財政危機と福島再生
- 2011年 7月 15日
- スタディルーム
まえがき
東日本大震災から4ヶ月が経過した。テレビで被災者の方々が悲惨な生活、困難な情況におかれていることをみるにつけ、いうべき言葉を知らない。支援金が十分に届いていないとも聞く。私の大まかな計算によれば、義援金と東京電力の賠償金を合わせれば被災者一人当たりに支給される金額は約百数十万円程度であると思われるが、この程度の金額では、一人が一年間にぎりぎりの生活を送れるか否かという程のものでしかありえない。政府にはさらに支援を増やすことが望まれる。他方では、震災復興構想会議の議長をつとめた元神戸大学教授の五百旗頭真氏が福島県は国有化するとテレビで述べたことを私は記憶している。私はこの見地には賛同する。それというのは、後に論ずるように地域経済の計画化にとっては好ましいと感ずるためである。さらに民間企業の東京電力も、最近は株式価格が高値をつけた時期の価格の7分の1以下にも下落したので、国家が株式を取得して国有化した方がよいという国有化路線を提唱する見解もでているようだが、これにも私は賛同する。だがこの二つの課題がかなり困難なそれであることも私は承知している。それは日本では現在国家と地方において財政危機が進行しているためである。
最近のメディアの論調では、新しい国づくりが重要だとされている。例えば6月25日付けの『朝日新聞』朝刊では、「日本の創造的再生へ」というテーマのもとで一編集委員が、「安心をもたらす新しい技術をもちいて、『命と暮らし』最優先の災害に強い社会づくりを被災地から始めよう。それを突破口に国の形をも変革し、世界に誇れる先進モデルとしての日本をつくれるか。問われているのは、このことだ。」と論じている。「国のかたちをも変革する」という点では、今日の日本の市民・大衆も賛同するのではないか。私もこれに賛同するが、問題はどのように国のかたちを変革するのか、ということである。単に変革するというだけでは、現在の菅総理ですら、今日の状況が、明治維新期と第2次大戦後とに匹敵する程の変革期だといいながら、今回の内閣を騎兵隊内閣と名づけたではないか。明治維新は、まさに徳川封建制社会から近代資本制社会への移行をもたらしたものであるが、こうした基礎的構造変化には全く触れずに変革期だといっているのである。私としては、今日の社会が変革されねばならないのは、300万人以上の失業者をかかえる現在の社会はおかしいという観点にたつためである。
財政危機はなぜ生じたか
30年前から最近までの日本の政策当局による政策運営は、新古典派経済学に基づく新自由主義によるものであったことは周知の事柄である。確かに金融自由化を中心とする自由主義・市場主義を導く規制緩和政策がとられてきた。だが他方では国債を中心とする国家の債務や地方自治体の債務も増え続け、累積債務残高は1000兆円以上にまでなっている。これは日本のGDPの2倍の規模である。すなわちその規模は、日本の勤労者が全く生活費を費消しないで、2年間働き続けて獲得するだけの富にひとしい。
なぜこのような国と地方との債務残高の膨張が生じたのであろうか。それは、より以前の時期から、政策当局が、景気調整、失業救済のため財政を赤字にしても有効需要を創出し経済を活性化しようとするケインズ主義的政策も同時に並行して行ってきたからに外ならない。経済学者ケインズは1930年代初めに導入された管理通貨制の導入を主張した点で著名な学者であるが、同時に福祉国家の樹立のために政府が公共事業に投資し需要創出策をとり不況克服を達成することを提唱した人物である。日本では、80年代以前にもこうした政策がとられたが、とくに80年代末のバブル経済崩壊以後の不況期には公共投資が増額されたり、社会保障費ですら景気調整に役立てられたりして政府支出の収入を上回る膨張が生じるようになった。また公共事業費の膨張には米国政府の関与もあったと伝えられている。
さらに最近明らかになってきたように、自民党政権下における原発政策もケインズ主義政策の一環だといえなくもない。それは政府が単に効率的なエネルギーだからといって原発政策をとったというだけではなく、失業対策としても採用してきたからである。すなわち政府は失業者を救済するため、民間電力企業に交付金のかたちで資金を散布し、電力企業はその資金を労働者達に賃金として支払うという方式で政府は需要を作り出して経済の活性化に役立てようとしてきたからである。今日、労働者の間でも原発反対派と原発推進派とに分かれるのは、原発推進派の労働者は概ね原発で食べてきた人達であり、原発が採用されなくなれば生活困難に陥ってしまうからである。
