ウクライナ戦争にどう向き合うべきか
- 2022年 5月 15日
- 評論・紹介・意見
- ウクライナ戦争白川真澄
Ⅰ ウクライナ戦争の二重の性質
1 ウクライナ戦争は、(1)ウクライナの民衆自身の侵略に対する抵抗戦争、(2)NATOとロシアの間の代理戦争(米国の武器支援を受けた戦争)、という二重の性質・側面を持っている。2つの性質と側面は切り分けることができず、そこからウクライナの軍事的抵抗(抗戦)を支持するか支持しないかの分岐や対立が生まれている。
2 この戦争を、米国(NATO)とロシアの代理戦争とだけ見る見解は、ウクライナの民衆のさまざまの形態での抵抗を見落とすか、無視している。
(1)もっぱら米ロ間の代理戦争とだけ見る見解
*「ウクライナ軍は米英によってつくられ、米国の軍事衛星に支えられた軍隊で、その意味でロシアと米国はすでに軍事的に衝突している」、「米国はウクライナ人を“人間の盾”にしてロシアと戦っている」(E・トッド「日本核武装のすすめ」、『文春』5月号)。
*「米国・NATOが、アフガンに仕掛けたのと同じ『自由と民主主義の戦争』を、今度は自分たちは戦わず、NATO加盟国でもないウクライナに戦わせている」(伊勢崎賢治、「長周新聞」3月17日)。
(2)ウクライナ内の左派の見解/自決と民族解放のための闘争
*「[この戦争には]帝国主義的な側面がある」が、「この戦争を西側とロシアの対立に還元することは、ウクライナを見過ごし、列強間の単なる手先として扱うことになる。……紛争におけるウクライナ人の主体性を否定する」(ユリヤ・ユルチェンコ「ウクライナ自決のための戦い」)。「私たちの自決権と民族解放のための戦い」(同)。
*「帝国間の次元は、ロシアと西側帝国の支配からの独立をめざすウクライナの戦いの中心性を認識することを妨げてはならない」(同)。
3 もっぱら代理戦争とみる見解は、“ロシアと米国(NATO)のどちらも悪い”論になりがちで、プーチンこそが侵略戦争の最大の責任を問われることを曖昧にする。
(1)NATOが戦争を招いたという見方
*「『いま起きている戦争の責任は誰にあるのか? 米国とNATOにある』(ジョン・ミアシャイマー)……私も彼と同じ考えで、欧州を“戦場”にした米国に怒りを覚えています」(トッド、前掲)。
(2)冷戦崩壊後のNATOの東方拡大は、地政学的な視点から「ロシアへの軍事的脅威」を感じ警告を発していたロシアを侮り無視した米国の誤った政策であった(東欧諸国がNATO加盟を強く望んだとはいえ)。それはロシアの侵攻の誘因となり、口実とされた。また、ゼレンスキー政権の東部紛争に関するミンスク合意の不履行も、誤りであった※。
※白川「ウクライナ戦争をめぐる論点(メモ風に)」
(3)しかし、ロシアの軍事侵略は、こうした事柄によってはまったく正当化されない。ウクライナ侵攻の主たる理由は、プーチンの「ロシア帝国の復活」=「旧ソ連の勢力圏の復活」の野望にある。プーチンはこの野望の実現のために、冷戦後の米国主導の国際秩序を暴力的に破壊・転覆する冒険に出た。
*プーチンは、ウクライナはロシアの一部にすぎないと主張し、独立した国家であることを否認する(2月21日の演説、21年7月発表の論文)。
*プーチンは、2014年「マイダン」以降のウクライナの政権は欧米のかいらい政権であり、いつでも転覆してもかまわないと考えている。
*東部2州の占領は、ロシア語系住民をジェノサイドから解放することだと主張する。
4 しかし、戦争の長期化に伴って、代理戦争の側面がしだいに大きくなる危険性がある。
