日中関係を破壊し日本を滅ぼす新・暴支膺懲決議――衆愚議員たちは中国非難決議の帰結を予見できないのか
- 2022年 2月 20日
- 時代をみる
- 矢吹 晋
2022年2月1日、第208回国会は、空前の愚劣な<決議第1号>を超党派の「多数」で可決した。衆院ホームページによると、審議時賛成会派は、「自由民主党、立憲民主党・無所属、日本維新の会、公明党、国民民主党・無所属クラブ、日本共産党、有志の会」であり、審議時反対会派は「れいわ新選組」のみだ。しかしながら「れいわ新選組」の反対理由は、決議の主題自体への反対ではない。それゆえこの零細政党を含めて、衆議院のすべての会派が新・<暴支膺懲>決議に賛成した。本会議に出席しながら「棄権することによって反対の態度を示した議員」がどれほどか、また「本会議への欠席によって事実上反対の意志を示した議員」がどれほどか、公表されていない。ズバリいえば、衆院議員には自らの信条を表明する自由さえ欠如しているように見える。これを<令和ファシズム>大政翼賛会と称さずして、何と呼ぶべきか。これは<新・暴支膺懲>決議であり、日中戦争時の近衛声明21世紀版と評して過言ではない。
半世紀前の1972年田中訪中によって、辛うじて成った日中共同声明は、いまや反故同然であり、この声明によって行われた日中戦争の敗戦処理は行方不明になった。終戦処理が反故にされた事実の論理的帰結は、何か。20世紀後半の日中戦争が21世紀の今日も継続している、という重大な帰結にならざるを得ない。共同声明の核心は、日華平和条約を<名存実亡>としたことであり、それは尖閣問題を棚上げすることによって成った。<台湾有事>によって日華条約を甦えらせ、尖閣国有化によって棚上げを否定することは、日中共同声明を反故にすることだ。
念のために見ておくと、決議のタイトルは「新疆ウイグル等における深刻な人権状況に対する決議」で、全文は以下の通りだ。
近年、国際社会から、新疆ウイグル、チベット、南モンゴル、香港等における、信教の自由への侵害や、強制収監をはじめとする深刻な人権状況への懸念が示されている。人権問題は、人権が普遍的価値を有し、国際社会の正当な関心事項であることから、一国の内政問題にとどまるものではない。この事態に対し、一方的に民主主義を否定されるなど、弾圧を受けていると訴える人々からは、国際社会に支援を求める多くの声が上がっており、また、その支援を打ち出す法律を制定する国も出てくるなど、国際社会においてもこれに応えようとする動きが広がっている。そして、日米首脳会談、G7等においても、人権状況への深刻な懸念が共有されたところである。このような状況において、人権の尊重を掲げる我が国も、日本の人権外交を導く実質的かつ強固な政治レベルの文書を採択し、確固たる立場からの建設的なコミットメントが求められている。本院は、深刻な人権状況に象徴される力による現状の変更を国際社会に対する脅威と認識するとともに、深刻な人権状況について、国際社会が納得するような形で説明責任を果たすよう、強く求める。政府においても、このような認識の下に、それぞれの民族等の文化・伝統・自治を尊重しつつ、自由・民主主義・法の支配といった基本的価値観を踏まえ、まず、この深刻な人権状況の全容を把握するため、事実関係に関する情報収集を行うべきである。それとともに、国際社会と連携して深刻な人権状況を監視し、救済するための包括的な施策を実施すべきである。右決議する。
決議の主題は「新疆ウイグル、チベット、南モンゴル、香港等」の「深刻な人権状況」とされているが、ここで列挙された諸地域がすべて中華人民共和国の一部であることは明らかだ。「香港等」の「等」に何を含むかは明らかではないが、原案の起草者が台湾と書き込み、「台湾有事」はさすがに挑発的と議員間で議論があり、「香港等」とぼかされたものか。原案の「深刻な人権侵害」を「深刻な人権状況」と変え、中国の2文字を削除したところで、中国非難決議という内政干渉を、田中訪中半世紀後の衆議院が決議した事実に変わりはない。
