ゼ大統領の失敗で幕を閉じる世界オレンジ革命 ――悪役プーチンを隈取りしたヌーランド国務次官の陰謀
- 2022年 3月 20日
- スタディルーム
- 矢吹 晋
ソ連邦解体に始まるいわゆるオレンジ革命は、舞台をウクライナに転じて最後のステージが演じられた。主役はタレント出身のゼレンスキー大統領、悪役はプーチン大統領だ。独裁者の孤独、精神鑑定が必要か、といった論評が日本メディアに溢れた。Gセブンの一員、名誉白人とおだてられて有頂天の日本の報道は、おそらくは世界最悪の頓珍漢ぶりだ。主権国家ウクライナに対するロシアの軍事侵略という公式に当てはめて、プーチンの<蛮行>を超党派が一致する世論とばかりに異口同音に非難し続けた。これは2月1日に採択された新暴支膺懲国会決議の愚劣と軌を一にする。
しかしながら、<主権国家への内政干渉>論は30年前のソ連邦解体以後の国際秩序観に基づく情勢認識であり、歴史的経緯を無視した単純化のそしりを免れない。たとえば❶ロシア革命の発端がオデッサ港におけるポチョムキン戦艦の反乱であること、この一点を再考しただけでも、ロシア・ウクライナ関係の一コマを理解できよう。あるいは❷音楽家チャイコフスキーを人々は<ロシアの作曲家と信じて疑わない>が、スキーを消したチャイカ(かもめ)の先祖はコサック騎士団の一員である。もう一つ、❸スターリンの没後、故人を断罪して米ソ平和共存の道を開いたフルシチョフはウクライナ人として、ソ連のトップまで昇進し、その在任中クリミアをウクライナ領とした。
これら三つの例を見ただけでも、ウクライナとロシアの兄弟愛憎劇の一端は察しがつく。実は旧ソ連の中心はスラブ民族の長兄ロシア、次兄ウクライナ、三弟ベラルーシの三兄弟関係で成り立っていた。プーチンは3月2日ゴルバチョフの誕生日祝賀演説で、レーニン・スターリン・フルシチョフを罵倒し、ゴルバチョフを手放しで礼賛した。プーチンがこの3名を批判しゴルバチョフを礼賛するのは、前3者が<ソ連人(すなわちホモ・ソビエティクス)という大義名分>でロシア民族の民族的利益を犠牲にしたからだ。ゴルバチョフはこのような<破産した理想主義>を捨てて、ロシア民族の立場に戻る決断、すなわちソ連邦の解体に踏み切ったことで称賛に値するという論理だ。プーチンがロシア民族主義への回帰を語るとき、彼の脳裏にあるのは、ロシア民族の被害者意識である。
ところで第2次世界大戦期の1932~33年にウクライナでは穀倉地帯であるにもかかわらず、農業集団化と穀物輸出のために200万人が餓死する大飢饉<ホロモドール>が発生し、人肉食の悲劇が演じられた。2019年の映画<赤い闇、スタ-リンの冷たい大地で>(アグニエシユカ・ホランド監督)は、この悲劇を映像化して今回のドラマの序曲となった。ウクライナは戦中の悲劇の見返りに冷戦期にはソ連工業化の一大軍事基地となり核兵器や空母を生産する工業都市化した。ウクライナ独立に際して核兵器はロシアに引き渡し、見返りに<中立ウクライナの安全を保障する>ことが当時の公約であり、中国は1994年12月政府声明でこれを約束し、中国ウクライナ善隣関係を構築した。冷戦が終わり無用の長物となった空母は中国に引き取られ、遼寧号に変身し、これをモデルとして国産空母山東号が作られたことはよく知られていよう。
クリミアはウクライナ共和国の領土であった当時も、高度な自治権をもつ<国家内国家>であった。1954年ウクライナ出身のフルシチョフは、クリミアを<ウクライナの一部>と宣言したが、人口の過半を占めるロシア人はこれに納得しなかった。2014年3月クリミア共和国における住民投票が多数だとしてプーチンはロシア領に併合した。ロシア海軍にとって地中海に出る不凍港としてクリミア基地が地政学的に重要であること、また日本の敗戦処理を決めたヤルタ会談の保養地としてもクリミア半島は記憶に残る。
