覚書の壱(見通すことの難しい時代と社会の中で)
- 2011年 7月 15日
- 評論・紹介・意見
7月13日
1) いつの間にか季節は夏になり、また暑さにうんざりという日々が続く。でも季節の移り変わりの中で様々な行事や風物に楽しみながら過ごすことも出来、露地物のおいしいトマトやキュウリも楽しみだ。子供のころに井戸でよく冷えたのをかぶりついたのを思い出す。けれども、露地物には放射能がと思うだけで腹立たしい。放射能汚染のひどい地域の人たちのことを思うとそれだけに心が痛む。僕らは季節の言葉によって慰められもするのだけれど、今年はそんな気分になれない。気取っていうわけではないが、やはり心象風景は変色したままのところがある。僕らの自然な感受性や生活感覚が侵されているのは嫌な感じだし、根源的なところが壊された気がしてならない。
2) 東日本大震災と原発震災については次元をことにした理解をしなくはいけない。特にこのことを前提にした考察を原発震災についてはしなければと思う。でも、この事件には共通するところもある。原発震災は大震災の中で起こってきたことでだからこの覚書をそこからはじめる。この事件で被災にあった人々は日常生活を根こそぎ破壊され、今後の生活の展望の立たない大変の事態にあることが想像出来る。現地に足を運べばその一端に触れるが、新聞等の報道から察するだけでも復旧作業の立ち遅れが切実なものなっているように思う。特に福島原発は未だに原子炉の冷却安定のメドも立ってはいない状態である。僕は大震災で被災をしたわけではないし、この大震災の直接的な影響は少なかったわけであるが、このことを自分の中でどう考えたらいいのかの自問は続いている。
3) 3月11日の震災は強烈な衝撃で、当日はテレビに釘つけになっていた。連れ合いからは帰れそうないという電話があり心配していたのだが、息子からは無事の確認の電話がきた。どこでもある光景だったが、この衝撃は大きく僕らは予定していた国会前の座り込み行動の変更をした。例の通り自粛ムードが広がり、緊張感を持って事態の推移を見守るという雰囲気が支配的だった。僕は自粛ムードに反発を感じ、変わらない日常を送るように努め、そう語りもした。大震災の直後に友人の芝居を見に行った。予定を変えずに上演していたのに敬意を表してのことだ。大事件と言われるものが起こるたびに出てくる自粛の浸透というパターン、その雰囲気は好きではないし抗いたい。突然のように共同的なものが強く打ち出されて日常的に世界に覆いかぶさるようにやってくるのは嫌なのだ。僕らの日常的な営み(生存)には共同的なものや社会的なものがあり、こうした大事件は社会を強く意識させる。だから、社会的な連帯感情が生まれることは自然なことだが、それは事件の被災者以外のものが日常生活で自粛したところで被災地の人々のためになるとは思えない。非被災地の人々が被災地の人々のことに思いを馳せることは自然なことであり、支援に救援に赴くのもそうだが、自粛に同調を強要されることは違う事だと思う。僕らは個別的に日常生活を送っている。僕らの生存が個別的にある。これは生存のすべてというわけではないが、生存の個別性の側面である。僕らが日常的に具体的な対象との関係の中で行動し、生きていることは個別的で局地的である。この個別的存在とは別に人間は人間のために生成した自然(社会)という環境の中にある。この環境=人間のために生成した自然=社会の中にあり社会という関係が僕らの日常の別の側面を形成する。この関係は個別的な日常とは違う日常を形成し、大きくは社会、より具体的には市民社会と国家の一員という関係になる。仕事は市民社会の中の関係であり、政治活動や政治事への関心は国家の成員としての関係である。マルクスは人間の固有の存在である個の力が切り離されずに、そのまま類(社会)として承認されることが、人間が人間的存在(人間的に解放された存在)としてあることだとしている。これは人間的解放のできた社会での個と類の関係である。そこでの日常は個と類とは矛盾なくある存在である。しかし、現在はそうではない。個的存在と社会的存在《類的存在》には矛盾がある。