようと躍起になってきた中共当局にとって、回族は残された存在だった。漢語を母語とする回族からムスリム信仰を奪えば、漢人になるはずである。そこでわかりやすく、モスクの尖塔と三日月を取り除き、ドームを菅笠を重ねたような漢風の天蓋に取り換えだしたのである。
 中共政権は、1966年からの文化大革命期にこれと似た運動をやったことがある。「破旧立新」のスローガンのもと、宗教指導者を投獄し殺し、寺院やモスク、教会を破壊し、文化遺産を略奪した。人々が祈りの言葉を唱えることも許さなかった。
 ところが、その結果信仰は地下にもぐり、弾圧を受けるたび熱を帯びた。文革が終わると、たちまち地上に飛出し、以前に増して大きな力を持つようになった。いまや漢人の間でも、仏教やキリスト教の信者は無視できない数に上っている。「中国化したマルクス主義」では、人々は心の平安が得られないのである。

 「弁法」施行に対して、西側の公式筋もペキンウォッチャーも、宗教弾圧とか信教の自由を奪うものといった評価をしている。もちろんそれは否定できない。しかし、中共中央は、何のためにたてつづけに似たような「法律」を二つも施行したのか。
 この行き着くところは漢人の国民国家の建設である。支配者は言語と宗教から少数民族の漢化を進めているのである。学校教育をすべて漢語で行う方針は、昨年の内モンゴルを最後にあまねく少数民族地域に徹底した。これによって子供同士の会話は漢語になる。これからチベット文字もアラビックもモンゴル文字もろくに読めない青少年が続々生まれるだろう。
 ひとごとではない。かつてわが大日本帝国はこれと同じことをアイヌ人と琉球人にやり、最終的にはアイヌ文化と琉球文化をただの観光資源にした。また朝鮮人と台湾人に「創氏改名」を迫り、国家神道を強制し、「皇民化」をはかったことがある。
 
 中国革命の父といわれる孫文は「五族共和」をとなえたが、後にこれを捨て、「満・蒙・回・蔵をわが漢族に同化させ、一大民族主義国家としなければならない」といった。中共中央は孫文の構想した漢民族の国民国家・「中華民族の大家庭」の完成を目指し、日夜奮闘努力している。
 青海省でもチベット人の学校教育言語を漢語にし、寺院を完全に管理下に置いた。そこで今度は回族にとりかかったのである。
 回族の友人たちがモスクへ行くわけにはいかず、家の中で「アラーッフ、アクバール(アラーは偉大なり)」と小声で唱えるのが聞こえてくるようだ。

初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion11437:211029〕




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