「ふてぇ野郎」と「不逞老人」
- 2022年 2月 17日
- 評論・紹介・意見
- 藤澤豊
二〇二一年五月二日付けで、ちきゅう座に拙稿「調べて調べて読んでます」を掲載して頂いた。
そこで「ふてぇ」は間違いで「不逞」であることを知ったと書いたが、ここにきて「ふてぇ」は東京の下町の庶民の言葉であることがわかった。訂正というのか追記しなければならなくなった。
黒川創が対談で鶴見俊輔になにを言わせたのかと気になって、図書館の蔵書をさがしたら『不逞老人』がでてきた。早速借りてきたはいいが「不逞」が読めない。WindowsのIME(Input Method Editor)パッドー手書きで漢字を書きこんで、「ふてい」という読みだと知った。
それが二〇二一年三月の話で、五月には古希を迎えた。不逞に出会うまで、てっきり「ふてえ」だとばかり思っていた。
町屋で生まれて就職するまでろくに本読む習慣がなかったから、耳で聞いた言葉がすべてだった。横町でオヤジがチンピラを「ふてえヤツラ」だと言っているのを、子どものときに映画かなにかで観て音で覚えていたのだろう。もしかしたら、近所のオヤジさんがなにかのときに言っているのを聞いていたのかもしれない。
技術屋崩れのノンキャリア、それなりの日本の会社にいたら雑兵で終わってしまうと外資に身をふったはいいが、そこは昨日があったように今日はあっても、明日の保証は自分で勝ち取らなければ生き残れないところだった。どんな役職に就いたところで、現地採用のSecond class citizen。事業の売り買いも日常茶飯事。何をいくらやったところで、レイオフの危険はなくならない。
八十年代の末、日本の会社との合弁が解消されて、百パーセントアメリカの会社になった。親会社から社長が天下ってきて、リストラの嵐が吹き荒れた。毎月周りの誰かがいなくなった。百五十人はいたのに二年後には五十人をきってしまった。次は自分かもしれないと思うとおちおちしてはいられない。転職も視野にいれて、できる限りの勉強をし続ける習慣が身についてしまう。仕事で必要とされることを優先して一般教養を養ってなどという余裕はない。仕事で走り続けて、還暦を機会にリタイヤを決め込んだ。文学書にも手を出せるようになって、気がついた。
日本語は何を疑問に思うこともなく、なんとなく使ってきただけだった。ちょっとしたことでも、なぜこういうのかと考えだすと説明がつかないことが多い。生まれて育った過程で身についた日本語が怪しい。
日本語はとあらためて考えると、どうにも融通無碍すぎてつかみどころない。なんとあやふやな文法と言葉かと呆れると同時に使い勝手の良すぎる日本語に四苦八苦している。あわてて日本語をとあれこれ読んできたが、『全国アホ・バカ分布考』松本修著を手にして、こんな視点もあったのかと驚いた。題名からして軽い、決して重い本ではないだろうと読み始めて、自分の無知さ加減にあきれた。大袈裟に言えば、この本のおかげで社会観が変った。東北弁や沖縄方言の多くが元を質せば京都の流行りことばで、方言として残っているのは古語を今に伝える文化遺産だった。
中国文化の周辺に位置していることに疑問の余地などあろうはずがないとは思っていたが、まさかここまでとは思いもしなかった。結論のようなところを書き写しておく。
「言葉は、京都から日本を東西に旅したけれど、それ以前に、はるばる中国から、あの東シナ海の波濤を越えて、京に旅してきたというわけですね」
「日本人は、この世でいちばん優れた良きものを、中国から巧みに取捨しては吸収し、独自の工夫を施して日本文化を築いていった。つまりこれら京の流行りことば、すなわち日本のアホ・バカ表現は、世界最高の文明と同時代に直結していた。その結果として成立した『全国アホ・バカ分布図』、これが描く多重の円こそは、日本人の尊い精神文化の年輪でもあった」
『全国アホ・バカ分布考』で想像したこともなかった視界がわずかながらも開けた。視界の先には考えもつかない世界がありそうだと、手はじめに『江戸ことば』柳亭左龍著をざっと読んでみた。細かなことをいうようだが、書名の「江戸ことば」は正しくは「江戸の下町のことば」で、山の手のことばは入っていない。
立て板に水といわれた下町の抑揚は祖父母の代までで、お袋にはその残骸が残っているだけだった。小学校二年生になるちょっと前に田無に引っ越して驚いた。同じ東京でもあまりに言葉が違う。下町の抑揚なんか引きずっていたとは思わなかったが、クラスのみんなに笑われた。それまで「ひ」が言えないことなど気がつきもしなかった。町屋では「百円」は「しゃくえん」だったし「潮干狩り」は「しおしがり」だった。子どもだったからだろう、あっという間に「ひゃっこい」も言えるようになった。
