「フッコーのまえに、被災地の眼に見えない孤独の群れを視よ!」
- 2011年 7月 16日
- 評論・紹介・意見
- 大木 保
(この国では発言の意味や内容、それにともなう責任(主語)の重さということが、なし崩しに不問にされた結果、虚言、放置、矮小化、脈略破綻、解離逃亡などの、分裂症化が明確になっています。)
自然のいとなみは正確なもので、
梅雨あけ宣言の出る数時間まえ、お先にというように蝉が鳴きました。
このような自然の系を実感しながらも、わたしは ちかごろ
わたしたちヒトが、ほんとうに猛スピードで
みずからの崩壊にむかってアクセルをふんでいるように感じてなりません。
この国にかぎっても理念なき与野党に与するものとマスメディアのあいだで、
発言の意味や内容、それにともなう責任(主体性)の重さ(欠如)ということが
なし崩し的に不問にされつづけた結果、
虚言、放置、矮小化、脈略破綻、解離逃亡、などの
分裂症化が常態化し、
それが(節電にはげむ)「養護」依存へかたむく一部大衆のすがたとリンケージをみせています。
また海外では、欧米列強がアフリカ、アラブをターゲットにして
おためごかしの「民主化」運動というキャンペーンを展開し、
世界中のメディアではやし立てて、
たがいに舌をだしながら手を結んでいる光景がみられます。
またしても欺瞞そのものの民主化プロパガンダをつかって
スマートに!帝国主義的な支配をもくろむ(グローバリズムという)悪党たちである。
ただ、
この悪党たちは主語も目的語も明確な戦略のもとに周到な悪事をはかるという点で、
日本の惨状とはちがう、あからさまな魂の崩壊の仕方をしめしている。・・
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ずいぶん以前の 現代詩人が
言葉の表現に全霊をかけてさえ、
敗北に終わったほどの、
つきつめた詩(言葉)の根源的な問題が
いまになって、日常性のなかにもちあがってこようとはおもわなかった。
それは矮小な政治家たちの分裂症化とはちがう、
社会的な言葉の不全をあらわす深刻な問題である。・・・
このくにの なかで
わたしたちの おたがいが
何を話していいのか わからないほど
異人どうしのように はなれてしまって
もう 何年になるでしょう?
おぼえのない 孤独を
懐にかかえて 夜も 昼も
のみ下すほかないとおぼえて
あきもせずに ちいさななりわいに かまけて
もう 何年になるでしょう?
いやいや それにもまして 気がかりは
被災地の Aさんたちだ
そんなことは ひと言も いわないけれど
もう 生きられないかも しれないと
おもっている ようだ
わたしの 孤独は
おまえのように 懐にかかえきれないし
夜さえのみ下すことも かなわないのだ
背負いきれない みえない重石が 黙ったまま
日を追って せまってくるのだ
しずかに 微笑みさえうかべて
そう うったえている
もしかしたら
津波の恐怖に Aさんたちは
生まれたときのトラウマに 衝きあわしたのかもしれない
胎児が産み落とされるときの恐怖は
生まれなければよかったという悔恨を 新生児にうえつけている・・
わたしたちが さししめす <個の尊厳と自由な精神> の明日へと
道をひらいてゆくことで また
いのちが みなぎってくることを 願わずにはおれない。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0551 :110716〕
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