これは人間のために生成した自然=社会が矛盾的存在にあるからだ。市民社会も国家も理念上では平等で自由な共同体としてあるが、現実には社会権力や政治権力を介した支配的関係が存在していている。社会は真の意味での<生活の生産>や<自由な意識>の発露としての場ではない。社会的関係は自由で平等な関係ではない。自由で平等な関係というのは幻想《幻影》であるにすぎない。こういう矛盾の中では人々は個という固有の存在の中で、かろうじて自己の存在を確証している。社会の中では疎遠な自分(自分でない自分)を感じている。とりわけ国家は疎遠な存在である。こういう関係を無視して、国家が全面に出てくるには抵抗があるのだ。個という存在の中で、その日常の中で自己を確証してあるのに、社会が急にわがもの顔で自粛なんていうのは気に食わない。大震災にしても原発震災にしてもそれが社会の矛盾の現われという側面はある。それだから、大震災や原発震災の被災者に哀悼を感じる。社会的な連帯を感じる。それがなければ復旧や復興に関心は生まれない。ただ。僕らは突然のように幻想的な社会に参加を強要されるのではなくて、現在の矛盾的な社会の関係の中で大震災のことを考えたいし、復興をその矛盾の解決に結び付けたい。社会的人間存在のどのような矛盾が大震災で現れたかを理解し、その変革に結び付けたいのである。とりわけこのことは原発震災において顕著である。人間のための自然の生成=社会の現状と大震災や原発震災の関係を明瞭にし、この社会の変革に結び付けて行きたいのだ。
4) 大震災や原発震災はそこでおきた事実の認識と同時に現在の社会の動き、その歴史的な流れの中でこの事件を理解することも重要だ。この大震災から現実的に立ち上がり生活を再建して行くのは被災地の人々である。現実的に被災した人々の生活の再建が基本になり、国家や社会の復旧や復興事業はそれを手助けするという立場である。復興の主体は被災地の地域住民である。しかし、日本列島の社会や政治の中でこの事件がどのような矛盾をあぶりだし、今後に教訓を与えているかの認識は重要である。特に原発震災はそうである。そして、この事件が社会のどのような動きと関係するのか、歴史の流れの中でどのように存在しているのかを理解するのは難しい。ここはとことん考えぬいた方がいいと思う。いうまでもなく、大震災の以前から、日本の社会や政治がどのような存在で、今後がどうであるかを見通すことは困難なことであった。大震災や原発震災は日本の社会的矛盾を露呈させ、隠されてきたものを表にだした。この事件を媒介にして日本社会の現状と今後は幾分か見通しやすくはなった。そうとはいえ依然として日本社会の今と今後を見通すことはやさしくはない。そこに問題がある。
5) 東日本大震災と原発震災に対する政府や政党の対応は政局(政争)に足を取られ有効な動きになってはいない。やっと復興基本法が制定し、補正予選が組まれる段階でだから現地からの声を待つまでもなく政府に復旧や復興政策に遅れがあることは明瞭だ。原発震災については福島原発の暴発を阻止する冷却安定も出来ていないし、事故の検証もできていないのに停止中の原発再開を巡る混乱を露呈し何をやっているのだと言われるようなテイタラクである。国会での主要な出来事は菅首相の退陣問題であって東日本大震災や原発震災への対応ではないのは誰もがおかしいと思う。政府や永田町は大震災や原発震災にどう対応するのか、その対応や復興構想で政党再編が起こってもいいところである。特に原発問題はそれを軸にして政党再編があるべき事だが、動きは鈍い。それほどの大事件であり、人々の生活や精神に非常に大きな影を落としているのに、政治的世界は旧態依然の政争をやっているだけというのは奇妙な現象である。もともとこれらの事件が起こる前から政治は政争に明け暮れていたのだが、大事件のよっても変われなかったというよりは政治家や政党の政治理念や構想のなさが露呈しているといえる。日本の政党や政治家は現在の社会の動きや歴史的な流れを理解し、方向づけていく見識も構想も持ってはいない。それを大震災や原発震災は満天下にあきらかにしたのだ。