(1)ロシア軍による住民虐殺や東部への攻撃の激化に対して、米国などNATO諸国が武器支援をさらに拡大しつつある。これによって、より多くの人命が失われ、凄惨な状況が広がる怖れが生まれている。
*米国などから長距離砲155㍉榴弾砲、自爆型ドローン「フェニクッスゴースト」、T72型戦車の提供。
*ロシアによる特殊貫通弾の使用、生物化学兵器や戦術核の使用の危険性。
(2)ウクライナの軍事的抵抗を支持することと戦争のエスカレーションに手を貸すこととの間のディレンマが大きくなる。その解は、軍事的な勝利ではなく、一刻も早く交渉による停戦を実現し、ロシア軍を撤退させることである。
*「私はウクライナ軍の抵抗に賞賛を送りたい。しかし、彼らは戦争に勝つことはできない。この痛々しく、殺人的な膠着状態が延々と続くことを本当に望んでいるのだろうか」。「ウクライナ軍が抵抗している間、私たちは彼らを軍事的に支援する道徳的義務がある。……。しかし、抵抗することの要点は、和平を訴えられるところまで到達することです」(ヤニス・バロファキス「ウクライナはこの戦争に勝てない」)。
*「我々の自由を勝ち取るために、我々の戦闘員やボランティアのために武器を確保する権利も含まれる。しかし、左翼は……NATOが強制する飛行禁止区域を求める要求を支持してはならない。それは、……核保有国間のより広い戦争の危険を冒すことになる」(ユリヤ・ユルチェンコ、前掲)。
(3)交渉による停戦の実現には、多くの困難や障壁が立ち塞がっている。ウクライナがNATOに加盟せず中立地帯になることの確認は合意できるだろうが、東部2州における分離独立(親ロ派武装勢力とロシア軍の占領による)の既成事実化をどのように扱うかが難題である。
*ロシア国内の反戦・反プーチンの運動の高まりが、停戦とロシア軍の撤兵を実現させる大きな力になる。
*政治力学的には、制裁に賛同しない中国やインドが停戦交渉の仲介役を果たすことがポイントになる?
Ⅱ ウクライナの民衆が武器を取って抵抗することを支持することは、日本で非軍事・非武装の実現を主張することとは矛盾しない。
1 ロシアの軍事侵攻に対して、ウクライナの民衆は、3つの異なる方法・手段で抵抗している。
(1)武器を取ってたたかう/政府軍に志願兵として加わる、あるいは地域の自衛組織(「領土防衛隊」など)を作ってたたかう。
*ウクライナの世論調査(ロシアの侵攻前)では、男性の6割、女性の1割が侵攻があれば武器を取ってたたかうことに賛成している(ANN)
(2)非武装で抵抗する/素手で戦車に立ち向かい、抗議や説得の活動を行う。占領軍に対して不服従や非協力を貫く。
(3)逃げる/避難民として国内外に逃げる(ただし、ウクライナでは18~60歳の男性は出国の自由を奪われている)。
2 どのような抵抗の方法・手段を選ぶのかは悩ましく難しい選択と判断である。いずれの方法・手段も、それぞれに大きなディレンマを抱えているからである。
(1)武器を取って抵抗する方法は、政府軍への志願はむろんのこと、地域防衛組織への参加であっても、政府軍と一体になって、その指揮下でたたかわざるをえない。
*軍事的抵抗はロシア軍の侵攻を食い止め押し返すことによって、ロシア軍による破壊と住民虐殺をかなり防ぐ効果を発揮している(キエフ近郊からのロシア軍の撤退)。
*しかし、政府軍にはアゾフ大隊のような極右組織、外国の民間軍事会社の傭兵部隊が組み込まれているから、左翼にとって本来は敵対する組織とも手を組んでたたかうことになる。ウクライナの左翼も、そのことを自覚し警戒している。「右翼政党やアゾフ大隊の指導者にもファシストもいる」、「これらの右翼勢力は、多民族国家ウクライナの未来に対する脅威である」(ユリヤ・ユルチェンコ、前掲)。
