ロシアの戦争犯罪とウクライナの自衛戦争 ―岸田文雄は宏池会を再興できない―
- 2022年 4月 21日
- 時代をみる
- キシダ半澤健市戦争
《岸田文雄発言と外務省HPのギャップ》
岸田首相は、ウクライナの首都キーウ近郊で、市民が大量虐殺されたことについて、「戦争犯罪」という言葉を初めて使い、ロシアを強く非難した。岸田はロシアのウクライナ侵略戦争に関して当初から西側基準の価値観を表明している。ウクライナのゼランスキー大統領側に立っている。
一方、日本軍の戦争犯罪が大きな争点となった「南京事件」に対する日本政府の公式見解を外務省HPは、次のように記述している(■から■まで)。
■日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後の歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです(以下略)■
岸田発言と外務省HPにはギャップがある。
それは岸田発言の、「侵略」や「戦争犯罪」問題の根底的な指摘と、HP見解の南京事件を被害者数問題へと矮小化するギャップである。意外なギャップである。
《岸田政権が世論を気にする中でウクライナの抵抗は続く》
岸田文雄はいつから国際世論を是認する立場になったのか。
岸田政権の展望にはまだ定説がない。宏池会という戦後リベラルの基盤を再建する気があるのか。政治学者の中北浩爾一橋大教授や、実証昭和・平成史の弧星となった保阪正康らもまだ様子見のようである。
私自身は彼を、「21世紀の近衛文麿」、「究極のオポチュニスト」だと書いた。
戦後リベラル再興には馴染まない政治家だと思っている。
ウクライナ国民は嘆き悲しみつつなお戦いを挑む。
彼ら戦争当事者が「自国犠牲者の惨状を公開し」同時に、「武器弾薬の援助と停戦交渉の支援」を公開動画によって要請している。数億人単位の視聴者が世界中でライブをみる。21世紀の戦争はその様相を大きく変えた。
話題が飛ぶようだが、この要請に日本の憲法九条は答えられるか。九条は言う。
日本国憲法第九条① 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
① 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない。
《高すぎる九条の理想はこの要請に答えられるか》
このように、九条は戦争自体を否定する。理想が高いのである。高すぎるのである。
されば九条にリアリティーはないのか。読者に、次に述べる戦後言説の事例を静かに読んで考えてもらいたい。ウクライナの現実をみながら考えてもらいたい。
ロシアのウクライナ侵略は三つの根源的なテーマを提起した。
①戦争犯罪とはなにか
②そもそも戦争とはなにか
③戦争と歴史はどう関係しているのか
これが私の診断である。これらのテーマは第三者的な考察も可能だが、世界の現実をみれば自分の問題、自分の生死の問題としての対応を我々に迫っている。
いや、新しいテーマとは言えぬという反論があるだろう。こういう侵略は「米国金融帝国主義」が70年、「中国型経済帝国主義」が過去40年やってきたではないか。
しかし状況は激変している。
時事通信によれば、共産党の志位和夫委員長は2022年4月10日、東京都内で講演した。有事の際に自衛隊を活用するとした自らの発言をめぐり他党から批判の声が出ていることに関し、「急に言い出したことではない。2000年の党大会で決定し、綱領に書き込んでいる方針だ」と反論しているという。
《新しい現状に古い言説を対置してみれば》
これらのテーマについて戦後早くから考えていた論者がいた。私も浅学ながら類似の視点から本ブログで論じてきたつもりである。どうしても読んでほしいものだけを挙げると次の通りである。
①戦争犯罪を自分の力で裁かないのはなぜか
井上ひさしの東京裁判三部作の問題意識に関して
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1176.html
②戦争に正義の戦争と不正義な戦争はあるか
吉田満における海上特攻とキリストへの帰依
③家族や共同体住人を護るための戦闘に正当性はあるか
関行男らの航空特攻をどう評価するか
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-1350.html
いまメディアは「軍事・外交専門家」、「政治評論家」、「非専門庶民」が予定シナリオに従って「ワイドショー」「特集」を展開している。それなりの効用を否定しないが、余りに短期的な戦闘の評価や予想が語られているのを私は危惧する。これらの記事、番組が、100年単位の歴史考察を阻害することを懸念する。
《建設的な論争の契機になることを期待》
読者による旧稿の精読によって建設的な論争への契機になることを私は期待する。
(2022/04/12)
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