民主党政権の誕生時の三つの方向はなし崩しに後退して何をやろうとしているのか見えないがこれは大震災と同じくらいひどいものである。「日米関係の見直し」「生活の再編」「統治権力の変革―官僚主導政治の変革」はどれも後退としている。沖縄基地問題での日米合意と民主党の政権党としての対応一つみても事は明瞭である。アメリカでは議会で沖縄の基地問題で従来と違う動きも見えているのに、日本政府の動きは驚くべきものだ。結局のところ官僚主導で事は進み、政府は主体性もなくそれを追随しているだけである。統治権力の変革の必要ということは原発問題での経産省や原子力村の主導的構造を一つ見ても明瞭である。が、依然として経産省や原子力村の力は保持され停止中の原発再開の暗躍隊としてうごめいている。大震災は民主党政権の「生活が第一」という課題をまさに試さしているようなところがあるが、それに応えるだけの政治的力能が民主党には、というよりは日本の政党や政治家には存在していない。
6) 大震災や原発震災に対する対応としてはさしあたっての復旧(2~3年の射程)と復興構想《10~20年の長期》との差が踏まえられて方向が出ているとは思えない。普通の震災なら復旧はもっと短いスパンで考えられるかもしれないが、今度はそうは行かない。復興というのはこの大震災を社会的に受けとめて、それを生かして行くという要素があることを意味する。復旧と復興と言ったところでその差異は見いだしにくいが、それは構想力のところで出てくる。民主党政権が復興に対応できるような政治的・社会理念や展望を持っていないことが露呈している。自民党や公明党は言うに及ばない。逆に言えば、僕らが大震災と原発震災からの復興を構想できるものを持ちうるかが問われていることでもある。僕らが復興構想を描き得るかが問題だ。1923年の関東大震災では後藤新平が帝都復興構想を持って出てきたし、これが復興の道筋になった。後藤は震災を契機に日本の近代化を都市再建として果たすという方向性が出せたが、歴史の流れや社会の複雑化の中ではこのような復興構想は不可能である。そこに日本社会の困難性があり、復興構想が出てきにくいのだと言える。これに原発震災があるが、ここでは脱原発かその推進か明瞭にしなければいけない。
7) 原発震災も含めて今回の大震災が僕らに突き付けているものは日本の政治的・社会的・文化的な転換であると思う。これを僕は帰路という言葉で現わしてもいるが、大震災はこれを僕らに自覚させる契機だったともいえる。特に原発震災はそれを意識させている。日本列島の社会(経済・政治・文化)は世界史の中での展開として、つまりは人類史の中にあるが、この列島の地域住民は社会が転換期にあることをそれなりに感じてはきたのだと思う。政治的、社会的意識の混迷感という形でそれはあった。民主党への政権交代ということもその現れの一つだった。僕はそれを「もう一つの世界」への欲求というように語ったが、これはさしあたっての表象である。それ以上ではない。日本の社会が日本列島の住民たちのための人間的自然の生成史であったとすれば、それの結果である社会も国家も僕らの生活の生産や自由な意識にとって矛盾(違和)を覚えさているものだった。社会的な共同性においても、政治的な共同性においても共同的なものというよりは違和感を持たせるものだった。社会や政治の理念が《自由と平等》なのに現実はそうではないというのも違和感の一つだが、<社会や政治>をふくめた社会が存在感覚として掴みがたいというところがある。社会を感性においても像においてもよく実感できないというようにあるのではないか。社会的な存在ということを現実意識や日常意識において実感していることは疑いないが、それを理念(概念)としても像としても確認しがたいということがあるように思う。《見通すことが難しい社会》と言われるがそれは歴史の流れを理解しにくいことでもある。日本の社会に対する違和感を僕らは社会の現状を了解できないことやその像を描けないこととしてきた。だから、現実の意識として社会や政治への違和感は「もう一つの世界へ」という欲求であったにしても、それが社会や国家の理念や構想、つまりは共同的像にはなることが困難であるということでもあった。