リハビリ日記Ⅴ ⑪⑫
- 2022年 1月 22日
- カルチャー
- 河野多恵子瀬戸内寂聴阿部浪子
⑪ おんな作家の嫉妬
タマエさんの畑にえんじ色のキクの花が咲いている。冬ギクの茎はまがっていて、姿はあらあらしい。傍らにミカンの木がある。1メートルもない小さな木に黄色い実が、たくさんなっている。どんな味がするのだろう? おねだりした。あっさりした甘みだった。
「ふざけんな」赤木雅子さんの怒りはもっともだ。財務局の職員だった夫の、強制的な改ざんによる自死をめぐって、赤木さんは「真実を知りたい」と願ったのに。その切実な欲求を判決はふみにじった。裁判は打ちきられたのである。人が人をないがしろにしていいのか。つくづく思う。強者は弱者の足をふみつけても気づいていないのだ、と。
3人の死刑執行もあった。へんてこな国だ。生きているかいもない。さびしい国だ。
12月下旬、作家、瀬戸内寂聴にかんする文章を20枚、書きおえた。寂聴は11月9日に他界している。明年2月発行の「ユリイカ」増刊号に掲載される。
髪も爪も伸びほうだい。公共料金を払いに郵便局に行く。帰り、下からの猛風にあおられ足がすくんでしまった。駐車している車にしがみついた。どうしよう。通りかかった自転車の高校生に手をふった。あめしまさん。虚空蔵寺近くに住んでいるという。利発そうな生徒だ。右腕をとってもらって拙宅まで歩く。わが母校、新津中学の後輩かもしれない。〈あなたとまた会えるかしら〉〈会えると思います〉ほっとした。発症後、地域の民生委員にもわが姉妹にも、わたしは右腕をとって歩いてもらっていない。あめしまさんの右腕はたのもしくて、あたたかかった。
熊本のサン・プロジェクトからパンフレットがとどく。「にんにく卵黄」の製造会社だ。ここから「ブルーベリーエキスカプセル」を定期購入している。パンフレットの表紙には従業員一同の写真。中村さんはすぐにわかった。吉田さんはどの女性だろう。今回手紙文を書いている村山さんも見当がついた。どの人も文章を書くのが好きなようだ。
村山さんは、自身の思い出を素直につづっている。気持ちのいい文章だ。現在のテレビ番組に触発されつつ75年前の思い出をたぐりよせている。敗戦後の中学時代に英語の授業をうける村山さんは、はつらつとしていた。
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瀬戸内寂聴のことを書きおえて「ユリイカ」編集部に送稿したあと、ふと思いだしたのだった。〈河野多恵子は気がつよかったよ〉ある編集者が語った言葉だ。昨年ラジオ番組で寂聴が、河野の大庭みな子への裏切りについて話した。
3人は親しく交際していたという。しかし、河野は大庭を裏切った。そのことを寂聴は暴露したのだった。想うに、寂聴もまた、河野に裏切られているのではないか。大庭の怒りは、じつは寂聴自身のそれでもあろう。
寂聴はさらに、河野の裏切りは嫉妬によるものだと解説した。
おんな作家の嫉妬か。よーくわかる。人の嫉妬は、学歴とも社会的地位とも実力とも関係がない。女が女に嫉妬する。姑根性みたいなもので、女が女の成長のつばさを切りたがる意地悪なものだ。嫉妬は男どうしにだってあろう。人の自然な感情かもしれない。
しかし、人の裏切りは、理性や意志で抑制できるものではないか。卑しい行為にちがいない。
〈気がつよい〉ばかりが能じゃない。もし河野にしなうようなつよさがあったなら、平林たい子記念文学会は存続されたであろう。そして平林たい子文学賞も。後進の書き手、文学者は育成されたにちがいない。たい子の尊いこころざしは全うされたと思うのだ。
⑫ おんな作家のけんか
12月31日早朝、南の窓を開けると、淡雪が舞っていた。静かだ。辺りは明るい。澄んでいる。浜松は雪が積もるほど降らない。幼年時代に1度だけ雪だるまをつくって遊んだ記憶がある。上京後、東京、埼玉の積雪にはおどろいた。まずい歩き方をして3回もしりもちをついている。痛かった。その場所もおぼえている。
午後、メールを発信する。社会評論社の松田健二さん、近代文学・プロレタリア文学研究家の大和田茂さん、ちきゅう座の安岡正治さん、秋田県立大の高橋守先生、友人のただよさん。それぞれへ、1年の感謝の気持ちをこめて。
スーパーマーケットのちくわが短くなった。おにぎりのシャケの量が減った。値上げの連鎖だ。貧者には深刻な問題である。
「健康広場佐鳴台」に行く。2022年最初のリハビリ教室だ。格別寒い、冷たい日である。欠席者が何人かいた。新入生もいる。介護士の戸塚先生が今年の目標は? と尋ねてきた。〈スタスタ歩けるようになること〉と、わたしは応えた。
階段2段の上り下り運動は、たのしい。スピードをつけて20回行なう。先週、リハビリ専門スタッフの大瀧先生から、スピード感をつけて行なうよう指示されていた。〈こちらから見てましたよ。よくできてました〉大瀧先生はにっこりする。たしかに、ゆっくり行なうよりは動作が機敏になるようだ。
スタッフは手をぬいてはいない。先週の弱点は今週に検証される。さらに来週へ。スタッフ7名の連係指導が「健康広場佐鳴台」では徹底している。指導方法として、わたしには得心がいくのである。
ハードル運動も毎週行なっている。これまでの前歩きに横歩きがくわわった。横歩きは刺激的で、効果的だ。しぜんに脚もあがってくる。からだも動きやすくなる。そばで見ていた、理学療法士の伊藤先生が〈なによりも、くりかえしですね〉というのだった。
明日、ドン・キホーテへでかけ、携帯電話の新規契約をするつもりだ。初めてもつケイタイ。友人のあつこさんがついていってくれるから、安心だ。
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ずっと前から、おんな作家のけんかについて書きたかった。たとえば宮本百合子と佐多稲子。2人のけんかの背後にある対立が興味ふかいのだ。思想、性格、人間性、生き方などのちがいが浮上してくるのである。
百合子と稲子は、昭和初期のプロレタリア文学運動の渦中から登場した作家だ。どちらも日本プロレタリア作家同盟に所属していた。同志であった。しかし、運動が崩壊し作家同盟が解散すると、2人の関係は険悪になっていくのだ。
百合子は宮本顕治と結婚し、稲子は窪川鶴次郎と結婚していた。夫婦は同志でもあった。
ところが、運動が解体すると、窪川は作家の田村俊子と恋仲になる。不倫するのだ。
夫の不倫を知りながら、しかし稲子はかれと別れる決断をしなかった。それが百合子には許せなかった。同志として堕落に思えたのだった。
しかも稲子は窪川とよりをもどすのだ。いい気なもんだと百合子は怒った。稲子と絶交する。その間のことは、稲子の「灰色の午後」にくわしい。「歯車」も合わせ読めば、稲子の生き方はより鮮明になる。
平野謙が大学院の講義で、この件についてこういった。〈百合子は女性として開発されていなかったのだ〉と。確信ありげに発言した平野の表情が、いまでも印象的だ。稲子は、理性では離婚すべきだと考えながらも、性の欲望や惰性にからだを奪われてしまった。その衝動を、獄中の夫と交渉のない百合子には、身体的にわからなかったのだろうか。
2人のけんかをとおして、宮本文学と佐多文学のちがいの一端もみえてくる。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔culture1043:220122〕
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