さて、上記のような日本の財政危機は、震災発生以前から明らかとなっており、私は数年をへずして財政破綻という限界に達するのではないかと考えていたが、今回の震災によってその危機は倍加されるに至った。それにしても目下のところ政府は被災者を救助せねばならぬ立場にある。他方で被災地の人々は、1年半から2年も経てば自ら自立しようとして働きはじめるであろう。
終戦直後の日本の情況と現在の被災地の情況
第2次大戦直後の日本と現在の東北の被災地とが似ているという人がいる。これは現在の被災地の瓦礫の山が、終戦直後のバラックが建てられた焼け野原を連想させることによるのであろう。学生時代を送っていた私なども食糧事情が悪かった終戦後の数年間は自宅の庭を畑に変え、食糧となる多種類の野菜、じゃがいも、さつまいも、小麦等を生産していたことを想起する。だが私は二者の類似性よりはむしろ相違性を強調したい。最も重要なことは、ここで被災地として福島をとり上げている理由にも関連するが、原発の損傷により、農業者や漁業者が獲得する収穫物が放射能汚染に侵されているという風評被害が広がっていることである。この風評によって福島県産の食物は、日本の国内においてだけでなく海外においても売れなくなることが20年も30年も続くことが予想される。それは、われわれ日本人がチェルノブイリの近辺で生産された農産物を輸入・消費することがなかったのと同様である。フクシマは世界中の人々にとって放射能汚染で著名な地名となってしまった。福島県民はこの点を最も心配しているが、私は福島県民は市場経済から脱しても別個に生きていく道はあると確信している。次に指摘さるべき相違性は、現在は終戦直後と違って生産力が極度に発展しており商品の過剰生産・物あまりの現象が生じている程である。このことは、さまざまな機械や方策を通じても、放射線汚染を除去することに貢献するだろう。例えば放射能の強い農地の土壌を改良、改善したり、東京圏でみられるような野菜工場を建設したりして健康には問題のない放射能値の食糧を創りだす。そして生産者自らと仲間同士で食糧を配分しあって消費し、生活するということである。
福島県民の自立への道
例えば、農業者であれば、恣意的であるが米、小麦を生産するAグループ、じゃがいも、さつまいも、さといも等を生産するBグループ、なす、きゅうり、とまとを生産するCグループ、ねぎ、たまねぎ、にらを生産するDグループ、にんじん、ごぼう、大根を生産するEグループ等々に分け、それぞれのグループは、別のグループに対し自らの生産物を供給し、別のグループの生産物を需要していることを知らせる。また漁業者としては、同様に鮭、さんま、あじを捕獲するXグループ、たい、まぐろ、さばを捕獲するYグループ、等々いくつかのグループに分け、同様に供給と需要の情報を知らせる。そしてそのグループ同士で生産物を相互に交換し合い消費すればよいのである。このさいには商品の交換ではないのだから、も早日本銀行券や銀行の預金通貨のような貨幣は必要なくなる。もっとも市場経済下の貨幣とは異なる計画当局の発行する労働証券のようなものは必要となる。なぜならば、経済学者シュムペーターが著書『資本主義・社会主義・民主主義』でも論じているように社会主義社会では生産物の評価額(市場経済下の価格に相等する)は労働時間で表示することができる(もっともこの労働時間を例えば1時間を1000円とするというように円で表示することも可能である)から、あらかじめ労働時間(または労働量)を付与して提供しうるからである。例えばここで1斗の米と1匹の鮭が交換されるということは、両者に投下される労働時間が(計画当局によって)等しいと算定されるからである。この点は資本制市場経済システムにおける労働価値説(投下労働価値説)と同じようにみえるかもしれないが実は同じではない。市場経済システムの場合は商品の価格の背後にある価値の実体は労働量(社会的必要労働時間)であるといっても、それは商品交換の分析の結果判明されるものであり、しかも社会的必要労働時間は直接には人間が捕捉できないからこそ、貨幣が必然化するという関係にある。そしてこの点に資本主義が資本によって支配される社会であり、人間によって支配される社会ではないという根拠がある。
行政当局の地位の重要性