転換さるべき社会や国家の理念、あるいは構想は現実の絶えざる運動(社会的運動)の中から見えてこないのだとしても、その端緒すらつかめない状態が続いてきたのだと言える。「もう一つの世界」というのは構想された社会像ではなくて、構想さるべき像であり、現実意識からの運動へという欲求自身のこというほかない。大震災や原発震災からの復興は人々の生活再生を根底に持つ社会の運動でもあるがここには日本社会の転換が含まれる。転換がなければ意味ある復興は不可能であろうというのが僕の考えである。政府の復興事業は重要だが限定的である。人々の復興に向けた動きは生活の再生を根底に持つものであり、現実の社会の運動になる。自己決定という契機を内包した社会の運動は「もう一つの世界」を現実のもの近づける。そこへ接近する契機を持つ運動である。
8) この転換にはこれまでの体制の変革も含むものだが、これをどの射程で考えられるかが問題である。それは転換の意識の強度ということだが意識は歴史的なものだから、歴史的な射程もって現れる。戦後史の転換、明治維新以降の転換、文明史的転換など射程はいろいろと語られる。哲学者の梅原猛さんが今度の大震災を「文明的震災」としてその転換を挙げているのは一例である。僕らは日常的な社会や国家に対する違和感を基盤にするがこの中で、「失われた20年」からの転換ということでこれを像に近づけてみたい。
9) 「失われた20年」からの脱却は高度成長経済社会を目指してき戦後社会からの転換である。これは敗戦を挟むが明治以降の富国政策の延長であるからそこからの転換とも言える。明治維新以降の日本が社会的にやってきた産業革命と近代化の転換であり、これは近代あるいは現在の超克といわれるものでもある。具体的には沖縄の基地問題解決や東北地方の復興がその端緒を形成できるか、どうかということを意味している。原発の廃止やエネルギー政策の転換をふくめてもいいかも知れない。沖縄と東北は日本の産業革命や近代化に遅れて登場した地域であるが、ここがその矛盾の集中点をなした側面もあり、その脱却の発火点のような位置を占める。大震災の復興は日本列島の政治・経済の転換を内包するものであり、高度成長社会に至りついたこの列島の社会の転換の歩みである。
10) この大震災は僕らを内向きにさせる。世界の動きなどは視野にはいつていないかのようだがそうではない。世界は動いているし、世界的な関係の中で大震災はあることを忘れはならない。そこで政治、経済的な世界の動向を見てみる。この世界史的な背景に位置するのはアメリカ経済の衰退であり、ドルが世界通貨=基軸通貨として君臨していた時代の衰退である。この空間的(地域的)なアメリカの衰退は戦後史という時間的(歴史的)な衰退を同時に現わす。アメリカ経済=世界経済という戦後の世界経済の枠組みの中で日本経済は高度成長に至った。日本は社会の高度化を達成したと言われるが、アメリカ社会を人類史の先端的社会として像化し、そこにモデルを見出してもいたことは疑いない。豊かな社会や豊かな生活というイメージである。ドルが世界通貨的な役割を保持していた段階(1972年以前)、それを失いながらドルが基軸通貨であった段階を含めて日本経済は相対的な円安で輸出を拡大しその推力で高度成長を実現した。ここには戦争も含めたアメリカの政策もあるが大ざっぱにはこう言える。重化学工業でのアメリカとの競争とアメリカ経済依存の矛盾の中で実現したことだが、依存していたアメリカ経済の衰退の中で日本の高度成長経済は停滞し、転換を促されてきたのである。1985年のブラザ合意の時がこの転換の大きなチャンスであったのだが、ここで失敗し、その後の「失われた20年」が続いてきた。この失敗はアメリカ経済=世界経済という枠組みの中での円安による輸出産業の高成長に経験に呪縛されていたからだと思う。アメリカという経済圏の中にあれば、日本経済は発展し、人類史にも貢献できるという神話にとりつかれていたのだ。これは戦後の成功神話であったから簡単に離れられないものである。日本の戦後経済の転換が不可避であり、そのチャンスであるという認識が日本の産業界にも政界にも官界にもまた、民衆にもなかったのがブラザ合意の失敗の原因である。この時、日本経済が遭遇していたのは人類史的な観点でいえば、イギリスからアメリカへ産業革命の高度化を経た地域(世界の先端的地域)がそこからどのような転換をなしえるかということでもあった。イギリスやアメリカのそこでの失敗をどのように乗り越えられるといことでもあったわけだ。軍事経済(軍事の社会化)、金融経済、新自由主義など失敗としてそれを描きえる。日本ではそれを模倣することで転換をイメージした小泉路線の失敗がある。ブラザ合意の失敗に続くものがそれであった。