*政府軍は米国やNATO諸国の武器支援に依存して戦っているから、米ロの覇権国家間の代理戦争とそのエスカレーションに加担することになる。
*そもそも、政府軍は民衆にとって解体・否定すべき存在である/「軍隊は民衆を守らない、民衆に銃口を向ける存在である」(「民衆の安全保障」の原理)。
(2)非武装で抵抗することは、最も広範な人びとが参加できる方法であり長期的には最も有効な方法であるが、目前で行われている侵略軍の破壊と住民虐殺や強制連行を止めることができない。
*自らの身体を使った非武装の抵抗は、特定の限られた人たちによる武装抵抗とは違って、誰もが(決意と勇気さえあれば)実行できる最も広がりのある抵抗の形態となる。また、長期にわたる抵抗の持続によって、侵略軍の占領体制を下から蝕み、穴をあけ、崩壊させることができる。
*自らが殺傷される危険性があるが、相手(ロシア軍の兵士)の命を奪わない抵抗であるから、「殺さない」という倫理性を貫くことができる。
*しかし、非武装の抵抗を選択することは、軍事的抵抗を最初から放棄し全面降伏する方針を取ることであるから、ロシア軍による首都や全土の占領、かいらい政権の樹立を許すことになる。
*ロシア軍によって強行される眼前の街・住居の破壊や大量の住民虐殺や強制連行を食い止めることができず、抗議の声を上げるが残虐な攻撃を許すという苦悩を抱える。
(3)逃げることは、侵略軍による大量虐殺から逃れて生命を守り、相手も殺さないというという点では有効な方法だが、障がいを持つ人や高齢者など逃げることのできない人も多くいる。
*小倉利丸は「ロシアがいかに侵略者としての暴力を振るおうとも、ウクライナの民衆に軍隊は民衆を守らないという基本的な視点[民衆の安全保障の原理]を提起することがどうしたら可能なのか」と問い、「戦場からの逃避行動」に「戦争放棄の具体的な行動の核心」を求めている(「『戦争放棄』を再構築するために」)。
*しかし、自分たちが住んでいる町や村から逃げることのできない人は大勢いる。逃げるという方法は、多くの人にとって可能な選択肢というよりも特定の人びとにとって可能な方法である。
3 どのような抵抗の方法・手段を選び取るかは、侵略を受けている当事者であるウクライナの人びとが決めるべき事柄である。
(1)ウクライナでは、武装して抵抗する人びとと素手(非武装)で抵抗する人びととは、互いに補完しあい支え合っている。
*「武器を取る」道(イリヤ)と「武器を持つことを拒否し」て抵抗する道(ユーリー・シェリアジェンコ)のいずれを選ぶべきかをめぐって、「暴力の役割に関する異なる見解が、両活動家に、互いに敵対するのではなく、むしろ補完し合うような積極的闘争を行わせている」(マイク・ルートヴィヒ「戦争はウクライナの左翼に暴力についての難しい決断を迫っている」)
(2)ウクライナの人びとに対して、武器を取って戦うべきではない、全面降伏すべきだと説教したり指示する資格は、私たち(日本人)にはない。
*鮫島 浩は、ゼレンスキー政権が「18歳~60歳の男性の出獄を禁止し戦争に駆り出」していると非難しているが(「ゼレンスキー大統領の国会演説に前のめりの与野党とマスコミの平和ボケ」)、自らの自発的な意思で銃を握って抗戦に参加した少なからぬ人びとの姿は消去されてしまっている。
(3)しかし、武器を取って戦うことが抱えるディレンマやリスク、とくに軍事的抵抗の長期化が代理戦争の側面の前面化につながる危険性を指摘する必要がある。
