規制緩和論の危険性と論者の本音 ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第199弾
- 2022年 5月 6日
- 評論・紹介・意見
- DHCスラップ訴訟澤藤統一郎
(2022年5月5日)
連休はありがたい。散歩ができる、本も読める。そして、DHCスラップ訴訟の顛末について出版予定本の校正作業の時間もとれる。
この本の原稿の第一稿、身内の評価はさんざんだった。「こんな漢字ばかりが詰まった文章、読む気にもならない」「せっかく出版するんだから、予備知識なしにすらすら読める本でなくちゃ」「分かり易く書く能力に欠けているんじゃないの」などという無遠慮な。これは罵倒か、はたまた励ましなのか。
めげずに書き直して、出版社側は「一応これでよいでしょう」となり、第二校のゲラができた段階。だが、校正の筆を入れ始めると実は際限がない。どこかで妥協するしかない。それでも、読んでいただけるだけの水準のものはできそうではある。完成したら、ぜひお読みいただくようお願いしたい。
《DHCスラップとの闘いの記》の中心テーマは、「表現の自由」である。実質的には「言論の自由」。教科書に書かれた「言論の自由」の解説ではなく、この現実の社会における「言論の自由」を実現するための闘いの記録。誰もが、「言論の自由こそは、民主主義の基盤をなす重要な基本権だ」という。が、実はその自由を獲得するのは容易なことではない。「言論の自由」に敵対しこれを潰そうとするものとの闘いの覚悟が求められる。
私は、「言論の自由」の主要な敵は以下の5者であると思っている。
(1) 公権力
(2) 社会的権威
(3) 経済的強者
(4) 右翼暴力
(5) 社会的同調圧力
「言論の自由」の敵とは、要するに社会の強者であり、多数派なのだ。この社会の強者・多数派に抗い、これを批判する言論が保障されなければならない。このような保障に値する言論は、宿命的に強力な対抗圧力との軋轢を伴う。論者にはこの軋轢に怯まない覚悟が必要なのだ。
DHC・吉田嘉明は、典型的な経済的強者としての「言論の自由の敵」となった。自らは差別的言論を恣にしながら、カネに糸目を付けずに、自分を批判する言論は許さないとするスラップ訴訟をかけまくった。これに加担する弁護士もいたのだ。出版予定の本は、この点をめぐっての記述となっている。
ところで、「言論の自由の保障」というときの「言論」は内容を捨象した言論一般を指しているが、現実の「言論」は常に具体的な内容を伴っている。DHC・吉田嘉明が攻撃した私の「言論」の内容の一つに、《消費者問題としての行政規制緩和》というテーマがあった。
みんなの党の渡辺喜美への8億円提供を自ら暴露した、「吉田嘉明手記」(週刊新潮・2014年3月27日発売号に掲載)を批判して私は同月31日に、ブログに下記のとおり記載した。これが、2000万円スラップの対象となった最初の記述。後に、損害賠償請求額は、合計5本のブロクに対して6000万円請求に拡張された。
「DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。DHCの吉田は、その手記で『私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した』旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。」
私が批判の対象とした吉田嘉明の手記の中に、次の一節がある。
「私の経営する会社(DHC)は、主に化粧品とサプリメントを取り扱っています。その主務官庁は厚労省です。厚労省の規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけて来ます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には、特別厳しいのかと勘繰ったりするくらいです。いずれにせよ、50年近くもリアルな経営に従事してきた私から見れば、厚労省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり霞が関・官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした。ですから、声高に“脱官僚”を主張していた渡辺喜美さんに興味を持つのは自然なこと。」
さて、この言。なにか思い当たることはないだろうか。次のようにも言えるのだ。
「私の経営する会社(「知床遊覧船」)は、主に知床観光の遊覧船の運航をしています。遊覧船で旅客運送を行う場合は、海上運送法における「旅客不定期航路事業」又は「人の運送をする内航不定期航路事業」の許可・届出が必要となり、その主務官庁は国交省・運輸局です。その規制チェックは他の省庁と比べても特別煩わしく、何やかやと縛りをかけて来ます。天下りを一人も受け入れていない弊社のような会社には、特別厳しいのかと勘繰ったりするくらいです。いずれにせよ、リアルな経営に従事してきた私から見れば、国交省に限らず、官僚たちが手を出せば出すほど、日本の産業はおかしくなっているように思います。つまり霞が関・官僚機構の打破こそが、今の日本に求められる改革であり、それを託せる人こそが、私の求める政治家でした。ですから、声高に“脱官僚”を主張していた政治家を応援したくなるのは、自然なこと。少なくとも、本件重大事故を起こす前はそうでした」
こう並べれば、DHC・吉田嘉明の妄言の本質も本音もよく分かろうというもの。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.5.5より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=19088
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12006:220506〕
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