11) 「この失われた20年」の中で政治(軍事)的に大きな位置を占めてきたのはアメリカの9月11日事件以降の動向である。アメリカの政治・軍事戦略はここで大きな転換を遂げるが、アメリカの政治的・軍事的地位は減衰している。イラクやアフガニスタンでの戦争を見れば事は明確である。沖縄の基地問題に凝縮している日米の政治的・軍事的関係が転換を促されていることははっきりしている。9月11日以降のアメリカの政治的・軍事的な動向に対応し、海外派兵と憲法改正を目論んできた日本政治野中の動きは頓挫している。憲法9条を軸にしたアメリカの軍事戦略からの離脱《その方向をめざしての動き》が「もう一つの世界」の政治的展望ということになる。福島の原発震災は隠された日本の軍事戦略を暴いたと言われるが、沖縄と福島は憲法9条の理念と精神を据えた日本の政治的展望、それが「もう一つの世界」を目指す日本政治的の展望になる。大震災や原発震災は世界史的にはこういう背景にあることを忘れてはならない。日本の転換ということは戦後の日米関係の転換という中である。世界的な枠組みの転換と連動している。
12) 僕らが現在の超克、あるいは「もう一つの世界」を展望するときその世界的背景にはアメリカの政治・経済的衰退があり、戦後の日米関係からの転換がある。これは日本の高度成長社会、その後の「失われた20年」の転換でもある。この日米関係の転換と日本社会の転換を尖端で担っているのは沖縄である。東北が次に担わざるを得ない場所に位置して行くのだと思っている。沖縄と東北は日本の転換の先端を地域的にだけではなく、歴史的にも担っていくと思っているが、そこの動向が日本列島の転換(変革)に結び付いて行くかはまだ明瞭でないところがある。イメージとしていえば、中央集権化する政治経済体制が世界史的にも、戦後史的にも行き詰まり、分散的で協同的社会の生成になって行くのだと思う。高度工業化社会による生活の高度化(豊かさの達成)からの帰路にある。そこで生活の再生産ということが基軸になることは明らかである。生産も消費も流通も生活の再生産を基軸に構造的な変化を不可避にする。産業革命以来の専業経済の構造が転換して行く。人々の社会観や価値観は当然にも変化する。 この中央集権的構造(一元的構造)を分散型の構造に変えていくには日本の官僚制的な統治権力を変える必要がある。「自由と民主制」が戦後の官僚的権力のイデオロギーだが、これは民衆の構成的権力によって替えられねばならない。構成的権力という生の存在から出てくる政治的な主体の登場がなければならない。「琉球弧の自己決定権の樹立」という言葉がある。これを世界的な構成権力の動きとして理解し、その自立性が「もう一つの世界」の主体たりえるということをイメージできる。僕は東北の大震災からの復興において被災地住民の自己決定(自立)の要素が重要であると思う。これは復興を「もう一つの世界の形成」に結び付けていく主体の存在にもなる。戦後の日本は「自由と民主主義」の国家であり、それが日米同盟の価値観の共通基盤であるとした言説がある。それはイデオロギー的な言説であり、日本の政治に実態は明治以降の官僚制支配である。アメリカは戦後の日本統治にこの官僚制を利用し、官僚はアメリカと共同利害を形成してきた。経済・政治(軍事)でのアメリカの枠組みだけではなく、統治権力でもその枠組みの中にあった。この統治権力を変える主体は構成的権力であり、沖縄や復興する東北の人々の自己決定(自立)の要素である。そこに社会を変える主体が存在する。構成的権力の登場が自由や民主主義のような普遍的理念からではなく、生活の現場からの自己決定権的な現実運動として出てくるといことだ。
