ドイツ滞在日誌(5) 雑多なお話 / 『Zum Szueltenbuerger』とサッカーの世界選手権試合について
- 2011年 7月 21日
- 評論・紹介・意見
1.雑多なお話
13日あたりから再び天気が崩れ始め、雨模様になってきた。雨が降ると気温は急激に下がる。長袖を着ていても寒い。およそこれが「夏」だとは思えない。こんな寒さの中で「暑中見舞い」を書くというのもなんだか変な気分である。九州あたりでは連日35℃を超す暑さで、僕の年とった母親などは、「熱中症」のため入院するかどうか、だそうだ。ドイツの涼しさがうらやましいと電話口で言っていた。
東京の我が家(アパート)には小さなベランダがついている。そこにわずかながら植物を植えているのであるが、毎年この時期になると、それらが枯れてしまうのではないかと心配になる。適度の雨が降ってさえいてくれればよいがと願うのであるが、去年は記録的な少雨とカラカラ天気、さて今年はどうなるだろうか。サボテンやアロエや花月(銭のなる木)といった、暑さや乾燥に強い植物ですら干からびることがある。人間様同様に心配である。また台風が、福島原発から大量に漏れ出している放射能を既に日本全国に撒き散らしているという情報もある。こちらにいて、こういう情報だけ聞かされていると、今に日本列島は「死霊の島」になってしまうのではないかとすら思えてくる。なんだか浄瑠璃の世界か何かのようで気が重くなる。
ドイツのこの家の二匹の猫はやたら元気で、のどが渇くと水をねだりに僕らの部屋のドアの辺をうろうろしたり、ひっかいたり、廊下に出るとすり寄ってきたりする。洗面所の水道を細く開けて水を流すと、洗面所の上に飛び上がって飲み始める。最初のうちは僕らが見ていると飲もうとしなかったが、最近では平気で飲んでいる。ときどき髭をそるなどで洗面所を使っていると、後ろの台に飛び乗って、鼻で尻の辺りを押してきたりする。そのくせ犬のように人間にこびることはしない。あごの下をさすってもらいたいときには、仰向きに寝転がって、背伸びしながら、こちらに顔を向けて要求してくる。撫ぜてやると気持ちよさそうにしているが、そのうち手に噛みついてくる(多分じゃれているのであろう。噛み方がそっとだから)。どうも最近は水やりと、遊び相手として彼らに仕えているようだ。まるで、幼い子供に仕えているようで、彼らはわがままのし放題である。
日曜日には、家内が持参した五目ずしの素を使って簡単な五目ずし(エビなどの具はなく、小さく切った卵焼きを上にかけた程度)を作った。この家の女主人のペトラを招いて小さな晩餐会をやる。彼女は最初は恐る恐る手を出していたが、『グート』(Gut!)を連発、自身でお代りをよそって食べていた。「すし」と言う呼び方はドイツでもかなり知れ渡っている。ここゲッティンゲンにも三軒ほど「寿司屋」があるが、いずれも中国人か韓国人がやっている店だそうだ。この五目ずしは魚を使っていないが、やはり「すし」なのだと彼女に教えた。大型スーパーに行けば、魚も丸もので売っている。ただしそれはあまりに大きいか、あるいは「すし」にするには少々水っぽくなりそうな代物である。イカやタコはまだ見たことがないが、両方ともドイツでは食べるそうだ。
今度の日曜日には彼女が娘(すでに結婚して二人の子供がいる)と一緒に料理をして僕らに御馳走してくれるそうなので、大いに楽しみにしている。
2.『Zum Szueltenbuerger』とFussball(サッカー)のWeltmeisterschaft(世界選手権試合)について
「シュツルテン」の客にはいろんな人たちが来る。この近辺に住んでいる常連さんとは大抵顔見知りになる。なんとなく挨拶をしているうちに、少しずつ喋るようになる。向こうはすぐに僕の名前を覚えてくれる(「キヨシ」と言う呼び方が簡単でよいのだろう)。中に、ほぼ毎日顔を見せているゲッティンゲン大学の歴史学の教授がいる。最初、僕は彼がかつて顔見知りの音楽家(マリックという名前)だと勘違いして、『マリック、久しぶり』と話しかけたら、全くの人違いで、『僕は音楽ではなく、歴史をやっている』と言われたので『プロフェッサーですか?』と聞いたら、そうだと言う。まだ50歳前後?少し話しただけだが、マックス・ヴェーバー系統の歴史学が専門だとか。ヴェーバー流のタイプ論の話を少し聞くことができた。