保育園に通っていたころ、場外馬券目的の祖父がよく花やしきに連れて行ってくれた。回数券を買ってもらって、一人であれこれ乗っていたのを今でも覚えている。確か五年生の夏休み明けだったと思うが、親しかった同級生から後楽園にいってきたと聞いた。聞いているだけも楽しかったが、そこは山の手のお金持ちが行くところで、花やしきは下町の貧しさの象徴のような気がした。山の手の乙に澄ました言葉が東京の標準語で、下町の言葉は教養のない貧しい人たちの方言で恥ずかしいものだと思っていた。それが年をとるにしたがって、下町の言葉が粋な、誇るべき言葉だと思うようになっていったが、劣等感と優越感が入り混じったなんとも説明しにくい気持ちがある。
そんな気持ちを抱えこんだままいい年して、あらためて下町の言葉を紹介した本を読んでいったら、まさかというのがでてきた。
『江戸ことば』の一節に「ふてぇ野郎」というのがある。
「図太い、ふてぶてしい、図々しい野郎だという意味でよく使われる罵りことば。『肝が太い』のはほめことばで、『太い』だけになると悪口になるのは面白い」
『不逞老人』を知ったとき、己の無知と無教養を恥じたが、なんのことはない、「ふてえ」は「不逞」の間違いではなく、江戸の庶民の文化を今に伝える言葉の一つだった。
p.s.
<あらためて日本語とは>
専門としてきた領域からは遠く離れた分野のことで、下記は素人の大ざっぱな理解でしかありません。
日本に漢字が伝来したのは4世紀後半の弥生時代と考えられている。では伝来するまで日本人はどんな言葉を話していたのか。
従来から様々な学説が唱えられているが、昨年の十一月十日にNatureがWebで公開した「Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages」(三角測量(?)によるトランスユーラシア語の農業的普及の裏付け)の研究報告が、カバーしている学術領域の広さと最新の分析手法をもちいていることもあって、現時点での最善の理解だと思っている。
「Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages」は下記urlからどうぞ。
https://www.nature.com/articles/s41586-021-04108-8
親切な人がNote上で研究報告を分かり易く解説してくれている。日本語なので手っ取り早い。
「日本語のルーツは9000年前の西遼河流域の黍(キビ)農耕民に!」
https://note.com/way_finding/n/n8cbcfaae3dfa
Natureの報告書からキーとなるところを抜粋すると、
「新石器時代の初期から中期にアムール関連の遺伝子を持つキビ農家が西遼河から周辺地域に広がっていった。紀元前3300年頃(五千年ちょっと前)、遼東・山東地域の農民が朝鮮半島に移住し、雑穀農業に稲、大麦、小麦を加えた。三千年ほど前にこの農耕パッケージが九州に伝わり、本格的な農耕への移行、縄文人から弥生人への遺伝的転換、日本語への言語転換が引き起こされた」
ここで言われる日本語への言語転換から四世紀以降には漢語を取り入れて平安朝にやまと言葉が確立された。そこに明治維新で西洋文明を漢語を駆使して取り入れたのが、今日の日本語ということになる。
トランスユーラシア語族の一派生語族としての日本語(弥生の話し言葉)に語族の違う漢蔵語族(漢語)が乗って、平仮名や片仮名まで作り出したところに語族としても文化としても遠く離れたヨーロッパ諸語を持ってきた。ごちゃごちゃしないわけがない。そんなところにヨーロッパの言語学の手法をもってきても、整理でるわけがない。縦書きだったところに横書きを使いだして、いまだに句読点ひとつどう打つべきかということすらはっきりしない。
どうしたものかなんていっているうちに、巷では英語の音をカタカナで表記した和製英語が氾濫して、収拾どころか、あと半世紀もしたら、かなりの数の若い人は今の日本語の文章を読む気にならなくなってるかもしれないと心配になる。
J-Popやラッパーの英語混じりの歌や語りを聞いて驚いたが、時代はもうその先をいっていた。下記はビデオゲームでアニメではい。動画を観るのに課金されるのではなく、ゲームのキャラクターとして遊ぶことで課金される。プロデュースする人たち。躍る人たち。躍った人たちの動きをアニメーションに転換する人たち。さまざまな技能をもった専門家集団によって制作されている。かなり高度なソフトウェア開発技術が駆使されていて、口パクの手塚治虫のマンガではない。
Crazy:B「Be The Party Bee!」 あんさんぶるスターズ!! Music ゲームサイズMV
2021/12/24
Private homepage “My commonsense” (http://mycommonsense.ninja-web.net/)にアップした拙稿に加筆、編集
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11761:220217〕
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