13) 東日本大震災が日本列島の社会(文化・政治・経済)の転換を促し、それが「もう一つの世界」にイメージ化されるとしたら、それはあらゆる領域のアメリカ的なものの脱構築が世界的な背骨として必要である。それと日本の戦後的価値観の脱構築も。戦後の政治・社会運動の理念であった「自由と民主主義」の脱構築による社会変革の主体の生成が不可欠である。この主体のイメ―ジは自己決定権の樹立を志向する民衆の運動ということになる。僕らはここで留意する必要がある。戦後の民主主義運動とそれを変革しようとした急進民主主義運動もこの主体を解体させたままにしてきたことである。これが左翼的民主主議運動を空白化させて、僕らの表出感覚が主体としての感覚を取り戻せない理由である。自己決定権の樹立が日本列島の地域住民(民衆)の理念的、実践的な課題になることが重要である。脱原発や反原発の運動の担い手達がその基盤になって行くことを期待できる。
14) 大震災の中で原発震災は特別な位置を持つ。この事件に包摂されることもあるが、独自に析出しなければならないこともある。まず、大震災のことに触れておく。人間は自然との関係の中にあり、自然の一部であるが、動物や植物と違って自然を非有機的身体にし、そのことで自然の有機的存在になるという関係を持つ。人間の自然との関係は二重に形成される。自然との共通基盤にある関係がある。自然の外に人間的自然を生み出ことからら出来てくる関係である。人間的自然とは自然的存在の外に自己を疎外してできるもので、このときには自然は人間の非有機的身体としてあり、この非有機身体は自然の有機的身体である。人間が非有機身体として疎外したものと、自然が自然の外に疎外したものが相互関係を持つ。この第一の自然の外に生成して行くのが人間的自然であり、これは社会とも類とも呼ばれる。それでもこの人間的自然=人間のための生成された自然もまた自然にほかならずに人間が自然の一部であるということに包摂される。ここが動物や植物とは違うところである。同じ自然的存在と言っても違うところがる。だから生態系と言っても人間が自然との共通基盤の上にある時の生態系と人間的自然の上にある生態系が二重にあるということになる。もう少し、人間的自然と言われるものは言及しておく。人間的自然の生成は自然を台座とした個的存在《固有な存在》からは疎外された類的存在《人類史的存在》を生み出す。これは類的存在とも社会的存在ともいえるが、これは歴史として現存する。人間は個的には死ぬが類的には生き続けるものだからである。人間の存在は個的存在と類的存在であり、自己存在はこの構成として現象する。マルクスはこの類的存在を自然史という概念でとらえており、その現実的存在《労働を規定にして生み出したもの》としての市民社会という理念を与えている。この上に幻想的共同体として国家を理念化している。人間的自然の生成史が歴史だが、人間の時間的存在としての生成史である。この生成史の現段階が市民社会と国家である。この生成史は地域的(空間的)と段階的(歴史的)な特質を持つ。地域性とは空間的なものであり、段階とは時間的なもだが、この特質は社会の在り方に大きく影響もする。人間の対象は自然一般であれ、人間的自然であれ自然に対するものとしてあるが、その地域的特質は風土という意味合いを強く持つ。これは人間が自然存在であり、自然を根底に持つが故に第一の自然であれ、第二の自然であれその影響を強く持つということである。地震国日本、あるいは自然災害国日本という日本列島の地域住民の風土論的な特徴は自然を人間的自然によって克服するというよりはそれを共生し、調和するという考えが強く出てくると言われる。自然との関係の中で、自然をどのように理解するか、それは同時に人間をどう理解するかであるわけだが、それを思想という。その思想は自然の影響を強く受けるわけでこれを風土論的特徴ということができる。東洋的、アジア的な思想(対象的になった自己意識)は自然と対立し、それを克服というよりはそれと共生し、調和するという特徴があると言われる。