中国ウルトラ・ナショナリズムを批判する(三)
- 2021年 12月 24日
- 評論・紹介・意見
- 柏木 勉
「社会主義市場経済」はアジア的専制にマッチする
中国共産党はといえば、ソ連崩壊後もその支配体制は揺るがず、現在も、アジア的専制そのものです。それは共産党指導下の「社会主義市場経済」のもとで、「一般国民は政治に口をだすな。それは許されない。わが党・政府の支配に反するようなことを口にだせば、国家政権転覆罪だ、 国家政権転覆扇動罪だ。お前たちは市場経済のもとで金儲けと自分のことだけを考えて動き回っておればよいのだ」というもので、正に天下二分の体制=アジア的専制の体制を引き継いでいます。鄧小平の南巡講話での白猫・黒猫論は有名ですが、同じ講話の中で次のように云っています。天下二分論としてきわめて印象的です。
「政治は共産党が今後とも支配する。代わりに「ネズミを捕る」のは(金儲けは)できるところから始めよ」
「三つの代表論」などを見ても、それは市場経済によって成功した優秀な経営者やエリートを党内に抱きこみ、党外でも私企業のエリート層と利害を共にするネットワークをつくるものでした。党内、党外ともに立身出世と利権獲得をはかる利権集団を形成したわけです。これはアジア的専制の柱であった科挙とその合格者に寄生する宗族、地域という体制と同様であり、装い新たな天下二分体制にほかなりません。実質的に共産党だけが唯一政治的に組織された存在であり、共産党が至上の権力として民間(庶)から人材を引き抜くのはかっての科挙と同じです。
これが、党・政府とのコネクション、レントシーキング等々を跋扈させ、いわゆる貧富の格差拡大、利権集団の形成による腐敗・汚職を生み出す最大の要因です。中国王朝が抱えてきた腐敗・身分格差と同じ構図になっています。
また経済的には高度成長が実現し「いわゆる小康社会」を達成したと宣言されましたが、民間は政治的には自律的な力を全く持っていません。司法の独立など無視されていますから、党の方針が絶対です。最近では習近平が打ち出した「共同富裕」にも民間は従順に従うだけです。「共同富裕」は格差縮小をはかるものではありますが(その施策、遂行手段は全く粗暴です)、国民が主体となって打ち出したものではなく、あくまで慈悲深い党が上から打ち出したものでしかありません。従って「社会主義市場経済の成功」で国民は共産党の慈悲に感謝しなくてなりません。現に中国国内いたるところに「共産党に感謝しよう」との横断幕が掲げられています。
ですから「社会主義市場経済」はアジア的専制にマッチしたものなのです。「社会主義と市場経済(資本主義)は両立するのか」という問い自体が誤りです。
天下二分、一党独裁は公理
この天下二分の体制は共産党にとって絶対譲れないものです。つまり一党独裁(プロレタリア独裁ではありません)による天下二分の体制堅持です。そして、この一党独裁は絶対的な公理のごときものになっています。公理ですから論理的に説明する必要はありません。「中国の特色ある社会主義の核心は、中国共産党が指導し支配していることにある」というような公式見解がのべられますが、まるで説明にならない同義反復、「言語明瞭・意味不明」そのものです。おなじようなことを色々なところで述べていますが、例えば、2017年の第19回党大会における習近平報告では次のように述べています。
「中国の特色ある社会主義の最も本質的特徴は、中国共産党の指導であり、中国の特色あ る社会主義の最大の優位性は、中国共産党の指導である 。党は、最高の政府指導パワーであり、新時代の党建設の総要求を提起し、党建設における政治建設の重要な地位を際立たせた」
◆王岐山 「党がすべてを指導する!」
このような公式見解を披歴して平気でいられるのは、一党独裁を公理としているからです。「反腐敗」の中心人物で習近平の盟友とされてきた王岐山(現在国家副主席)はつぎのように述べて一党独裁を正当化しています。
「我が国の人民民主と西側のいわゆる憲政は本質的に異なる。・・・・我々は党の指導、人民が主人公となること、法による国家統治の三者の有機的統一を主張しているが、最も根本的なのは党の指導である。・・・・党の指導の堅持を人民が主人公になることや法による国家統合と対立させてはならず、いわんや後二者を持って党の指導を動揺させたり否定したりしてはならない・・・・」。 また同じ講話のなかで次のように続けています。
「わが国では東西南北の至るところ、労働者、農民、商人、学生、軍隊、政府、諸党派のすべてを党が指導するのだ。・・・・・中華民族の伝統文化は次のことを決めたのだ。我々の国家と民族の発展には必ずや一つの主軸がなくてはならぬ。中華民族が繁栄・富強・文明に向かって発展するには一つの強固な指導的核心があるべきで、この指導的核心を取って代えることはできず、これこそ執政の中国共産党なのだ!」(王岐山・2015年在中国共産党第十八届中央規律検査委員会第四次全体会議上的講話)
