ドイツ通信第184号 新型コロナ感染の中でドイツはどう変わるのか(25)
- 2022年 1月 29日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
混沌とするドイツ
ご無沙汰してしまいました。皆さんお元気でご活躍のことと思います。この1か月間の間に、実にいろいろな政治テーマが浮上してきました。それらを理解するのに苦労しています。先ずは、身近なところから一つひとつ整理していきます。
11月から空き時間を見つけ、またクリスマス休み中から1月中旬までは週に4日間立て続けで接種センターに詰めていました。第1回目の「3000万人接種キャンペーン」がおこなわれていた時期に当たっています。年が明けて1月からは第2回目のキャンペーンが開始されました。この間、センターでは1シフト(5-6時間)・1チームあたり70-90人近い接種を済ませ私たちはクタクタになっていましたが、しかし精神的には充実していました。
1月中旬になって接種希望者が激減し、今週からはチーム数を半減した態勢にかわり、それによってこれまでの時間を振り返る機会ができました。
この傾向は、ドイツ全体にも該当するのではないかと考えられます。各州からもそんなニュースが入ってきています。
当初の情報では、私たちのセンターの予約は「2月一杯まで満席になっている」と伝えられていましたから、ここにきて「なぜか?」という疑問が出てくるのは当然のことです。
一部では、「接種疲れ」、「コロナ疲れ」が語られています。
ドイツの現在24時間内の新規感染者数は最高15万人弱で、毎週、記録中の記録を更新しています。保健大臣(SPD)およびウイルス学者の予測では、2月中旬にピークを迎え、他国に見られるようにその頂点を越えてウイルスの弱体化傾向が確認されれば、コロナ規制の緩和もあり得るといいます。一抹の希望を与えようとするものです。
しかし、現実にはオミクロン感染は猛威を振るい、社会各方面での人的欠陥が顕著になり、例えば電車、バス等が間引き運転される町々が、すでに出始めています。
昨日1月24日(月)、政府と各州の合同対策会議が持たれました。「専門家評議会」の提言を受けながら、そこで強調されている〈最後の文脈〉―― ロックダウンを含めた社会的コンタクトの規制強化は議論の対象にならず、「強化も緩和もなし」(首相SPD=ドイツ社民党=ショルツ )の結論が引き出されただけです。
現在までの市民の社会参加、自由への窓口は、基本的に3回接種者にはフリーに開かれ、2回接種者には24時間以内のテストが義務付けられ、その他の市民には閉ざされています。一種の「ブースター義務化」――社会での自由な活動を望むなら〈ブースターを受けよう!〉というキャンペーンです。
しかし、実際は各州によって規制実施の組み合わせが異なってきますから、典型的には例えばサッカー観戦を禁止するところと、全収容能力の何%かに限って許可するところに分れてきます。ショッピングに関しても同様な問題が出てきています。バラつきが見え始めました。すべての組み合わせの説明できる人は、いないはずです。それほど複雑です。
言い出せばキリがありません。しかし、問題はこの“キリのない”ところにあります。「専門家評議会」の提言での指摘は実にこの点を衝いており、以下個人的な理解になりますが、状況の急変に対応できる全ドイツ的な中央政府による統一的な対策基準と具体案の提起を、切に求めているように思われてならないのです。それは、ロックダウンか否かという二者択一論ではないはずです。
「ブースター」の必要性は認めます。それ故に、私たちはこの2か月間、接種センターに通い詰めていました。その勢いが収束していく状況をつぶさに目撃し、体験することになります。
連立政権の強さと弱点が見抜けるのではないかと思います。
〈連立の強さ〉という点に関しては、3党の異なる政治見解の議論が認められることです。それによってテーマの違った角度からの認識が可能になります。「そういう見方もあるのか」という発見から、新しい論拠の組み立ての必要性が出てきて、幅広い意見交換を生み出すことです。そういう議論は、していて楽しいです。
〈連立の弱さ〉という点に関しては、3党の合意を実現していく過程で政治立場上の違いが出てくることです。緑の党は、私の判断にすぎませんが、大衆運動では〈草の根〉を代表しながら、政治の現実化という点では中央あるいは国家の指導という面が強調される節が認められるのに対して、FDP(ドイツ自由民主党)は、どちらかというと個々人の要求、権利という観点から国家を規制する方向性を示しており、ではSPDはというと、この中間に位置しているのではないかと思われます。