論理に対して情緒が精神のありようとして重んじられる傾向もその一つである。その中で自然から疎外される人間的自然の存在に対してそれを自己疎外とよべば、これを穢れとして見る考え《自意識》が強いと言われる。西欧的思想の伝統にあるのは自然と対立し、それを克服するというところに人間的なものの存在の価値を見出す。この思想は近代において普遍的な世界思想のように現象したけれども、自然や人間的な自然に対する認識や理解が東洋的伝統と西欧的伝統では違うと見なされてきた。自然との一体感か、自然からの分離意識かと言ってもいいわけだが、例えば、マルクスの自然哲学と日本的な自然思想との差異がある。西欧的思想は宗教から科学への展開の基盤をなしてきたが、産業革命以来この近代西欧思想が世界思想(普遍思想)という考えが強かった。西欧近代の思想制度(市民社会や国家の思想的根拠づけも含めて)が地域性を超え、歴史段階の先端にあると考えられていた。 自然をどう考えるか、自然をどう見るかというということ、つまりは自然に対して対象的になった自意識(思想)の中で自然との共生や調和を考えるものは地域的な思想であるか、人間の歴史が低い段階にあるものと見なされてきたわけである。近代思想の人間優位論はそうであるが、この思想の普遍性が疑われ、相対化される局面にある。自然を制約とみてそれから解放されることが人間的な存在の課題であり、達成であるという思想が見直されてきている。大震災は地震という存在を通じて、第一次自然の力を改めて僕らに教えた。自然の克服論を相対化する契機になっている。自然と人間的自然を人間の意識(思想)がどう認識するか、どう理解するかがあらためて問われている。これは日本の近代史、西欧思想の移入に基軸を変えた近代が改めて問われることであり、未来の日本社会の在り方を問い直すことでもある。日本列島の社会(文化・経済・政治)の中で西欧近代思想が中心であった時代の見直しとそれによる今後の構想の契機になる。
15) 原発という存在は人間自然の現在、それを媒介にした人間と自然の関係の現在を象徴しているところがある。これは上記のことから言えば人間的自然の生成史である第二の自然と人間の関係の矛盾である。そこのところが大震災とは違うところである。基本的には人間と自然の代謝(循環)関係を破壊するものとして現象している。大震災の場合もそうではあるが、それは自然の活動によるのであり、原発震災は人間的自然としてあるものが自然との交流関係(代謝関係)を破壊しているのだ。人間は自然の生態系の外に、もう一つ人間的自然に基づく生態系を生み出してきたが、この生態系の破壊を通して生態系の破壊にいたろうとしているのだ。人間と自然の関係は二重だが、人間が自然の外にもつ関係は類《人類)という形態を介した自然的関係であり、大きな意味では自然の生態関係である。原子エネルギーはこの生態系の外部にあって破壊的に作用する。中沢新一さんは「原子力エネルギーは生態圏の外にある」と述べているがこうした意味においてである。自然諸科学は人間の自然史の生成である産業史の発展に関わってきた。原子エネルギーの産業化はこうした流れの中にあることだが、人間(科学)の手を超えたものであるのだ。これは人間と自然の交流関係を破壊するものであり、人間の存在の倫理に反するのである。人間がその科学技術において原子エネルギーを制御できる可能性という論議がある。これは論議であり、可能性があるということを誰も否定はしない。これを現段階で可能になったという策術を許してはならない。原子力安全神話はこの策術の上に形成されたものである。これは薬や遺伝子の問題でも出てくるが科学が生みだし、可能にするものと人間の存在の倫理を関係させながら論じるほかないものである。原子エネルギーが科学技術で制御できていないことは核燃料のことを見れば明瞭だと思う。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0549:110715〕
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