根付く「不平等」の壁
- 2022年 2月 4日
- 評論・紹介・意見
- 内野光子
以下は、『ポトナム』に寄稿した歌壇時評である。
一つ前の記事は、貞明皇后の短歌を引いた。今回は、明治天皇美子皇后、昭憲皇太后の短歌の引用で始まる。今は、旧著でも、このブログでも何回か触れているが、平成期の美智子皇后の短歌を読み、少しまとまった文章を書こうと思っている。昭和期の良子皇后、現代の雅子皇后も含めて、近現代の皇后は、それぞれに、ことなった性格や能力を持っていたと思うが、彼女らの行動や例えば短歌にしても、政治に利用されるという大きな役割からはみ出すことはなかった。あったであろう葛藤や配慮が痛ましいだけに、現代こそ、天皇制そのものが、不平等や格差を広げ、その根源になっていることを自覚しなければならないだろう。
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・松が枝にたちならびてもさく花のよわきこころは見ゆべきものを(「男女同権といふこと」)
・むつまじき中洲にあそぶみさごすらおのづからなる道はありけり(「夫婦有別」)
最近、明治以降の皇后の短歌を読んでいる。類歌が多い中で、「詞書」が珍しかったので、この二首に立ち止まった。一八七九年、明治天皇の美子皇后の歌である。教育、とくに女子教育の普及に熱心であったことは知られるところだが、女性の「よわきこころ」、「おのづからなる道」、その弱さ、役割分担というものをわきまえ、それを積極的に自覚すべきだと説いている。皇后としては、女性の「エリート」の育成を目論みながらも、女性低位の教育制度をはみ出るものではなかった。当時、中村正直によるJ・S・ミルの訳書や福沢諭吉の『学問のすすめ』などが刊行され、「新聞紙上では”男女同権”が一大流行語になった」(関口すみ子「男女同権論」『女性学事典』岩波書店 二〇〇二年六月 三三三頁)ことを、見逃さずに詠んだものと思う。
「男女同権」とは、もはや死語に近いのかもしれない。近年は、ジェンダーの平等、多様性の尊重という言葉に入れ替わりながら、平等が語られるようになった。二〇一五年、国連サミットで、二〇三〇年を達成期限として採択された「SDGs(持続可能な開発目標)」の一七の目標の一つとして「ジェンダー平等を実現しよう」が掲げられた。政治家やタレントたちが、あの一七色?のドーナツ型のバッジをつけはじめた。「世界中の人々が豊かに暮らし続けていくための世界共通」の「開発目標」の一環なのかと思うと、どこか違和感を持ってしまう。さらに、社会的性差、文化的性差をなくすことが「多様性の尊重」に束ねられてしまうことにも危惧を覚えてしまう。あのバッジが氾濫しても、現実には「世界経済フォーラム」によるジェンダーギャップ指数はいずれの分野でも低位から抜け出せず、各様のパワハラ、セクハラは後を絶たない。夫婦別姓すらも法制化することができない。
・「新しい女」と言ひしは百年前いまなほ上書き入力つづく
寺島博子『歌壇』二〇二一年八月
・旧姓を筆名とするその後の厨の海鼠は真夜ふとりぬ
大野景子「作品点描」『角川短歌年鑑』二〇二二年版
新刊の『角川短歌年鑑』では、「作品点描」「自選作品集」の配列が、従来の世代別から五十音順に変更された。「編集後記」によれば年代を超えてより多くの作品に触れ、氏名による検索がしやすいようにということであった。年齢によって作品の評価がされがちなことから解放されるという意味でもよかったと思う。
また、最近、大学を拠点とする短歌会出身の若い歌人たちが活躍するようになった。すると、歌壇では、大学院生とか大学教員などの肩書がさりげなく表示されることが多くなり、いまだ学歴社会を引きづっているようにも思う。そして、職業に貴賤はないというものの、「図書館長になった」の詞書のある、つぎのような一首に出会った。館長は閑職ではなく、激職のはずなのに。
・大学の最後の仕事 書生らの守り神なりわれはよろこぶ
坂井修一「漏刻」『短歌』二〇二一年一〇月
三〇余年、その大半を大学図書館で働いてきた身としては、「いまだに変わっていないな」の思いしきりであった。教員にとって、図書館職員は「書生?」なのである。(『ポトナム』2022年2月)
初出:「内野光子のブログ」2022.2.3より許可を得て転載
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〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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