NATOの東方拡大に対してプーチンはかねて憂慮の意を表明してきたが、万一クリミア基地がNATOに編入されたら、ロシアは地中海への出口を失う。NATO化ウクライナに危機感を抱いたプーチンの懸念は当然であろう。世界オレンジ革命に呼応したウクライナの中立化の危機は、その後ゼレンスキー政権のもとで急速に深まったとプーチンは遂に軍事力の行使にふみきった。<万一キエフにNATOの核兵器が配備されたら、モスクワまで800km>であり、プーチンのみならずロシア民族の歴史的伝統的な恐怖感は想像に難くない(1962年キューバ危機における米国の騒ぎを見よ)。クリミア併合でプーチン人気が高まったように、今回のウクライナ侵攻においてもプーチン人気は高まると見るのが、ロシア民族ナショナリズムに着目した見方だ。日本メディアの描く悪役プーチンのイメージは、今回のオレンジ革命失敗劇のシナリオライター・ヌーランド国務次官の筋書きにすぎない。
ポピュリスト政治家ゼレンスキーは、元来タレントだから、ウクライナの国民人気を煽る点で並みの政治家や軍事専門家をはるかに上回る。しかしながら、役者という商売はシナリオなしには、演技ができない。ここでやはり今回のシナリオライターの横顔を観察する必要がある。バイデン政権の外交を担う国務長官はアントニー・ジョン・ブリンケン Antony John Blinkenは、1962年生まれ、60歳の外交官だ。彼はニューヨーク州でウクライナ系ユダヤ人の銀行家ドナルド・M・ブリンケンと、裕福なハンガリー系ユダヤ人の母との間に誕生した。父のドナルドは1994年駐ハンガリー大使、伯父のアラン・ブリンケンは1993年駐ベルギー大使を務め、外交官一家。父方がウクライナ血統のユダヤ人、母方がハンガリー血統のユダヤ人だという国務長官ブリンケンがウクライナ問題に通暁しているのは当然であろうが、彼は否応なしにウクライナ贔屓、反プーチン論に引きずられるおそれは否定できまい。
米国外交にとってより重大なのは、国務省ナンバー3のビクトリア・ヌーランド国務次官である。ウイキペディアで経歴を見ると、1961年ニューヨーク市生まれ。父方の祖父はロシアから移民したウクライナ系のユダヤ人である。ブラウン大学を卒業後、アメリカ国務省に入省。外交官として、在広州アメリカ合衆国総領事館(1985~1986)、国務省東アジア太平洋局(1987)、在モンゴルアメリカ合衆国大使館(1988)、在ソ連アメリカ合衆国大使館(1988~1996、ソ連担当デスク(1988~1990)、内政担当(1991~1993)、国務次官首席補佐官(1993~1996)、国務省フェロー(1996~1997)、外交問題評議会フェロー(1999~2000)、アメリカNATO常任委員次席代表(2000~2003)、国家安全保障問題担当大統領補佐官次席(2003~2005)、オバマ政権下でNATO大使(2005~2008)、国防大学教官(2008~~2009)、ヨーロッパ通常戦力条約特使(2010~2011)、米国務省報道官(2011~2013)。ソ連解体期にモスクワ大使館で働き、オバマ政権期に国務次官補としてロシア東欧を担当し、バイデン政権下で国務省ナンバー3の国務次官(国務長官、副長官に次ぐ)となって、<オレンジ革命最後の舞台>を演出し、失敗した。彼女のエピソードをウイキペディアは、次のように紹介している。2014年2月、パイアット駐ウクライナ大使との通話内容がYoutubeで暴露された。そこでは2013年末からのウクライナの政情不安についての議論がなされ、ヤツェニュク政権の発足が望ましいとされ、クリチコやチャグニボクの排除が合意された。その場でヌーランドは国連によるウクライナへの介入を支持し、ヌーランドの意にそぐわないEUを「fuck EU(くそくらえ)」と悪罵した。これによりウクライナやロシアから、米国流内政介入を批判する声が上がった。ヌーランド後任のサキ報道官はこの会話内容が本物であることを認め、結局ヌーランドはEU側に謝罪した。2013年12月には、ウクライナを巡る会議において「米国は、ソ連崩壊時からウクライナの民主主義支援のため50億ドルを投資した」とも証言している。
