『プーチン3.0』から『ウクライナ3.0』へ 連載 下 ゼレンスキー政権の内幕
- 2022年 4月 30日
- スタディルーム
- ウクライナゼレンスキ―プーチン塩原俊彦
ゼレンスキーによる情報統制
前述のビデオ演説のなかで、ゼレンスキーは、2022年3月18日に採択された国家安全保障・国防評議会の決定「国家の情報セキュリティに対する脅威の無力化について」と「戒厳令下での統一情報政策の実施について」にかかわる大統領令を紹介した。前者は、「ウクライナの防衛」および「戒厳令の法的体制について」の法律に従い、戦争状況下でのデジタル放送の長期運用を確保することを決めたものである。後者は、戒厳令下において、統一情報政策の実施が国家安全保障の最優先事項であるとの立場から、戦略的コミュニケーションのための単一の情報プラットフォームである「One News #UArazom」において、主に情報および/または情報分析番組からなる番組コンテンツを提供することにしたものだ。すべての情報チャンネルが24時間体制で「One news #UArazom」を放送することが保証されることになった。つまり、当局が情報統制に乗り出したことになる。
戒厳令下においては、「大本営発表」だけが尊重されるべきだという考え方もありうる。しかし、言論の自由をまったく顧みないゼレンスキー政権のあり方に疑問をもつのは当然だろう。
ゼレンスキーを支える3グループ
ゼレンスキーは三つのグループに支えられている。第一は、側近グループだ。このグループの参謀役は、2020年2月11日のウクライナ大統領令により、ウクライナ大統領局(大統領府の後継機関)長官に任命されたアンドリー・イェルマクだ。ゼレンスキーは知的財産を専門とする有名な弁護士だったイェルマクと2011年に知り合い、大統領に就任すると、2019年5月の大統領令によって、イェルマクを大統領補佐官に任命し、ロ・米・EUとの外交などに関与させてきた。
このイェマクの顧問に2020年4月から就任したのが元ジャーナリストで編集者(ベラルーシの野党系出版社で働いた経験があり、それが原因でウクライナに強制送還されたこともある)、ミハイロ・ポドリャクだ。現在、対ロ和平交渉に従事している。
ほかにも、2019年5月にゼレンスキー大統領の第一補佐官に任命されたセルギー・シェフィル、同じころ、大統領府副長官になったキリロ・ティモシェンコ(元大統領局副長官)も大統領側近グループに属している。
ブロガー、元諜報員で、ドンバスでの戦争に志願し、ボランティアを訓練した経験をもつ、オレクシー・アレストヴィッチは2月24日以降、大統領局に代わって前線の状況について毎日ブリーフィングを行っている。議会において与党「人民の下僕」(サーヴァント・オブ・ピープル)の国会議員会派代表を務めるダヴィード・アラハーミヤ(2015年にウクライナ国籍を取得したグルジア人)もこのグループに分類できるだろう。
旧友グループ
もう一つのグループはゼレンスキーの旧友らで構成されるグループだ。若いころの彼を理解するためには、ゼレンスキーの経歴を知る必要がある。1997年、彼のパフォーマンスグループである「クヴァルタル(Kvartal)95」は、独立国家共同体(CIS)全体で放送されていた人気の即興コメディコンテスト(KVN)の決勝に出演する。ゼレンスキーとクヴァルタル95はKVNのレギュラーとなり、2003年まで同番組に出演、同年、ゼレンスキーはスタジオ・クヴァルタル95を共同設立する。彼は、2011年にウクライナのテレビチャンネルInter TVの総合プロデューサーに就任するまで、同社のアートディレクターとして活躍した。
2012年にInter TVを去ったゼレンスキーは、同年10月、クヴァルタル95とともにウクライナのネットワーク1+1と共同制作契約を締結する。同ネットワークはウクライナ有数の富豪、イーホル・コロモイスキーがオーナーだった。
興味深いのは、2015年10月に1+1で初演されたのが「Servant of the People」であったことだ。ゼレンスキーは、一介の歴史教師がウクライナの大統領になるまでを演じ、大人気を得る。こうした動きを見越して、2018年、クヴァルタル95は「Servant of the People」をウクライナの政党として正式に登録したのである。
なお、2019年の大統領選を前に、ゼレンスキーは2018年12月31日の1+1で、ポロシェンコの恒例の新年の挨拶を先取りするかたちで、大統領選を展開した。この挑発的な動きは、1+1のオーナーであるコロモイスキーがゼレンスキーの選挙運動に関与していることを示唆することになる。実は、コロモイスキーはかつてポロシェンコの強固な盟友だったが、ポロシェンコがコロモイスキーによって共同設立された金融機関プリヴァトバンクを国有化した後、コロモイスキーは2017年6月から亡命生活を余儀なくされていた。コロモイスキーはウクライナ最大の金融機関であるPrivatBankから数十億ドルを盗んだとして告発され、ウクライナ政府は「大きすぎてつぶせない」同行に56億ドル以上を注入して存続せざるをえなかった。こうした状況下で、コロモイスキーがポロシェンコを潰しにかかったとみられている。
2019年9月にウクライナ保安局の長官として承認されたイワン・バカノフは、ゼレンスキーと幼友達であり、スタジオ・クヴァルタル95のトップを務めたこともある。2019年の大統領選では運動の中核を担い、2017~2019年の間、「Servant of the People」の代表を務めた。こうした友人に諜報機関のトップを務めさせることで、ゼレンスキーは身の安全を確保しようとしている。