この問題は、しかし各党派の組織基盤となる社会階級、階層に規定されたものだと理解され、それが自派の利権政治に終わるのか、あるいは逆に幅広い社会の要求を代表することになるのかが、決定的な分岐点になるだろうと思われます。
〈自派の利権政治〉でFDPはCDU /CSU(キリスト教民主党、キリスト教社会同盟)連立が破産し、その後のジャマイカ連立政権を投げ出した経緯があります。
信号連立政権は、まだ、確かな政治体制として成熟しきれていないところに、現在の問題を隠し持っているように思われてなりません。
間もなく〈接種義務〉をめぐる議論が国会で始まりますが、連立政府からの議案は見送られ、3党の枠を越えた意見を同じくするグループ別の(超党派)提案になります。これを「民主主義指導スタイル」(SPD首相ショルツ)と表現するのか、「政権指導力の放棄」(野党および一部メディア)と批判するのか、具体的に検討していきます。4つのことが言えるでしょう。
1.〈接種義務〉化に向けては各派、各党内、更に専門家の間でも意見が多岐に分かれ、議論 のたたき台をつくるだけでも収拾しきれないことが予想され、社会の分裂・対立を引き起こ す可能性が大であること、
2.FDP内に強い接種義務化反対グループ(議員の40名弱が名乗り出ているといわれ)、FDPは選挙前の公約から政府に代わり議会の超党派イニシアチブに提案作成を委ね、それに対して基本的には迅速な政府主導を主張していたSPD と緑の党は、、そこでの3党連立の分裂を避けること、
3.この右へ左への揺れが、その意味では政府の指導能力欠如ですが、12月には73%あった市民の接種義務化への支持率が1月中旬には64%まで減少することになります。(注) 今の状況が続けば、今後も支持率が低下していくことは確実です。その時、接種義務の実現化はより以上の困難な局面を迎えることが予想されます。
(注) Civey-Umfrage Der Spiegel Nr.3/15.1.2022
そう考えると、「接種疲れ」、「コロナ疲れ」といわれる言葉には、市民のなかに我慢の限界がきている現状を表現しているとはいえないか?
それを、よく聞かれる市民の表現からこの問題を見てみることにします。
20歳前後の若い人たちは、学問そして仕事で将来への計画と希望がコロナ規制で潰されていくことに怒りと不安をかくしきれません。
ワクチンが開発されればコロナが収束されるといわれ、しかし、ワクチン接種は感染を止めることができず、追加接種が必要になり、どの程度に、またどれだけの期間の有効性があるのかもわからず、加えて変異株が猛威をふるっている。そうであれば、規制を取り払い、社会活動をイギリス、イスラエル、デンマークのように自由に解放すべきではないか。
他方で年配者からは、若い年齢層への不満の声が聞かれます。
若い人たちが、私たち(年配者―筆者注)の自由と生命を奪うのだ。年配者に残された時間 は少ないが、それさえ奪われ、それと比較して若い年齢層の将来と時間は十分にある。
そういう筆者はというと、最近、時々マスクをかけ忘れて店に入ってしまうことがあります。それに気づいて「オッ!!」とすることがあります。決して気が緩んでいるわけではないですが、コロナ禍生活が常態になり、この常態化が、コロナ以前の日常生活と錯覚させてしまうのでしょう。
そして、これが接種希望者の激減する背景にあるのではないかと思われます。
このままでは、2回目の「3000万人接種キャンペーン」が目的を達することは不可能になります。
冬の寒さが身に堪えるに季節になりました。ドイツのインフレ上昇率がそれに輪をかけます。何年来のことでしょうか。インフレ率が5%強に跳ね上がる一方で、利息ゼロ政策は維持され、貯蓄力の強いといわれるドイツ市民の日常生活が窮乏化傾向を示しています。冬の暖房費が15-20%まで値上がりしているガス、灯油価格で、財布と貯蓄を直撃します。
このドイツで1月に入ってから、コロナ規制反対集会とデモが、従来とは比較できないほどの勢いをもって繰り広げられています。
メモがあります。1月10日、この日にヘッセン州では全部で1万9千人の参加者数が確認され、全ドイツでは1046箇所で約19万人、という数字を見て私は目を見張りました。
組織化は、「Telegram-Kanal」(テレグラム-チャンネル)と「Spaziergaenge」(散歩)を名乗るグループですが、責任者、代表者が誰であるのかは不明です。
それ以降、毎週、どこかで数百、数千、数万規模のデモと集会、いわゆる「散歩」行動が取り組まれてきています。