3月9日、米連邦議会上院外交委員会の公聴会では、ヌーランドがこう証言した。彼女はウクライナに化学・生物兵器はあるかとの質問に対し、次のように回答した。<ウクライナは生物研究所の施設を管理している。我々はロシア軍がそれらを管理下に置くことを懸念している。そのためウクライナ側と協力し、これらの研究資料がロシア軍の手に渡らないよう努力する。> ヌーランドのいうロシア側に渡らない努力とは、ロシア軍の進駐に備えて研究資料を破棄することだが、この証拠隠滅は十分ではなかったごとくだ。
ロシア国防省は米国がウクライナにおける生物研究所の活動に2億ドルの資金援助を行っていたと発表し、これらの研究所は米軍の軍事生物プログラムに参加していたと指摘し、国連生物兵器禁止条約(BWC)の枠組みで協議を開催する必要性を国連安保理に提起し、米ロ間で厳しい応酬が行われた。中国外務省はロシア側の問題提起を受け、米軍が国内外で生物兵器の開発を進めているのかについて、説明を行うよう強く要求した。
というのはコロナウイルスの発生源をめぐって米中は厳しい対立を展開してきたが、ウクライナの生物実験室のなかに中国が米国に提供したキクガシラ・コウモリの標本が確認されたことで、コロナ発生源をめぐる米中の応酬は新たな段階を迎えたことになり、中国側に有利な展開となったからだ。ヌーランド証言を聞いたSNS書き込みのなかに、昨日までは陰謀論として否定されてきたヌーランドの暗躍がいまや上院証言で確認されたというものがある。
30年にわたるオレンジ革命劇の幕引きはあっけない。3月15日、ゼレンスキーは<NATO加盟は困難>と語り、幕引きが近いことを示唆した。NATO側もウクライナを受け入れる用意はないと意向を明らかにしている。となるとプーチンにとってウクライナ攻撃を続ける意味はない。停戦が近い。プーチンにとって新たに傀儡政権を組織するよりは、ゼレンスキー政権の改組によって<ウクライナ中立>を実行させるほうが安くつく。ゼレンスキーから見ると出国して亡命政権を組織するよりは国内にとどまる方がやはり安くつく。ウクライナの中立とその安全保障システムをどう構築するかについては、さまざまのプランがありうるだろう。雨降って地固まる、のたとえ通り、NATOの東方拡大はウクライナ西側国境線でとまり、ウクライナ・ロシア両国関係は、ソ連解体以後初めて安定するものと見られる。
今回の衝突事件を通じて、世界にはさまざまの変化が見られるが、最大の変化は、<米国の覇権の弱体化>であり、EUの経済はロシアのエネルギーを抜きにしては成り立たないことを改めて示したことであろう。中国は主権国家ウクライナに対する侵攻を批判しつつも、対ロシア制裁には強く反対し、自らの主体的立場を貫くことによって、国際秩序の安定化に努め、その地位を一段と強化した。その実力は今後の米中関係の新たな要素として活かされるであろう。日本は空騒ぎに踊った挙句、日本沈没の速度をいよいよ早めつつある。
2022.3.20
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study1212:220320〕
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