高須克弥は、知事リコール運動の不正に責任を感じないのか。
- 2022年 1月 29日
- 評論・紹介・意見
- 澤藤統一郎
(2022年1月28日)
あいちトリエンナーレ展の展示を「不敬」として、その責任を問おうというのが愛知県大村秀章知事に対するリコール(解職請求)運動。先頭に立って旗を振ったのが高須克也、その後ろにくっついたのが河村たかし。そして実務を担当したのが維新の田中孝博である。いま田中は起訴されて有罪判決を待つ身であるが、高須と河村は全ての責任を田中にかぶせて「オレは知らん」「オレは被害者」というスタンス。維新も、無関係を決めこんで知らん顔。麗しき友情の哀れな末路。
先頭に立って旗を振った者人を煽動した者には相応の責任があるはずだが、彼らの逃げ方は、彼らが神聖視する裕仁を手本にしたもの。「開戦の詔勅は出したが、あれは自分の意思ではなかった」「皇軍が何をしたかオレは知らん」、だから「オレに責任はない」というわけだ。
高須らが振った旗に共鳴し煽動されて、リコール運動に加わり『不正署名の請求代表者』の一人となった活動家が、リーダーたちの姿勢に業を煮やして、民事訴訟を提起した。1月25日、名古屋地裁(斎藤毅裁判長)その判決があり、《「“不正署名の請求代表者”で精神的苦痛」知事リコール運動の参加男性が損害賠償求めた裁判 男性の訴え棄却》と報道されている。
訴えを起こしていたのは、大村知事へのリコール運動で請求代表者を務めた男性(73)。この男性は、署名偽造事件のために、社会から「不正署名をした請求代表者」というレッテルを貼られて精神的苦痛を受けたなどと主張。リコール団体と代表の高須克弥、事務局長の田中孝博被告(60)らに対し、500万円の損害賠償を求めていた。
この請求を棄却した名古屋地裁判決は、「男性が不快感などを覚えた事実は認められるものの、法律上保護される利益が侵害されたとはいえない」「地方自治法の規定は解職請求制度の公正さの確保を目的としており『個々の住民の権利保護を目的としていない』と指摘。署名偽造という不法行為をしたとしても、男性の権利が侵害されたとは認められないと判断した」と報じられている。
報道だけでは、判決の論理がどうにも分かりにくい。「被告らが署名偽造という不法行為(おそらくは違法行為のまちがいだろう)をしたとしても、原告となった男性の権利が侵害されたとは認められない」のは、余りに当然のこと。原告がそんな主張をしていたはずはない。
これまで報道されてきた請求の原因は、「誘われたリコール運動に参加したところ、世間から『不正署名をした』と責められ精神的苦痛を受けた}ということ。少し整理をしてみれば、「被告らが、大宣伝をして原告をはじめとする多数活動家をリコール活動への参加を誘い、誘われた原告が真面目にリコール活動に従事したにもかかわらず、被告らが犯罪行為に及んだために、原告までが犯罪者集団の一味と社会的指弾を受けるに至って、精神的苦痛に苛まれた」というものであろう。違法行為の本筋は、被告らが原告を犯罪行為に巻き込んだことにある。
敗訴の原告は控訴する方針とのこと。あらためて、高須・河村・田中らの責任を厳しく追及していただきたい。
トンチンカンなのは、判決についての高須のコメントである。「高須氏は代理人を通じ『主張を全面的に認めていただきありがたく思っている』とのコメントを出した」という。へ~え。あなたの主張は、「地方自治法の規定は解職請求制度の公正さの確保を目的としており『個々の住民の権利保護を目的としていない』から、署名偽造という不法行為があっても、原告の権利が侵害されたとは認められない」ということだったのか。
こんないい加減なリーダーが振った旗に惑わされ踊らされた人々が哀れである。ちょうど、裕仁を神と教えられ裕仁に盲従して不幸を背負い込んだ、かつての臣民たちと同様に。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.1.28より許可を得て転載
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〔opinion11709:220129〕
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