一連の事態ではっきりしているのは、以下の諸点です。
1.ここではそれぞれの組織名を記すことは省略しますが、極右派、ネオ・ナチ派、「謀略論者」が運動の核になり、
2.従来、都市部で開かれていた集会が反対派の対抗に会い、また警察の警備に規制・禁止された総括から、いってみれば〈ゲリラ戦〉に路線転換し、Telegramを通してあらゆる可能な箇所で、各地の市町村、郡部を問わず「散歩」が取り組まれるようになってきています。
3.「謀略論者」に見られるような世界観――エリートによる世界経済支配の解体と差別・人種主義による世界人口の縮小論は、公然と表面に現われることはまれで、市民向けに「基本権の擁護」、「個人の自由」をアピールすることによって、ブルジョア中間層の結集を容易にしています。
4.重要なポイントになりますが、「謀略論」とこの「基本権の擁護」、あるいは「個人の自由」の関係性です。常識では、どう考えても結びつかない相反する思想要素が結びつけられていることこそが本質的な問題で、こうしたグループの本音を暴露するものです。理論的な解釈でないことが見抜かれなければならないでしょう。そこに読み取れる彼らの目的とするものは、「基本権」、「自由」等々という民主主義原理に猜疑と疑問をもたせ、そこから市民の中に生み出される動揺を組織していくことです。
5.これが運動論の一面だとすれば、他面では極右派、ネオ・ナチ派の暴力化が公然と認められ、武装化も一部で摘発されています。あちこちに散在した「散歩」によって警備部隊の裏をかき、自由な行動を確保して右往左往する警備陣を笑いものにし、他方で直接暴力の行使によって警備線の突破を試み、いってみれば国家権力の権威と威信を引き落とし、彼(女)らの世界観をアピールすることです。
この現状を首相ショルツ(SPD)は、「(コロナ規制反対派グループは――筆者注)一部の少数派で、ドイツ社会は分裂していない」と国会スピーチしていましたが、その集会に結集するブルジョア中間層の動揺性、そして極右派の(ファシスト的な)危険性に関する分析が抜けていることに将来への危惧が感じられてなりません。
何故なら、2015年の難民問題で反イスラム、排外・人種主義運動を組織して、各地域での難民受け入れに反対してきたグル-プ・党派およびその思想は、現コロナ感染のなかでも引き継がれ、同じ論理は自然環境保護運動にも適用されてくるからです。
そう考えるとコロナ―難民―自然環境で問われている根本的な社会問題とは何かを抉り出し、その課題へ向けた議論が社会を強化し、市民の連帯――共同社会を生み出す土台にならなければならないと考えられます。そこがファシストと民主主義の戦線になるはずです。
今後、目を離せない戦線の一つになってくるでしょうから、簡単に自然環境保護反対派の思想構造を要約しておきます。
「コロナ・ロックダウン」との語呂合わせで「気象・ロックダウン」と、EUの環境保護に向けたプロジェクト〈Green Deal〉で使用されている用語〈Great Reset〉を反対派なりに借用誤用し、
パンデミックは、グローバルなエリートが世界経済を気象に適う“グリーン”につくりかえるための口実でしかない。
と決めつけ、「気象危機は存在しない」との結論を引き出してきます。人間がつくった気象変動をすキッパリ否定します。ドイツでこのグループを代表するのは、2007年に設立されたEike(注)という組織で、AfD(ドイツのための選択肢)との強い繋がりが指摘され、アメリカの同様なグループ(Heartland Institute)と連帯行動をとっています。
(注) Das Europaeische Institut fuer Klima und Energie
10日ほど前の別のメモに目をやれば、フランスで1万5千人、ベルギーで5万人、スウェーデン(ストックホルム)で9千人、スペイン(ビルバオ)で1万5千人のコロナ規制反対のデモが取り組まれています。注目されるのはベルギーで、組織をしたのはEuropeans Unitedという組織で、全ユーロッパの600ヵ所の地域に基盤をもつWorld Wide Demostrationという組織との共同の取り組みだったことです。(注)
(注) Euronews
以上を称して、〈声高な少数派、静かな多数派〉と表現されます。これが現在のヨーロッパ・ドイツの現実の真の姿です。 (つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11708:220129〕
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