国家は、戦死を美化する。国民の戦意を高揚するために。
- 2021年 12月 8日
- 評論・紹介・意見
- 戦争と平和政教分離・靖国澤藤統一郎
(2021年12月7日)
明日が12月8日。旧日本軍の真珠湾奇襲から80周年となる。「奇襲」とは、要するに「不意打ち」であり、「だまし討ち」ということである。現地時間では1941年12月7日、日曜日の朝を狙った卑怯千万の宣戦布告なき違法な殺傷と破壊。その「奇襲」成功の報に野蛮な日本が沸いた。このとき殺戮された米国人は2400人に及ぶが、その報復は310万の日本人の死をもたらした。
「奇襲」は、常に隠密裡に行われる。臣民たちは政府の対米英蘭開戦の意図を知らなかった。天皇の軍と政府は、国民に秘匿して大規模なテロ行為を準備していたのだ。国民に情報主権なき時代の恐るべき悲劇であった。
毎日新聞が、昨日(12月6日)から「あの日真珠湾で」と題して関係者に取材した大型特集の連載を始めた。6日と7日の記事は、真珠湾攻撃で犠牲になった特殊潜航艇(「甲標的」と呼ばれる)乗組員の遺族を取材したもの。
「甲標的」は5隻、乗員は10名だった。戦死が確認された搭乗員9名は「九軍神」と称揚された。大本営は、潜航艇が戦艦アリゾナを撃沈する大戦果をあげたと発表。実際にはアリゾナの轟沈は飛行隊によるものだったが、飛行隊には戦死した特殊潜航艇乗員を軍神として宣伝するため手柄を譲るように求められたという。
戦死とは、国家が国民に強いた死である。国家はその犠牲を美化しなければならない。美化の最高の形式が神として祀ることであった。その美化は、戦意高揚のプロパガンダにもつながる。そのためには、戦死者の「功績」が必要である。雄々しく闘い「不滅の偉勲」あっての死として飾られなければならない。そのように盛りつけることで、死者は「軍神」となり「護国の神」ともなる。
昨日(6日)の毎日新聞記事は、開戦早々に捕虜第1号となり生存した酒巻和男を取りあげている。言わば、「軍神になり損ねた男」のその後である。本日(7日)は、「軍神とされた男」の話。同じ艇の同乗者として戦死し「九軍神」の一人となった稲垣清の遺族に取材した記事。 「むなしい『軍神』の名」「母『なんで片方だけ』何度も」という見出しが付いている。
「村を挙げて大変な葬儀を開いてもらったようです」。稲垣清さんのおいの清一さん(72)が、新聞記事が出た42年に営まれた葬儀の様子を収めた写真を手に話した。写真には僧侶を先頭に、20代でこの世を去った清さんの遺影を持った男性らが列をなして歩き、道端の人が深々と頭を下げる様子が写る。清さんの生家前の通りは「稲垣通り」と呼ばれるようになり、生家を知らせる立て札もできた。葬儀後も、「軍神参り」に訪れる人の姿は絶えなかったという。
遠方からも清さんを賛美する手紙が届き、清さんの生家があった場所で暮らす清一さんが今も保管している。ある手紙には、色鮮やかな軍艦や戦闘機の絵とともに「大東亜戦争勃発のあの日の感激、ラジオの声に一心に聞き入った僕等一億国民の胸は高なるばかり」などとつづられていた。」
しかし、遺族がどんな気持ちで戦死の知らせを受けたのか、今語ることのできる人はいない。ただ、清一さんは次のように話している。
終戦から10年ほどたったある日、清さんと同じ潜航艇に乗り込み米軍の捕虜になった酒巻和男さん(99年に81歳で死去)が墓参りに訪ねてきたことがあった。ほとんど会話もなく酒巻さんが家を去った後、清さんの母は「なんで片方だけ」と漏らした。「生きて帰った酒巻さんを見て、息子を兵隊にしたのを後悔したのではないか。その言葉は、その後も何度となく聞きました」という。
息子の死を悲しみ兵隊にしたのを後悔したのが、「軍神の母」の本心であったろう。「戦死した軍神の母」よりは、「生きて帰った捕虜の母」でありたいと願うのが、母の心情というものではないか。
「『軍神の家』にされて、いいことなんてなかった」「当時を思い出すとつらい、苦しい」「戦時中、戦死や特攻が名誉とされた。でも、結局は戦争の駒とされたのも事実」などと、他の軍神遺族の言葉が紹介されている。
戦死の美化は、80年経過した今に続く。昨日(12月6日)、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」が、集団参拝した。コロナ禍に妨げられて、2年2か月ぶりだという。参拝したのは衆院議員68人、参院議員31人の計99人。参拝後、尾辻会長は「国難に殉じていかれたご英霊に、コロナという国難に見舞われております日本をしっかりと守ってくださいとお願いをしながらご参拝をさせていただいた」と述べた旨報じられている。
この「靖国派議員99人」の頭の中は、9人の戦死者を「軍神」に祀り上げたあの時代の軍部や政府とまったく同じなのだ。まず戦死を美化しなければならないとの思いが先行する。「軍神」の替わりに用いられる言葉は「英霊」である。戦死者を「英霊(すぐれたみたま)」とするのは、侵略戦争を聖戦とする立場からのみ可能となる。のみならず、首相や議員の参拝は、国威発揚、戦意高揚の手段とされている。
彼らはこういう信仰をもっている。「靖国神社には国難に殉じたご英霊」が祀られており、「ご英霊には、国難に見舞われている日本をしっかりと守る」神としての霊力が備わっている。今、目の前にある国難はコロナである。しかし、国難はさまざまといわねばならない。かつて、鬼畜とされた米英も、膺懲すべき暴支も不逞な鮮人も、すべて国難の元兇とされた。
そして、軍国神社靖国の240万柱の神々は、「次に戦争する相手国」に打ち勝つ加護をもたらす霊力をもっており、靖国神社参拝はその神の力の確認と祈願の機会なのだ。
12月8日、あらためて平和を誓わねばならない。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2021.12.7より
http://article9.jp/wordpress/?p=18097
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11552:211208〕
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