「がんばろう日本」と「日本精神」という言説
- 2011年 7月 18日
- 時代をみる
- 姜海守
「日本」を立ち上げようとする「非常時」の言説としての「日本精神」論は、1930年代の「日本思想史」と「日本倫理思想史」という学術的言説が成り立つ以前の1923年9月1日の「関東大震災」を契機として語られ始める。大川周明は1921年に「日本精神の種々相を略述」した『日本文明史』を著しているが、「関東大震災」をきっかけとして、「日本精神の復興の為」の「日本精神の本質」を確実に捉えるための「日本精神研究」に踏み出していくのである。この「日本精神」という言説は、その後、「関東大震災」の「復興」過程にある「満州事変」(1931年9月18日)の勃発を前後にして、「日本」立ち上げを率いていく言説と位置づけられる。すなわち「満州事変」とそれに続く国際連盟からの脱退は帝国日本の国際社会からの「孤立」をまねくことになるが、「日本精神」言説はその「孤立日本」を乗り越えるための「非常時」の言説として再び語られるようになるのである。河野省三(1882-1963)が「非常時に於ける日本精神は極めて緊張して自覚され昂揚されるからして自(おのづか)ら国家的、道徳的、男性的の性質が力強く発揮される。それ故、指導精神として働きかけ、積極的な力として意識される。満州事変前後から覚醒した日本精神が主として国体観念、国民道徳として理解され、その方面の特色が専ら日本精神そのものとして考へられがちなのは是がためである」と述べたのは、こうした状況をよく代弁している。この時期から日中戦争を経て太平洋戦争のさなかに「日本精神」のあり方を日本歴史的な伝統の中で追跡しようとした主な論客が東北帝国大学の「日本思想史」の開拓者、村岡典嗣(1884-1946)である。村岡は「日本精神」とは「国家の非常時や危機に際するごとに、常に反省されまた発揚されたのは、この国体であ」り、それが「歴史的日本の原理」かつ「日本国民本来の最高の道義」であると強調するのである。「国家の非常時や危機に」組み込まれた民衆を含む人々のすべての「情念」は「国体」として祭り上げられてきたこの「日本精神」の中に収斂されている。またそれが「日本国民本来の最高の道義」としての「歴史的日本の原理」なのである。
他の多数の戦中知識人たちと同様に、「敗戦の原因」を「日本精神」の「自覚の欠如」と捉える村岡の言説は、「戦後」の言説が基本的には「関東大地震」から始まる「戦前・戦中」の言説空間で規定づけられてきた事実を意味する。今回の「東日大震災」とそれによる福島「原発問題」は、戦前からの「復興」の過程で成り立った「日本的システム」が「戦後」を経て現在に至るまで継続してきたことを再びわれわれに印象づけた。「がんばろう日本」というキャッチフレーズに表れているように、「日本」(とその下位言説としての「東北魂」という「地域主義」)という大文字でもって「復興」に臨む声は、その「復興」のあり方が戦前・戦中の「復興」過程との連続性を求める「日本精神論」でないか危惧される。
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