コロナ規制で萎縮する批判精神
- 2022年 1月 21日
- 評論・紹介・意見
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今月末からサッカーW杯最終予選の2試合が日本で開催される。日本サッカー協会は外国人入国禁止の中で、「政府から外国チームの入国に特別許可をいただいて感謝する」というコメントを発表した。東京五輪を開催した日本政府が、もったいぶって、W杯予選のための入国を「特別に認め」、それにたいして「感謝する」というサッカー協会の態度に腑に落ちないものを感じる。ところが、さらにその後、最終予選の試合に参加したJリーグの日本人選手は一律2週間の自主隔離に入るという政府の条件が課せられ、担当の専務理事や協会会長が「自主隔離期間の短縮を求めない」という不可解なコメントを発表した。
試合に参加してコロナ陽性反応がでた場合には仕方がないが、陰性陽性にかかわらず、試合に参加したという理由で一律2週間の自主隔離を求める理不尽な条件にたいして、サッカー協会幹部は何の異議を唱えることなく、「仕方がない」と受け入れてしまった。2週間も隔離されてトレーニングができなければ、Jリーグの開幕に間に合わない。Jリーグのチームが代表派遣を断れば別の問題が生じてくる。いったいサッカー協会は誰のために存在しているのか。サッカー選手やチームの利益のために動くのが当たり前ではないか。にもかかわらず、最初から「仕方がない」とは何とも頼りない。
この理不尽な条件に声を上げたのが、ヴィッセル神戸の親会社の三木谷浩史氏だ。2週間の自主隔離にたいして、「頭がおかしいんじゃないの」とツイッターで批判して問題が明るみに出た。「移動の自由、人権、営業権の侵害だ」と声を上げた。さらに三木谷氏は根拠なく「行動の自由を制限するのは憲法違反だ」とまで言い放った。この批判は協会幹部だけでなく、政府にも向けられたものだ。「いったい協会幹部は誰とどのような交渉をしているのか。試合をしただけで2週間隔離など、いったい政府のどこの誰が決めたのだ」と言いたいのだ。
三木谷氏の怒りはもっともで、少なくともサッカーファンの多くは拍手喝采を送っている。ところが、他のJリーグのオーナーたちは沈黙を守っている。協会もまずいと思ったのか、自主隔離期間短縮の「嘆願書」を出したようだが、いかに及び腰である。サッカー協会は、最初からお上の言うことを承るだけの存在になっている。こんな頼りない協会では選手が可哀想だ。異を唱えないオーナーもオーナーだ。なぜもっと声を上げないのか。もっとも、サッカー協会だけでなく、右翼左翼にかかわらず、日本中が「ゼロコロナ規制の罠」にはまって、批判精神を萎縮させている。まるで戦時体制のようだ。過剰規制の批判者の多くが、右派の論客だというのが興味深い。日頃「憲法を守れ」と叫んでいる左翼の低迷理由が分かる。「物分かりが良い」振りをしても、支持者は増えない。見え透いた世論への忖度が見破られているだけでなく、本来の鋭い批判精神が発揮されない凡庸さに、魅力が感じられないからである。肝心なところで、その神髄が発揮されていないのである。
そもそも「試合に参加したら2週間の隔離」など、誰が考え出したのか。スポーツ庁の幹部か、それとも厚生労働省とスポーツ庁との交渉の中で、厚生労働省側の担当者が編みだした案なのか。スポーツ庁はサッカー協会に命令を伝達する機関なのか、それともスポーツ協会を支援し援助する政府機関なのか。さすがに根拠のない2週間隔離は取り下げられ6日間隔離になったが、問題は数字ではない。決定プロセスが上意下達になっていて、協会がその役割を果たしていないことだ。三木谷氏が批判しなければ、理不尽な14日間の隔離が決まっていた。
問題の根源は「鎖国」から派生している。「鎖国」という前代未聞の日本政府の対応に異議を唱えている政党はいない。「世論が厳しい措置を歓迎している」から、異議を唱えて批判されるのが怖いからである。日本政府は国際的な隔離動向を見ながら自主隔離期間を判断しているようだが、他の先進諸国より厳しい措置を保持することで、「より厳しい水際作戦」を遂行していることを示したいだけなのだ。「鎖国」がもたらす社会的経済的損失には目を瞑り、とにかく世論の批判を受けないようにしている。だから、官僚組織は政府方針に従い、担当者は厳しい措置を保持し、さらにより厳しい措置を編みだして人々の行動を規制しようとする。世論がそれを支持していると見ているから、より強い態度で管轄団体に対応している。こういう状況で、省庁の管理下にある団体は政府批判を抑制し、政府からの指令を受け取るだけの存在に成り下がっている。このような協会に価値はない。
