ウクライナ問題 ナショナリズムのバカバカしさ(後編)
- 2022年 3月 29日
- 評論・紹介・意見
- 柏木 勉
■2014年のマイダン革命――米国政府の謀略とネオナチの跳梁
ところで、先に物事と物事の間には媒介項があると述べたが、次にその点に触れたい。
今回のロシア侵攻までは何年かにわたる経緯、またプーチンの行動を支配するロシアの国家観、世界観がある。これらをそれなりに踏まえなければ、今後の道筋・とるべき対応が見えてこない。そのため以下に2-3点提示して、今回の問題の理解、今後の対応に資するものとしたい。
まずは、米国を中心とする西側支配層は親米・新EUのウクライナ支配層を支援してきたが、その目論見についてである。
米国支配層は民主党であろうが共和党であろうが、ウクライナ内部で謀略をしかけきた。(他方のプーチンの領土観、軍事介入については後述)
ウクライナでは、親ロ派、親米派とわず腐敗・堕落したオリガルヒの代表かあるいは癒着した政権が続いてきた。ウクライナの腐敗認識指数の国別ランキングは、2021年度は122位と最低の部類だ。無論、経済は長期にわたって低迷してきた。ゼレンスキーは市民から腐敗堕落一掃と東部2州の紛争解決を期待され、2019年大統領に就任した。しかし、就任後の実績なく支持率は20%に下落していた。
■狙撃は反政府側から行われた
だが、問題はその前の2014年からの経緯だ。
プーチンのウクライナ侵攻へといたる直接の転機は、マイダン革命(2014年)だ。マイダン革命は、欧米や日本では、もっぱら親ロシア派ヤヌコヴィッチに対する民主派市民の勝利とされている。だが実は、米国政府の謀略とネオナチの跳梁によって親ロ派政権が打倒されたのである。ヤヌコヴィッチのEUとの提携協定調印の撤回後に、「独立広場」を中心として撤回に反対するデモがはじまった。それがネオナチを中心とする暴力的なものに変わった時点で、デモ隊への射撃・殺害がおこった。これは、米国の軍事工作員ブライアン・クリストファー・ボイエンジャー指揮下のスナイパー(雇われたグルジア人、リトアニア人等)によるものだ。政権転覆・クーデターに関わったのは、ヴィクトリア・ヌーランド米国国務省欧州及びユーラシア担当局長だ。当然駐ウクライナ米国大使も関わっていた。デモ隊への射撃・殺害(死者は約100人)の大混乱に乗じてクーデターは成功した(その中心的役割を果たしたのが暴力的ネオナチである)。ヌーランドは事前にクーデター後の暫定政権人事にまで介入していた。実際、政権トップには彼女の事前の推薦通りヤチェヌークが就任した。こうして、一応は民主的選挙で合法性を得ていた政権が打倒された。
政権中枢にはネオナチメンバーが多数入閣した。ネオナチメンバーは以下のとおり。
オレクサンドル・シチュ 副首相(Svoboda)。
アンドリ・パルビー 国家安全国防委員会事務局長
(国家社会主義党の創始者でSvoboda党員)。国家安全保障担当。
ドミトロ・ヤロシュ 国家安全保障次官。右派セクターで、反対派デモ隊の安全保障隊長。
ドミトロ・ブラトフ 青年スポーツ大臣。
テツヤナ・チェルノヴォ 反腐敗委員会議長。ジャーナリスト。
アンドリ・モフヌーク環境大臣。Svobodaの副党首。
ヨール・シュヴァイカ 農業大臣。Svoboda党員。
オレフ・マフニツキ 暫定検事総長。Svoboda党員。
(注1:以上のネオナチのリストは、『「キャノングローバル戦略研究所 国際交流 2014.05.13
「ウクライナ問題について その3」 小手川大助研究主幹』より
https://cigs.canon/article/20140513_2563.html
(注2:下斗米伸夫「宗教・地政学から読むロシア」 2016年 日本経済新聞社 p264-268も参照
(注3:米国政府の謀略、スナイパーによるデモ隊殺害については以下を参照 ほかにも多数。
http://yocchan31.blogspot.com/2017/12/blog-post.html
その直後、プーチンはクリミア民意を名目に併合。復讐に打って出た。東部親ロシア派地域(ドンバス地域)で戦闘が始まり東部2州は独立を志向、その後戦闘激化(ウクライナ側はネオナチ中心、ロシア側も事実上の人的物的支援を拡大)、2014/15にミンスク合意(東部2州に特別自治権付与)、しかし、ゼレンスキーは特別自治の施行は不履行のまま攻勢激化。本年2月24日、プーチンは「特別軍事作戦」でウクライナ侵攻。
■プーチンが口にする「ネオナチの解体」
では、プーチンが主張するウクライナのネオナチとは何をさしているか。