党がすべてを指導する! スターリン主義と同様、これほどあからさまに共産党を全知全能の存在として強調し称賛するとは!スターリンが権力を握ってから100年弱。21世紀も四半世紀が経とうというのに、相も変わらず時代錯誤もはなはだしい。ここでは人民の主体性はまったく無視され、口先だけは「人民が主人公」といいつつも、党が根本であり主人公であると断言しています。習近平も全く同じ考えです。いうまでもなく社会主義とは全く無縁です。
現に中国共産党結党以来100年たちましたが、これまで人民が主人公になる気配・主人公にする改革の気配すらありませんでした。現在もないことはご承知のとおりです。共産党はこれからもそれを許さない。なにしろ党がすべてを指導するのですから。
(1980年代後半に、胡耀邦、趙紫陽は少しはましに思われた政治改革に努力した。しかし党内で抑え込まれ、両者ともに失脚しました)
◆スターリン 「党の党員ほど高いものはない」
ここでちょっと前に戻ってしまいますが、一党独裁の本家・ロシアのものを見ると、かって、スターリンはレーニンの葬儀直前の二日前、第二回ソヴィエト大会で演説したそうです。元チフリスの神学生はレーニンを神に祭り上げ、いかにもレーニンを讃えるかのごとく、古スラブ風の聖職者的連禱による寄せ集めの奇怪な祈祷文を読み上げ、ついで次のように述べました。
「我々共産主義者は特殊な性向をもつ人間である。我々は特別な素材で彫られている。我々は革命の大戦略家の軍隊・同志レーニンの軍隊を構成する。この軍隊に所属する名誉ほど高い名誉はない。その創設者・指導者が同志レーニンであった党の党員ほど高いものはない。このような党の党員たることは、誰にでも許されるものではない。このような党に所属することにかかわる不幸と嵐に耐えることは、誰にでも許されるものではない。・・・・・」(ボリス・スヴァ―リン「スターリン・下」、教育社1989年)
また俗悪な「レーニン主義の基礎」でレーニンの「国家と革命」から以下を引用しています。
「プロレタリアートの独裁は、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの支配であって、法律によって制限されず、暴力に立脚し、かつ被搾取勤労大衆の共鳴と支持とを得ているものである。」
(スターリン 「レーニン主義の基礎」 大月書店 1966年)
◆ピャタコフ 「党外にあること、それは零ということだ」
もう一つ紹介すると、党を除名され復党願をだしていた(1929年前後)トロツキー派最初の背教者ピャタコフは次のようにのべました。恐るべき言明です。かなり長くなりますが引用します。
「・・・・・いかなる法にも、いかなる制約にも、いかなる障碍にも束縛されぬという自由な暴力に立っているとき、・・・・・行動不可の範囲は極度に圧縮されて零に至る・・・・・不可、実現不能、許容できぬといわれるものを全て実現するというイデ―を担う党、それがボリシェビキだ・・・・・その党内に身を置くことの栄誉と幸福の為なら、我々は矜持も自尊心もその他全ても犠牲に供すべきなのだ。党に復帰するに当たって我々は党から指弾を受けた信念を頭脳からたたき出すのだ。反対派に属していた時に我々が擁護したもの、それがその信念であったとしてもそうするのだ・・・・・暴力に関する思想に貫かれる我々は、その暴力を我々自身にふりむける。そして、党が要求するならば党にとって必要であり重要ならば、多年にわたって持っていたイデ―を24時間以内に頭脳からたたき出すという意志行為をあえてなしうるのだ・・・・・自分自身を破砕して党と全く一体化するためにこの暴力にうったえるということ、その事の内にこそ本当の思想的ボリシェビク・コムニストの本質が現れる・・・・・私が白とみなし、また私に白と見えたものをこれからは私は黒とみなす。というのも党の外では、党との合致なくしては、私には生がないからだ・・・・・党外にあること、それは零ということだ・・・・・党がその目的実現のために白を黒とみなせと要求するなら――私はそれを受け入れ、それを自分の信念にする・・・・」(内村剛介編「ドキュメント現代史4・スターリン時代」 平凡社 1973年)
この恐るべき党物神化!極限化された党フェチシズム! ボリシェビキにとって法の制約など無論存在しない。禁止されるべきものは一切ない。自由な暴力をもって何をしても良いのだーーー
「行動不可の範囲は極度に圧縮されて零に至る」ーーー。
党に「白を黒とみなせ」と要求されれば、それがどれほど苦痛で過酷であっても応ずる。なぜなら党の外は「零」であり、生きる意味がないからだ。そうであるならば党の外にいる民衆、普通の人間の価値も零となる。零の存在ならばどうなるのか?
これが大粛清、大量殺戮、大量死に至る飢餓、極地への大量追放、収容所群島構築の大きな要因になったことは当然のこと、必然です。
(続く)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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