感染が猛威を振るっている英国でも、陽性からの隔離期間が5日に短縮された。日本もそれに対応して自主隔離期間の短縮を決めているが、依然として、感染の有無にかかわらず一律10日である。鎖国は2月末まで維持される。人々はそれにたいして異をとなることなく、世論は感染拡大だけを騒ぎ、専門家と称する人々は「軽症者が多いとはいえ、感染が拡大すれば重症者も一定数で増え、医療圧迫する」というコメントを念仏のように発するだけだ。
日本中がオミクロンに狂騒しているが、1万人の感染拡大で死亡者1人であれば致死率は0.0001%で、インフルエンザ以下になる。重症者が10名であれば、重症化確率は0.001%である。新たな状況を分析することなく、「一定割合で重症者が増えるから油断できない」という専門家のコメントは、感想以上のものではない。こういう議論をきちんとできずに、右も左も「行動規制や鎖国」に異を唱えることがない翼賛社会は不幸である。日本と同じく「ゼロコロナ」政策で、市民の行動の自由を奪っている専制国家中国を嘲笑する資格はない。
ジョコヴィッチ選手をめぐる問題
テニスの全豪オープン参加をめぐるジョコヴィッチ選手の問題は、オーストラリアの入国規制の問題、ジョコヴィッチ選手の規制要件軽視の問題、全豪オープン主催者とヴィクトリア州の問題、セルビア政府の態度に分けて考えなければならない。
オーストラリアは日本のように鎖国をおこなっているわけではない。接種証明を条件にしているだけだから、それをクリアすれば最初から問題はなかった。また、オーストラリアは、直近の感染(証明)によって接種を免除していないのだから、12月の陽性証明は入国条件に当てはまらない。ジョコヴィッチ側はこの条件を知っていたと思われるが、駄目元で主催者に申請したら、認められたと言うのが事の真相だろう。
したがって、今回の混乱の最大の原因は、全豪オープン主催者とヴィクトリア州が直近の陽性証明で接種義務は免除されると判断したことだ。この裁定がなければ、ジョコヴィッチはオーストラリアへ出発することはなかった。実際、ほとんどの国では直近の感染証明を接種証明と同等に扱っている。だから、興行主はなんとかなると判断したのだろうが、ジョコヴィッチだけにそれを認める政治判断をオーストラリア政府は下すことができなかった。これはオーストラリア国内の規制内容の是非にかかわる問題である。
ジョコヴィッチ選手個人がワクチンを受けたくないという意思は尊重されなければならない。接種が参加条件なら全豪オープンには参加しないという態度を、最初から明確にすべきであった。そうすれば、オーストラリアの入国規制の問題点を明らかにすることができた。しかし、参加に拘り、裏技を使って入国した。しかも、それがやぶ蛇となって、入国申請書類上でスペイン旅行を隠したことが発覚した。コロナ禍でも欧州内の移動はかなり自由で、PCR検査の陰性証明があれば簡単に入出国できる。だから、スペイン旅行が問題になることはないと考えていたのだろう。しかし、形式的な問題とはいえ、虚偽申告はアウトである。
他方、セルビア政府はジョコヴィッチ選手が外交旅券を保持していることを強調し、無条件で入国が認められるべきだという主張を展開した。しかし、外交団として訪問する場合を除き、先進国では民間人が外交旅券を使って個人旅行することはない。しかし、旧社会主義国ではこの点の規範が非常に曖昧で、私的旅行に党幹部、政府高官や政治家が外交旅券を使うことは稀ではない。これは社会主義時代に、特権階級が外交旅券を保持して旅行した名残でもある。だから、体制が変わっても、公私を峻別するという社会的規範が緩い。しかし、先進国では私的旅行での外交旅券は厳しく制限されている。セルビア政府がジョコヴィッチ選手に外交旅券を与えるのは自由だが、それが国際的に通用するかどうかは別問題である。この点で、「テニス界のNo.1だから世界に通用するはず」という甘えがあった。
しかし、もういい加減、意味のないコロナの過剰規制措置は順次撤廃してもらいたいものだ。ジョコヴィッチ選手のオーストラリア入国問題が、コロナ禍の過剰規制のエピソードになるのは何時の日だろうか。
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