ウクライナのネオナチとは、普通、ウクライナ独立をめざしたステパン・バンデラの系譜を踏む暴力的反ユダヤ主義、白人至上主義者をさす。彼らは「アゾフ」、「右派セクター」、「スボボダ」等の武装組織をつくってきた。バンデラはナチス・ドイツのソ連侵攻当時に、ナチスと共にソ連と闘い、ウクライナ独立をはかったが失敗。当時、彼の指導する組織「ウクライナ民族主義者組織・OUNは民族浄化・排斥をとなえ数万人のポーランド人、ユダヤ人を虐殺した。しかし、ナチスはウクライナ独立をゆるさず。大戦後はソ連内における破壊活動に従事し、後に西ドイツでKGBにより暗殺。
ソ連時代には「ナチスの協力者」「過激な民族主義者」「テロリスト」として憎悪の対象だったが、91年のウクライナ独立以降「独立のために戦った英雄」としてバンデラの名誉回復がすすみ、「オレンジ革命」以後「ウクライナの英雄」の称号が与えられたが、国内外のユダヤ人等の抗議で撤回。マイダン革命以降はバンデラが率いたかっての組織メンバーを「独立の闘士」とする法案が提出された。これらの「歴史修正主義」はイスラエル、ポーランド等からも批判をあびたが、バンデラの銅像がいくつも立ち始め、キエフ中心の「モスクワ通り」は「バンデラ通り」に改名。ネオナチの「アゾフ」は国家警備隊に統合された。プーチンはこうした動きに反発し解体を言明するに至った。
だがバンデラまでさかのぼると、彼が率いたような極右武装組織を生んでしまったのはスターリンの圧政。残虐な農業集団化、大粛清、収容所群島の構築という圧政だ。スターリンの罪は重い。
■プーチンの軍事介入、軍事侵攻の内在的論理
つぎに、プーチンが国民国家の主権を無視して軍事介入・軍事侵攻を行う内在的な理屈(論理?)とは何か、不十分ではあるが、それ見てみたい。
結論を先にいえば、中國共産党と同様にアジア的専制の系譜をふんでいるからだ。だが、それはひとまず置いておくが、無用の衝突拡大と更なる悲劇をうむことを回避するためには、相手の目線に合わせて対応を考えることが不可欠だ。相手を知る。それをおろそかにすればとんでもないことになる。そこで問題になるのは「新ユーラシア主義」と領土観・国境線の概念だ。
「(東側)は「歴史的にも精神的にもウクライナは俺たちと同じ胎から生まれた」という意識が根本にあります。兄弟が、母子が一体となり、新ユーラシア主義を実現すること。少し観念的にすぎるかもしれませんが、それがプーチン大統領が追い求める最後の「夢」であり、最後の欲望なのでしょう」(注: 亀山郁夫「ロシア文学者を「絶望」させたプーチン氏の「最後の夢」」 毎日新聞 2022/3/12)
それでは、新ユーラシア主義とは何か。簡単にまとめると次のようになる。
■「新ユーラシア主義」という地政学
1.ソ連崩壊後のアイデンティティ・クライシス イデオロギー消滅から「ロシアとは何か」
ソ連崩壊で同じ国民が各国に分散・解体され、ナショナル・アイデンティティの再構築が必須となった。ここで空間的に、「ヨーロッパとアジアにまたがるロシア」は「ヨーロ ッパでもアジアでもないユーラシアの独自空間」であり、 西欧起源の価値の普遍化はこの独自空間への押し付けに他ならない。同時に共産主義は全く誤っている。(単純化すると)「ソ連マイナス共産主義」=「新ユーラシア主義」となる」(佐藤優)。
2.欧米型民主主義の押し付けに対する反感
空間の統合理念としては、「西欧的・キリスト教(ロー マ・カトリック)的な原理」と「正教的或はイスラム的原理」は異なる。前者はいわゆる「民主主義や自由、民族自決を原理とするが、それらを後者が受け入れることはない。「民主主義」 は米国主導の過度の新自由主義、それによる格差拡大を引き起こしたグローバル化に行き着いた。
また民主主義が多様性・多元主義を掲げるのなら、欧米型の「民主主義」が唯一普遍のものではない。むしろそれは非ヨーロッパ地域へ介入する戦争を正統化するイデオロギーと化している。さらには、実際の欧州は多元主義的立場を取らず、ロシアを含む非ヨーロッパ世界を対等な対話相手とみなしていない。
*分離の危機に対する「地政学的アプローチ」――東のローマとしてのロシア
旧ソ連地域を分離・分断の危機から救うため、「地政学的な」勢力圏に沿って、「東のローマ」としてのロシアを中心にユーラシア空間を統合。
欧米は、ヨーロッパ域内、 北米の立場に自らを限定すべき。非欧米諸国に対しては、その独自性を認め多元主義的対応をおこなうべき。
ただし、ロシアの地政学的利益を無視すれば反欧米に転じ、中国と同盟へ。ロシアと中国による「ハートランド」のパートナーシップを確立。シベリアを中心として、ロシアの資源と中国の労働力を結合させ「経済的・地政学的・ 戦略的な共生」をめざす。