逆立ち全体主義としての<令和ファシズム>
浜野研三という未知の哲学者(関西学院大学教授)から『「ただ人間であること」が持つ道徳的価値』という新刊書[1]の寄贈を受けたのは、3年前だ。教授は「尖閣国有化」以後の日本の政治を「逆立ち全体主義」の一例として、矢吹の一連の尖閣論に触れて、次のように論じている。長いが引用しよう。
中国ウォッチャーとして名高い矢吹晋による著作を見ると、日本のマスメディアが取り上げていない様々な事実が資料を挙げて説明されている。それによると、日本政府の現在の立場は、事実と異なる前提に立ったものであり極めて危険な立場である。彼が挙げている事実をいくつか挙げてみる。たとえば、まず、地理的には尖閣列島は台湾の附属島嶼にあたり、琉球王国の領土ではなかった。そして、何よりもアメリカが尖閣列島に関する日本の領有権を認めていない。矢吹によると、沖縄返還の際、アメリカは尖閣列島の日本への返還を強く批判する蒋介石の動きに対して、領有権と施政権を区別して、日本に対して施政権のみを認め、領有権に関しては、中立の立場を保つという立場をとったのである。しかし、その事実は、当時の佐藤内閣によって国民に知らされることはなく、そのような事実は今も隠蔽されている。さらに日中国交正常化時に田中角栄・周恩来会談で、尖閣列島の帰属問題に関する棚上げの合意が存在し、その後の園田直・鄧小平会談においてその再確認がなされている。これに加えて、国際法上日本の主張は正しいという意見もあるが、頼みのアメリカが中立を保ち、軍事的な援助に及び腰である状況で、核を持つ軍事大国である中国と事を構えることが本当に出来るのか。また、それは真に日本が取るべき道なのかは、今一度真剣に問い直されねばならない。このような事実を踏まえると、尖閣列島問題については、もっと慎重な検討と対応が要求されることが分かる。日本政府のように、領土問題は存在しない、の一点張りでは、事態が険悪になるだけである。以上のような矢吹の指摘は当然幅広く報道され、その是非や、それを踏まえていかに振る舞うべきかについての議論がマスメディアを通じてなされるべきであると思われるが、残念ながらそのようなことは起こっていない。矢吹の本を読んだ人しか以上のような理解の存在を知らず、ただ領土拡張欲求・資源獲得欲求による中国の理不尽な振る舞いと捉えるだけの理解が広く受け入れられている。…… 企業国家――逆転型全体主義監視社会化の進展の中で、企業国家による強大な権力の行使による全体主義的な統治形態への動きは、いよいよその速度を速めているように見える。この問題を考えるとき、メディアの寡頭支配、政治資金の規制の緩和(悪名高い連邦最高裁Citizen United vs. Federal Election Committee判決がよい例である)等で日本より全体主義化の度合いが高い。その意味で進んでいるアメリカの形態について、シェルドン・ウォーリン(Sheldon Wolin)が興味深い議論を行っており、参考になる。ウォーリンは、現在の全体主義は、ナチに代表されるようなものと逆のベクトルで形されるとして、逆転型全体主義(inverted totalitarianism)と名付けている。[2]「限りのない権力と戦闘的な拡張政策という点ではナチも現在の米国も変わりはないが、ワイマール体制においては、全体主義の担い手は街路を支配していた無法者たちであり、民主主義は政府に限られていたのに対し、現在のアメリカでは民主主義は街路でこそ生き生きとしているのに対し、全体主義への危険はますます抑制が効かなくなっている政府に存している」。また、「ナチの支配の下では、大企業は政治体制に服従していたが、アメリカでは企業権力は政治的な権力者集団、特に共和党の中で極めて支配的であり、ナチの場合とまったく逆の、役割の逆転が示唆されている。そして、科学と技術の資本主義的構造への統合によって利用可能となった、拡大を続ける力と資本主義の力の代表者としての企業権力こそが全体主義化する動因を生み出しているのに対して、ナチにおいては、生命圏などのようなイデオロギー的な概念がそのような動因を提供していた」(浜野著、204~208頁)