(4)日本で暮らす私たちは、自らの歴史的な体験や反省に立って、非軍事・非武装の方法・手段を貫き、アジアの非軍事・非核地帯の創設をめざす(日米軍事同盟を廃棄する)プロセスで自衛隊を縮小・解体し、軍事的な緊張をなくす道を選択することを明言する。
4 ウクライナの民衆の抗戦を支持することは、日本における軍事力強化の大合唱に屈服することにはならない。いまこそ、非軍事・非武装を積極的に主張すべき時である。
(1)ウクライナ戦争を奇貨として、強い軍隊によって国を守る、すなわち軍事費の倍増・核共有・敵基地と指揮中枢への攻撃能力の保有という主張が声高に叫ばれている。この大合唱に対して、非軍事・非武装の原理と立場から反撃することが緊要の課題となっている。
(2)日本共産党は、「急迫不正の主権侵害に際しては自衛隊を活用します」(志位、4月7日)と主張するに至った。これは、民衆の抵抗権ではなく、「国家の自衛権」の承認を前提にして現在の自衛隊を「専守防衛を任務とする自衛隊に改革する」という路線から、論理必然的に導きだされる主張である。この主張では、「国と国民の命をまもる」ために軍隊=自衛隊を強化するという政府・自民党の路線と本質的に変わらず、まったく対抗できない。
(3)私たちは、“軍隊は民衆を守らない、軍隊は自国民に銃口を向ける”ことを明らかにし、自衛隊を縮小・解体することを主張する。それは、民衆の抵抗権、個人の正当防衛権を認めるが、国家の自衛権をフィクションとして否認する立場に立つ。
(4)政府軍が例外的・過渡的に自国民を守るケースは、存在する。しかし、そのことは、あくまでも例外的・過渡的な事態にすぎない。軍隊は民衆を守らない存在であり解体・否定されるべきだという原理・原則を無効にするものでも、否定するものでもない。
*政府軍や正規軍が侵略軍に抗戦し、侵略の拡大を阻むことによって住民の生命を守った事例/中国の抗日戦争における国民党軍や紅軍、ベトナム戦争における北ベトナムの軍隊、独ソ戦の反攻の初期にパルチザンとともに戦ったソ連の赤軍など。
*現在のウクライナ政府軍は、ロシア軍の侵攻を食い止めて住民の生命を守っている点で、このケースに当てはまる。
*しかし、政府軍は、ある局面で住民を守る役割を果たしても、必ず他国に侵攻したり自国民に銃口を向ける抑圧装置に転化してきた/中国の人民解放軍(チベット侵攻と住民虐殺、天安門事件)、北ベトナムの政府軍(カンボジア侵攻)、ソ連赤軍(ドイツ国内へ侵攻する過程での住民虐殺や性的暴行)。
(5)ウクライナの政府軍も、この戦争を通じて民衆に敵対する軍隊に転化・変質する危険性をもつことを直視すべきであろう。
*戦争の過程で軍隊の権威や発言力が強化され、戦後の社会において強大な権力にのし上がる危険性/極右や民族主義者が軍隊の実権を握ることなど。
*ウクライナの軍隊が欧米の武器援助で近代化され、北欧諸国の軍備拡張やNATO加盟の動きと連動して、戦争が終わってもロシアとの間にいっそうの軍事的緊張が作り出される危険性。
(6)そうした危険性を直視すれば、ウクライナの軍隊が住民を守る役割を果たしているとはいえ、それは例外的・一時的なことであろう。ウクライナの中立化(NATOへの非加盟)と安全(ロシアによる不可侵)を保障する国際的な枠組みをつくるプロセスのなかで、強大化した政府軍を戦争後は縮小・解体する課題が問われてくるだろう。ウクライナの左翼がどのように考え、主張するのか、注視したい。
(2022年4月24日)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12033:220515〕
「ちきゅう座」に掲載された記事を転載される場合は、「ちきゅう座」からの転載であること、および著者名を必ず明記して下さい。