新宿の、越年越冬~あれから29年目の冬
- 2021年 12月 18日
- 時代をみる
- ホームレス笠井和明
古い「寄せ場」の山谷から、「越年越冬広域パトロール」で回り歩き、野宿者問題の深刻さが消化がなされぬまま、まもなく強行された東京都による「強制排除」(1994年2月17日)と、それとのたたかいが始まった1993-1994年の冬(バブル崩壊期)から早、29年目の新宿の冬である。1980年新宿駅西口の「バス放火事件」を契機に、「浮浪者狩り」「環境浄化」と銘打った警官同行パトロールが、年末となると頻繁に行われていた。「保護」すると言いながら、実はそれは名目だけで、実際は、ただ追い出し、追いまわすだけのパトロールであった。木枯らしが吹く都会の冬、救世軍の「社会鍋」の侘びしい鐘が街中に流れる頃、クリスマスの鐘が鳴り好景気に浮かれた一般の人々が、うきうきと家路を急ぐ中,その裏では、せっせと「浮浪者狩り」。こう云うふざけた社会の構図は、別の階層からの新たな「犯罪」や「事件」を引き起こすだけであったが、野宿者の新宿の地(新宿駅西口地下の4号街路を中心にした)での増大が、その流れをとたんに変えて行ってしまった。追い出しても次々と来るのであるから排除する側も埒が明かない。そして、その頃、私たちは新宿の地に流れついた。
私たちは行政の「浮浪者狩り」ではなく、野宿労働者を中心にした、「追い出し」でもなく「救済」でもない、仲間が仲間を支える「人民パトロール」を対峙し、仲間を組織し、冬場で凍死者が続出していた新宿地に「仲間の力で仲間を守ろう」と、活動家なり、当事者による有志の活動が開始された。それが、そこから続く、私たち新宿連絡会の始まりでもあった。
そんなことを思い出すのは、未曾有のパンデミックと、その影響が収まりかけた頃、放火されたバスと同じ「京王帝都電鉄」の、今度は電車の中で、とある青年が面識もない人々へ「傷害」を加え、車内に「放火」をした世間を騒がせる大事件が、あったからか。
燃え盛る電車の火の映像を見ていると、あの時の「火」と、そして、その後に起こる幾多の「火」と、何が違うのであろうか?変わらぬこの世と、この街に、どこか、どんよりとした気分になる。
希望の「聖火」は華々しくリレーされるが、絶望の「火」は、傷が癒えたと思う頃、再びやってくる。
その頃に知りあった一人の沖縄出身の仲間が、先日「自死」した。
「おかげさまで人が死にました!」とサラリーマンばかりが行き交う通路の中で彼は一人で叫び、叫び、仲間が冷たく横たわる段ボールハウスに泣き崩れていた。若い当時の彼は、生き抜く術を知らなかった。が、自分の感情のなすまま語ること、そして転がりながら生き、人知れず野たれ死ぬこと、それが普通なのだと云うことを、路上に流れ着き、新宿のどん底生活の中、始めて知ったのだろう。
最近も歌舞伎町の広場で酔いつぶれていたり、殴られていたり、そんなことを繰り返し、金がなくなればなけ
なしの物を売りに、連絡会の事務所にもちょくちょく顔を出していた。別に人様に好かれようとも思わない、機嫌も取らない、嫌われたり、邪険にされることが、自らの誇りのような、そんな無頼な男だった。それでも、彼なりにしっかり生きて来たと思うのだか、人生のピリオドは、権力の手でもなく、他人の手でもなく、自らの手で打つことが潔いとでも思ったのであろうか。やたらと他者を刺激し、世間を挑発し続け、その揚げ句、自分だけがあっけなくである。彼らしい終わり方ではあるが、何とも切なく、そして、寂しい。
いずれ地獄で会えるだろうから、改心などせず、神にひれ伏すことなく、同化されることもなく、ただひたすらそこで待っていておくれ。
「ジミー」よ……。
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冬である。同じことの繰り返しでも、毎年、実は真面目に考えている。
今年の冬の動向は?そして、どうしたら路上の命が守れるのか?を。
ホームレスと云う、社会からする特異な存在は、何につけ「劇場型」でなければならぬような今日、何かの象徴になってみたり、政治の道具になってみたり、「貧困」だ、「貧困」だと、センセーショナルな取材のネタになってみたり、何かと表ではあれよこれよと言われてしまうのであるが、その実、その内側にいれば、ちょっと不器用な人々が多いのではあるが、それも含めて、まあ、実に普通の人々である。普通の人はホームレスなどにならないと云う向きもあるだろうが、いやいや、普通の人だからこそ、ホームレスになっても、多少の困難などには負けず、そのまま生きていけたりもするのである。
「自立」、「自立」、とせかしてみても、齢五拾を過ぎたら、夢も希望も欲も、へったくれもありゃしない。確たる生きる標もなく、守るべきものは自分の身以外はない。かと言って死ぬ気力もなく、大きな変化を求めず、まあ、そこそこ普通に生きていければ良いとするのは、ホームレスでなくても同じである。