浜野の新著を通じて、九・一一以後の米国社会を「逆転型全体主義」あるいは「逆立ちした全体主義」と呼ぶ高名な政治学者、プリンストンの名誉教授ウォーリンの所説に接して、私は改めて日米の全体主義、そして<令和ファシズム>を再考した。私が尖閣問題について書いた本が<非国民の著書扱い>され、「国益に反するから焼くべきだ」とまで発言したキャリア官僚の声を仄聞して、日本社会がここまで堕落したかと密かに危惧していたが、私とほとんど同じような印象で私の尖閣に関わる発言を受け止めていた日本知識人の存在を知り、我が意を得た次第である。しかも、浜野が尖閣報道に違和感を抱いたのは、米国社会について「逆転型全体主義」と名付けて、その特徴を分析した、政治学者ウォーリンの所説にあてはまる例として、尖閣報道を挙げたという理論的背景がより重要だ。ウォーリンは、❶全体主義の担い手は誰か、無法者か、政府か。❷全体主義の推進者は誰か、企業か、それとも政府か。❸人々を煽動する手段はイデオロギーか、それとも科学技術か。これら三カ条について、ナチスの経験と現代アメリカのナショナリズムを比較対照して、ナチス流の全体主義とは対照的な構造を持つアメリカ流の全体主義を「逆立ち全体主義」と名付けたわけだ。さて独米、二つの全体主義と比べて、安倍晋三流の日本「逆立ち全体主義」には、どのような特徴がみられるであろうか。
まず担い手はナチスの利用した「無法者」にも似た、ネトウヨであり、これに資金提供を行っているのが日本政府だ。それゆえ、独米、両者の要素を持つ。ナチス統治下で企業は資本主義的に見て「合理主義的行動」をとったのに対して、米国企業は企業側が政治資金を活用して政府権力を握り、行使する。ナチスとは対照的に、独占的な巨大企業に対して「政府はより民主的、全国民の利益擁護」を掲げている。日本型全体主義は、政府の誘導に企業経営者が従う構図であろう。最後に全体主義への動因だが、ナチスが特有のイデオロギーに指導されたのに対して現代アメリカでは科技の急発展がテクノ・ファシズムを誘導している。日本はここでも右翼イデオロギーと科技の二つが両々相まって逆立ち全体主義を牽引しているように見える(例えば全国民のクレカ総点数化はその一例)。
尖閣国有化騒動以後の日中対立および日本帝国主義の戦前の徴用工問題を巡ってエスカレートしつつある日韓衝突を見ると、日本型逆立ち全体主義は、近隣諸国による帝国主義批判行動への反発を解決するのではなく、むしろこれを政府が煽る構造によって、自国政治体制の強化が図られていることに気づく。とりわけ、国政選挙の前夜、敵憮心を煽るナショナリズム高揚作戦は誰の目にも明らかだ。現代におけるナショナリズムの作用と反作用とは、ニワトリとタマゴの関係なので、いずれか一方を攻めるのは妥当ではない。対立が一度始まると、相互の応酬は相手に対する不信感を増幅しつつ、悪循環はとまらない[3] 。こうして石原慎太郎都知事(当時)の挑発に始まる尖閣国有化騒動が10年後の今日、台湾有事論に発展し、田中訪中による日中共同声明を反故にするところまで、坂道を転げるように悪化し、遂に新暴支膺懲決議に至った。
[1] 浜野研三『「ただ人間であること」が持つ道徳的価値』春風社、2019年.
[2] Wolin, Sheldon, “Inverted Totalitarianism,” The Nation, May 1, 2003.
[3] 矢吹晋『<中国の時代>の越え方』白水社、2020年、266~271頁.
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