菅『脱原発』?会見と小出さん・安原さんのコメント、そして朝日新聞
- 2011年 7月 17日
- 評論・紹介・意見
菅首相の『脱原発』発言については、安原さんが記事を書かれているが、書いたのが少し「早かった」ようで、15日の国会で、菅首相、<「脱原発と」社会をめざすと表明したことについて「私自身の考え方」と述べ、政権の方針ではないと説明した>(朝日新聞2011年7月16日朝刊4面)。
ということで、「菅首相の脱原発宣言」なるものは『幻想』で、「菅さん個人の希望」というのが正解のようだ。しかもこのひと、自分でも認めているように、その発言、今やまったく信用されていない。
心配されている「日本の国債」の信任より前に、日本の首相の『言葉』の信任が崩壊している。
もちろん、ここぞ、とばかりに菅首相を攻撃する政治勢力の多くが、電力会社からカネをもらっている輩だから、こうした勢力と一緒になっては菅批判をできないのが、悩ましいところ。
それでも・さすがに・これでは、『脱原発』派も、「菅首相に期待する」とは言えないだろう。
「ホンモノの『脱原発』勢力を結集しなければ」、「電力会社に支配された政治―玄海原発を巡る佐賀県・玄海町の政治の実態を見よ―はオシマイにすべし」というのが、心ある大衆の声。
「市民団体」から菅首相らに対する告発がでた。その意図はともかく、告発自体はしごく当然で、法治国家であるなら、菅氏らが居住すべきは―首相官邸の後には―「東京拘置所」であるのは避けがたい。もちろん与謝野氏や石原氏なども、道義的には同じ。
ところで、小出裕章氏は、「ロードマップ」を前提にした菅首相の発言にたいして、つぎのようにコメントしている。
<私はまずその根本的に間違えてると思うのですね。その東京電力がロードマップをはじめ作ったときには、原子炉の炉心という部分には半分まで水があるというそういう前提でロードマップが作られました。つまり炉心はまだその圧力容器の中にちゃんと残っていると。だから水さえ循環すれば安定的な冷却ができると。そのために冷温停止という言葉まで使ったわけですね。ところが5月の12日になって実はもう炉心は全部溶けちゃってましたと、言い出したわけで。もうロードマップの前提自身が全く崩れてしまっているわけだし、冷温停止なんていうテクニカルタームはもう使えない状態にすでになってしまっているのです。つまり安定的冷却もへったくれももうないというそういう状態に陥ってます。>
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/07/14/tanemaki-jul-13/
だから、「脱原発」が本心か否か、は問わないとしても、菅氏は国民にたいして根本的にウソをついているのだ。
安原氏の菅首相の会見への論評で気になったところは、「坂本龍馬ならば」という切り口になっているところだ。坂本龍馬はえらく人気があるし、それはそれで悪いことではないだろう。しかし幕末の政治のなかで、特に外国との関係でいえば、龍馬の背景には、トーマス・グラバー(大量の武器取扱い)がいたのだし、その背景にジャーディン・マセソンがあった。
いうまでもなくジャーディン・マセソンはイギリスの東アジア侵略を代表する『商社』(というか侵略の実行勢力)だ。幕府とフランスとの関係も周知の話だし、最近では会津とプロイセンの話も出ているが、もちろん一番影響力があり、かつ巧妙だったのがイギリスの「ジェントルマン」たちだったのは、当然だ。
私は幕末史を知っているわけではないし、ちょうど手元にある本は、勝海舟の「氷川清話」しかない。それで、「氷川清話」を再読してみたのだが、これを読めば、勝の人物評の中で龍馬がどのくらいのものかは、おおよそ察しがつく。
もちろん勝の評価の妥当性や、勝そのものの評価といった問題もある。しかし勝ほど、この時代の「人物」と接した人は少ないのだから、やはり彼の言を無視するわけにはいかない。
勝が評価するのは、やはり西郷(隆盛)であり、次に大久保(利通)、その次に木戸考允だが、これには随分差をつけている。この三人以外の人士には、さらに差をつけていて、井上(馨)には胆力があるとしているが、伊藤(博文)などは全然バカにしている、という風。(なお、西郷と並んで横井小楠は別格として扱っている。その他、青柳のおかみなど、市井の人などの評価も面白い。―勝海舟全集版―講談社による)
いまの時代「国事を託する人物がいない」という論評が多いが、「人物」を考えるに、この夏「氷川清話」を読まれるのは如何?
さて16日の朝日新聞・「天声人語」、これを読んでいて、最後になって唖然とした。
こう書いてある。
〈首相の四面楚歌は、哀れをこえて滑稽の域である。嫌われ者から、怖いものなしの道化へと。ただ・・・「脱」路線そのものは共感を呼んでいる。そう道化にしか吐けない正論もある。〉
道化には吐くことができる正論を、新聞は吐くことができぬのか。そんなら記者なんど辞めて、みな道化にお成りよ。(「氷川清話」を読んだので、俄か江戸弁。)
いや、そう言うと、新聞のウソ八百を知っている「道化たち」に怒られるか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0552 :110717〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。