まあ、それでも冬はちょっと厳しい。寒いと云っても凍えるほどではなく、隠れる場所、紛れ込む場所が多くある新宿は路上の人々にとっては恰好の場所ではある。
なので、新宿に多くの路上の仲間が居る。それだけと言ってしまえばそれだけである。あとは何とか、この冬将軍と闘い、仲間と共に生き残ること。
新宿駅を中心とする路上の人々の数は「コロナ渦」の中でも年々減ってはいる。こちとら29年も定点観測をしているのであるから、路上の人々の実態と数とニーズについては下手な「専門家」や「社会学者」よりは詳しい。それを、増えた増えたと宣伝して、何かを煽ろうとする輩がいるから、この世界は面倒臭い。「フェイク」情報に躍らされたりもする、非常に脆弱な社会であるから尚更でもある。
それはともかく概数であれば160~170名前後、新宿駅周辺や区内の野宿者集住地を合わせるとそこで寝ている人は確認できる。コロナ規制の中で「夜の街」を行き交う人々の列が一時期ぐっと減ったが、そんな街の動きとは連動せず、底辺でしっかりとその数を守り続けている。それでも大きくは減らないが、亡くなってしまう「自然減」のようなものもあり、また救急車で運ばれることもあり、「生活保護手配師」(だいたいは埼玉や千葉へ)に連れられて行くケースがあり、自ら福祉事務所に行くこともありと、減る要素と云うのは、住込み仕事以外に多くあるのであるが、毎年微減のままである。これは東京都が実施している概数調査の動向とほぼ同じである。
もちろんゴールなど見えはしない。ホームレスが零になるなることは、誰も期待していない。東京都も新宿区も、じょじょに減って行けば良いとしているので、そうそう大きな数的な変化は現れない。物事はそれ以上「手」がなければ固定化する。「寄せ場」が残ってしまった大都市には、路上生活者もまた残る。それで良いのかも知れないが、「不法占拠万歳」「都市雑業万歳」は、そんなとこで落ち着くのか、落ち着かないのか。まあ、何とでも評価すれば良いが、残った人々で冬を越え、何とか頑張ろうやと云う取り組みは、形は変われど、何となく続いていくのであろう。
新型コロナウィルスの関係で、「炊き出し」と呼ばれている「食事提供慈善活動」は、その場で作ることは少なくなり、どこも弁当などの配布に変わったようである。もちろん食い物は生きる上で尤も大事なので、色々な手を変え、品を変えで、宗教の人々も個人の方々も考え、対応しているようである。一時期はホームレスのために炊き出しをしたいんです、なんて云う学生さんからの相談が結構あったが、今はそんな話はとんとなく、ホームレスさんのために何を手渡したら良いのですかと、サンタクロース型の支援、ボランティアをしたい人が増えているようである。
今は「炊き出し」をしてもそうは多くの人は集まらないようである。食事提供の機会が増え、分散をしていることや、食に対するニーズと云うのも多様化している、何でも食べられれば良いやと言う程、困窮はしていない。「炊き出し」が毎日3食あるわけではなく、それがない時でも、教会なり、寺なり、福祉なり、支援団体なり、どこかへ行けば食いつなぐことは出来る 。 そこの状況はだいぶ変わった。
しかし、冬場は冷たい弁当よりも炊き出しの暖かい飯であろう。暖かさが人の心を和ませる絶対のものでもある。毛布やら防寒着やら、身体を暖めるアルコール類の提供やらはニーズに応えて来たのであるが、食事に関しては場所の問題、衛生の問題もあるので、あまり応えきれていなかったのかも知れない。なので、今年の年末年始は「暖かい炊き出し」を毎日出すと云うことにした。オリンピックも終わったことだし、コロナも大きな山を越えたみたいだし、何だかんだと少ない面々で前の通り、あまり目立たず、忘れられた頃、ひっそりとやるのも連絡会ならではである。このように、私たちは、毎年「冬」を真面目に考えているが、その実、深刻には考えていない。前々から言っているが、今どきは年末年始だから人々が困るわけではない。年末に借金の取り立て屋が来て、住む場所を失ってなんて、都合よく、ステレオタイプのよう、人々が路上に転がりこむわけではない。
時代は、良くなったのか悪くなったのかはともかく変わった。それと同時に貧困の在り方も、地域の在り方も、救済の在り方や質も、また変わった。その変化をしっかりと考えたいものである。
流れ、流れ着いた新宿から、木枯らし吹く路上から、俺ら底辺の民は、どれだけの仲間が居て、そして、仲間と共にどこを目指し、生きれば良いのか。
越年越冬は、そんな「問い」への答えを見つける、永遠の試みなのかも知れない。
まあ、そんなわけで、俺らは、命尽きるまで、新宿の底辺の地で、場末の地で、路上から、「春」を見いだせればと思うのである。
(了)
初出:「新宿連絡会NEWS VOL82」より許可を得て転載 http://www.tokyohomeless.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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