以上のような新ユーラシア主義の台頭には、冷戦終焉後の「敗者」として扱われたことへの大きな反発・ルサンチマンがある。冷戦は「勝者も敗者もない」「和解」として終わったはずだった。また冷戦終焉は、「ペレストロイカ」の結果であった。しかし、西側では「東側の敗北」という認識のまま和解のゼスチャーもないままに推移した。経済的には急進的市場原理主義のショッ ク療法、徹底した市場経済化で、国民生活は大混乱、悲惨な状況へ。一方政治権力と癒着し、国家財産を横領したオリガルヒが登場。ショック療法を主導した米国経済学とそれを支える価値観への大きな不信が蔓延した。ここから「ヨーロ ッパでもアジアでもないユーラシアの独自空間と価値観」という主張が頭をもたげ、それがプーチンの行動に影響を与えていると推測できる。
■ロシアの境界とは、浸透膜のようなもの
ここできわめて気になるのはユーラシア独自空間と領土観、国境の概念である。この問題が主権国家の領土と軍事侵攻にかかわってくるからである。西側の理解でいえば緩衝地帯の確保の問題だ。だがその理解は国民国家の国境線、領土にもとづくもので、内在的理解ではない。
小泉悠氏によると「ロシアの国家観においてイメージされる境界とは、浸透膜のようなものだ。内部の液体(主権)は一定の凝集力を持つが、目に見えない微細な穴から外に向かって染み出してもいく。・・・主権が着色されていれば。それは浸透膜に近いところほど色濃く、遠くなるほど薄いというグラデーションを描くことになるだろう。・・・・ロシアの関与する紛争においては、境界線(国境線―引用者)の性質に関する理解そのものが異なっている・・・」従って、「法的国境線をどこに引くかというよりも、ロシアの主権は国境を越えてどこまで及ぶか(あるいは及ぶべきでないか)なのであって、一般的な国境紛争とは位相が大きく異なる」(注:小泉悠『「帝国ロシアの地政学」 東京堂出版 2019年』
この境界のイメージに、「俺たちと同じ胎から生まれた」という意識、「兄弟が、母子が」という「スラブの兄弟」意識が融合すれば、「国民国家の国境線と国民」の意味がなくなることは明らかだ。軍事介入、軍事侵攻はここから生まれる。
なお独立国ウクライナをめぐってロシア内で論争があったそうだ。ソ連崩壊後、ウクライナに対しロシア語の場所を示す前置詞「ヴ」と「ナ」のどちらを用いるかの論争だ。国名には「ヴ」、特定の限られた場所には「ナ」を用いるそうだが、ソ連崩壊後も、ロシア内ではウクライナは明確な独立国国家として認められていなかったのだ。論争はそれを示している。
■「中華民族の偉大な復興」における失地回復 ロシアの浸透膜にそっくり
しかし、以上の問題はロシアにかぎったことではない。「中華民族の偉大な復興」を掲げる習近平政権にも同じことがいえる。なぜなら習近平政権はかっての日本・欧米列強により奪われた失地の回復をはかろうとしているからだ。となれば清の版図や朝貢国が問題になる(清に限らず近代以前の王朝でもすべて同じ)。
するとどうなる?清の版図ではいうまでもなく国民国家や領土の観念もなく国境線の観念もなかった。版図は「華=文明」が同心円状にひろがり薄れていく=華、藩部・属地、属国(朝貢国)、化外というグラデーションを描くものだった。グラデーションを描くという点で、ロシアの浸透膜と酷似している。中国が主張する南沙諸島を含む九段線は、国連海洋法条約に基づく司法裁判で国際法上無効とされたが、中国政府は司法判断を「ただの紙屑」と一蹴した。しかし、一体どこまで失地回復するのか?明確な国境線がなかった時代のことであり、その地域の回復という問題なのだ。中国政府・共産党の理屈を引き延ばしていけば台湾、尖閣諸島、琉球(沖縄)、インド、パキスタン国境地域はもちろん、シャム、ビルマ、マレーシアまで及ぶ。沿海州もか?
■清ではなく中原にまでさかのぼったら?
このように見てくると、国民国家・主権国家とアジア的専制の継承国家との対立という構図が浮かんでくる。繰り返しになるが、アジア的専制の継承国家においては主権国家、国民、領土・国境線の概念は問題にならない。そのような概念は存在しない。主権国家同士の領土争いとは異なった新たな段階へ入ったかに見える。しかし、いずれにしても左派にとっては両者とも敵である。中国共産党が清に戻って失地回復というなら、明に戻ったら?もっと戻って、どうせなら中原にまで戻ったらいかがか?
明に戻っただけで広大な新彊、モンゴル、チベット、満洲はどこかの国へ返還しなければならない。ロシアも同じだ(日本列島内の日本も同じ)。失地回復とか防衛ラインとかが如何にバカバカしいかわかる。ナショナリズムはバカバカしいものなのだ。
以上
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion11899:220329〕
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