前述したイェルマクもこのグループに数えることができる。ゼレンスキーがInter TVの総合プロデューサーとなった2011年に二人は知り合ったとされているからだ。
タカ派
三つ目のグループはいわばタカ派である。反ロシアの立場を鮮明にしている人々である。その代表格が2020年3月からウクライナ外務大臣に就任したドミトロー・クレバだ。彼は、ロシアが侵略をやめ、現在占領されているクリミアとドンバスが脱占領されウクライナに返還されない限り、EUとアメリカの制裁を維持することを一貫して主張している。
2021年11月から国防大臣を務めるアレクシー・レズニコフは、ロシアに対して攻撃的な発言を集めていることで注目されている人物だ。ほかにも、国家安全保障・国防評議会の長官オレクシー・ダニロフがいる。2019年1月3日付大統領令で同評議会長官に任命された彼は、国内のオリガルヒとつながっていなかったことが彼を押し上げたとされる。「ロシアは国・地域に分かれるべきだ」という発言から、対ロ強硬派として知られている。
戦争継続による利益享受
重要なことは、ゼレンスキーを支えている人々にとって、戦争継続が彼らの権限や権益の維持・拡大に大いに役立っているという現実である。すでに、ゼレンスキーは2021年にコロモイスキーが米国の制裁下に置かれたのを機に、彼を遠ざけることに成功した。その総仕上げが2021年11月5日に署名した「公共生活において経済的・政治的に重要な地位を占める人物(オリガルヒ)の過度の影響力がもたらす国家安全保障への脅威の防止に関する法律」だった(資料を参照)。この法律によって、オリガルヒを定義する明確な基準と、政治家や役人とオリガルヒまたはその代理人との接触の透明性の要件が確立され、オリガルヒが政党に資金を提供したり、マスメディアを所有したりすることを禁止している。
加えて、2021年7月には、長年内相を務めてきたアルセン・アバコフが辞任した。2014年2月から、警察、国境警備隊、緊急事態局、移民局を管轄下に置いてきた彼は、ゼレンスキー大統領就任後も内相をつづけてきた。しかし、近年、ウクライナのナショナリストからも、親ロシア派からも、アバコフは批判されてきた。さらに、キーウ(キエフ)で起きたジャーナリスト殺害事件の捜査で、ウクライナ東部での戦闘作戦に参加した複数の退役軍人が拘束されたことが過激なナショナリストの反感を買った。さらに、2021年春、数百人のデモ隊が、親ロシア派の政治家の誘拐や殺人など複数の犯罪で告発されている活動家セルヒイ・ステルネンコの訴追に抗議して、ウクライナ大統領府の窓を壊すといった事件も起きた。こうしたなかで、アバコフは辞任したのである。こうした流れから、彼の辞任は過激なナショナリストたるタカ派を勢いづかせる結果となった。後任は、デニス・モナスチルスキーというゼレンスキー派の人物だった。
実は、10月25日に行われたウクライナの地方選挙では、「人民の下僕」(サーヴァント・オブ・ピープル)は惨敗だった。市長選でも、自治体の議会選でも低調だったのだ。それにもかかわらず、2021年に入って、ゼレンスキーは政敵としてのペトロ・ポロシェンコなどへの攻勢を強めた。ウクライナのエリートには、前大統領は刑事訴追を受けない暗黙の了解があったのだが(国外に逃亡したヤヌコヴィッチのケースはカウントされていない)、ゼレンスキーはこの不文律を破ろうとしたのである。
ポロシェンコを、反逆罪、テロリズムへの資金提供、テロ組織設立の罪に問おうとしたのだ。調査によると、2014年、彼はドンバスでの軍事作戦中に、キエフが支配していない地域から石炭を購入することを許可した。供給された石炭をドネツク、ルハンスク両人民共和国の鉱山労働者に送金したことは、「テロ資金供与」「テロ組織設立」の事実であるという理屈だ。2021年12月17日、ポロシェンコに別の召喚状を渡そうとしたとき、彼はすぐにベンツに飛び乗り、大慌てで海外に出国した。その2週間後、ウクライナの裁判所は、技術的にもはや彼のものではないものを含め、ポロシェンコの資産の多くを差し押さえた。たとえば、以前はポロシェンコのものであったが、事前に彼の仲間に「売却」されていた二つのテレビ局もそうである。このため、彼はこうした資産を救出するために帰国した。その後、彼は外国旅券を引き渡し、裁判所や捜査当局の許可なくキエフ州から出ないよう義務づけられて裁判を待つという状況にまで追い込まれていたのである。
こうしたゼレンスキーの強気の政策の背後に何があったのか。この時期に進行したNATO加盟への動き、東部やクリミア奪還への戦略など、不可思議な事態が進んでいたことになる。
戦争継続による利益享受
こうしてゼレンスキー大統領が巻き返しをはかっていたころに、ウクライナ戦争が勃発したのである。その結果、ゼレンスキーを支える三つのグループは勢いづいた。とくに、タカ派と側近グループにとっては、戦争によって反政府勢力を一掃し、大統領の権力基盤を強化することに成功したと実感できる状況になっている。
だからこそ、いまのゼレンスキーには戦争を早期に終結させる積極的な理由がない。米国政府にしても、前回(上)の拙稿で指摘したように、「ロシアの弱体化」が目標である以上、戦争を継続してロシアを消耗戦に持ち込んで徹底的に衰退させようとしている。
そこには、国民や住民の人権保障という、主権国家が最大限尊重しなければならない義務の行使といった発想そのものが感じられない。これがいまの「現実」のように思われる。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔study1221:220430〕
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