さてこのようにみてくると福島県のような行政当局の地位がきわめて重要となることが明らかとなってくる。県民の経済生活の計画化を進めなければならないからである。それ故既に述べたように福島県を国有化した方がよいとみたのだが、福島県を自治体の所有にした方がより望ましいといえるかもしれない。県の当局者の権限が強まるからである。県の財政も赤字累積で困難であるだろうが、ぜひとも無利子の県債等を発行してこれを財源とし県の所有にしてもらいたいものである。そうすれば、ある特定の農業者に対して一定の地域で生産させたり、生産物の生産、供給と需要の情報を与えたりして計画化しやすくなる。もっとも今日ではインターネットのような情報機器の発達によって生産者自身が自らの生産物と交換できる生産者を見つけることは容易であろうが、計画当局が介入することによって、いっそうネットワークつ創りが容易となるであろう。そして計画当局はどの生産物が県民によってどの程度欲求されているかを知ることができるし、農産物(および畜産物)と魚類のような食糧のみでなく、次第に工業、サービス製品にまで拡大していくであろう。そして各種生産物の評価額の決定は、生産物の生産に何時間の労働が費消されたかを計算することにあるが、その仕事が計画当局の重大な責任となろう。
その他の困難な諸問題
もとより、その他さまざまな困難な諸問題が生じてくることが予想される。例えば被災者の住宅問題がある。被災者の仮設住宅は現在建設中である。だが、仮設住宅は長期にわたって住むことはできないようである。そうとすれば県当局はそれぞれの被災者が長期にわたり住むことができる県営住宅を被災者の生産場所の近くに建設することが望ましいであろう。その場合当然財源が必要となろうが、それは県当局が被災者から以前の住宅の私有地を購入したとすれば、それは購入代金のうちから税のような形で徴収する資金(といっても貨幣の形のものとは限らないが)をもってこれに当てること等が考えられよう。その他、福島県内では多くの中小企業が存在し、自動車部品の製造等に従事してきたことがしられているがこれら中小企業の経営者、労働者はどのようなゆくすえを辿るであろうか。その点は今後しばらくの間の経過を観察せねばならないが、日本経済の復興が順調に進展し、依然と同様なシステムが展開しはじめるとは考えにくい。中には倒産して失業者の累積を余儀なくされる企業もでてくるであろうが、こうした失業者は生活の活路を農産物の生産や食品工場の振興に求めたり、あるいは衣料品の生産に向かったりするであろう。こうした生産活動に新たに従事する生産者を、できるだけ従来の商品経済取引に向かわせることなく、新たに構成していく、貨幣を使わない共同体的な社会にひきいれていくことが重要である。
新しい共同社会を福島県に構築しよう
大震災を契機にして新たな共同社会を構築することが重要である。何も福島県だけでなく岩手、宮城のような県も福島で成功すれば、これに準じて方向を転じていくとみてもよい。それには新しい共同体の体制を地元民で作り上げようとする主体的意志の働きかけが重要であり、大資本に支配される方向は断じて拒否しなければならない。それこそが市場経済から離脱する唯一の道である。このように考えるのは、私は既に市場経済=資本主義のシステムはゆきづまっているとみているからである。
私がここで市場経済の重視ではなく、人類史の上で、古代や中世の社会においても現れた共同体経済を重視しているのは、最近の新自由主義時代にメディア等でもしばしば述べられていた誤った考え方に反撃したいためである。ソ連社会主義体制が崩壊したあとに日本の新聞等でもしばしば説いていたのは、民主主義と市場経済は人類普遍の原理であるというのであった。いま民主主義については問わないとしても市場経済に関する言説には私は反発を覚える。この言説はドイツのフライブルグ学派の巨匠W・オイケン(彼はドイツではケインズ以上に評価が高い経済学者であると思われる)の所説とは全く異なるものである。オイケンは、著書『国民経済学の基本問題』において、従来のあらゆる時代の歴史において、中央指導経済の組織と流通経済の組織が並存しているとする見地について詳細に論述している。これは大凡われわれのいう共同体経済と商品経済(ないし市場経済)の併存ということに照応する。彼はこの二つの組織のおいて計画が存在していたと説いているが、何れかといえば、前者の組織を重視している。(後者の組織の計画は、ミクロの計画にすぎない)。すなわち人類の歴史はどちらかといえば中央指導経済における計画経済の歴史であったとみるのである。もっとも彼が活躍したのは1930-40年代の頃であったから、今日のように世界が市場経済一辺倒となったグローバル資本主義の時代は知らなかったのではあるが、私は彼の経済計画の理論は大変貴重な議論であると考えている。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
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