2m3cmある大男のラルフは実に細かく気を配ってくれる。非常にやさしい男だと思う。彼はこの店の人気者だ。昼間は働いて、夕方からこの店の看板として店先(街路上に並べたテーブル席)に座って、パイプをふかせ、ゆっくりビールを飲んでいる。ときどきは、店内に来て、僕らの話し相手にもなってくれる。住まいのことや、今後の予定のことや、この辺の面白そうなところの話や、ドイツビールについての彼の蘊蓄を傾けてくれる。ただ、残念ながら彼の話の半分ぐらいしか僕には聞き取れない。言葉の理解は、自分の興味がある部門に関しての話なら、かなり通じる。しかし、ちょっと領域の違う話になると、たとえ簡単な内容でもよく解らないことが多い。
「シュツルテン」の女主人であるシルビアは、僕らがここを訪問する前日(27日)、足の上に何かを落として、右足の指の骨を3本骨折する大けがをしたとのこと。それでも、僕らが来てから2~3日は、無理をして店に出ていたが、このところは2階の自分の部屋で寝ているようだ。毎日ラルフが病院までの送り迎えをしている。それでも客足が絶えないのは、この店の評判が既に固定したものと思う。大概ドイツで食べ物を注文すると、大皿に盛ったものが出てくる。我々日本人はびっくりする。しかし、ここはそれにも増して凄い。ドイツ人が驚くほどのボリュームである。しかも安くて旨い。お昼時でも、老人夫婦などが食事をしに来ている。
今回の女子Fussball Weltmeisterschaft(サッカーの世界選手権試合)は、当然、開催国でもあり、サッカーが国技でもあるドイツでは大変な評判であった。特に、ドイツ対日本の試合は、ここ「シュツルテン」でも大きなテレビ画面の前にドイツ人の若者が3人陣取り、そのすぐ後ろに我々が、またその後ろに他の客たちが、また店の人たちも、それぞれ注目していた。僕が「日本の女性は強いよ」と言うと、すかさず「ドイツの女性もすごく強いよ」と言い返される。熱戦が続く間、お互いに“Nein!“とか“Scheisse!“(くそ!)とか「やれ!」とか“Tor!“(ゴール!)とか、ほとんどまともには言葉にならない掛け声を掛けあっていた。それでも、日本の女子が勝った時には、前の席の3人は悔しそうだったが、僕と握手をして帰って行った。この日はペトラも働いていたのだが、日本が勝ったと告げると、「オオッ…!」と言って後は言葉にならなかった。ラルフは握手をしに来てくれた。僕は「日本のサッカーが強くなったのは、その昔、ドイツから名トレーナーのクラマーが来てからだ。それまではほとんど問題にならなかった」ということを彼に話した。
準々決勝も「シュツルテン」で観戦した。この日はユルゲンと会う日だったので、一緒の観戦になった。彼は僕があげる声援の「行け!」とか「そこだ!」とか“Tor!“とかが面白いと言って、盛んに喜んでいた。スウェーデン人の知り合いには、昔、語学学校で知り合った人たちが何人かいるが、みんなすごくいい人たちだった。そんな人たちの話なども時々しながら観戦を楽しんだ。僕は決してナショナリストではないが、どうもこんな試合のときには日本びいきになってしまう。日本の国歌や国旗を僕は全く尊敬していない、というような話も彼とした。
決勝戦は、日曜日で「シュツルテン」はお休みだ。家のテレビでペトラと一緒に観戦した。対アメリカ戦とあって、僕らもペトラも同様に「反米」的になった。ドイツ人には概してアメリカが好きではないと言う人が多い。彼女もアメリカ嫌いの一人である。この日は、ドイツワインの「トローリンガー」(テューリンゲンの有名な赤ワイン)を飲みながらの優雅な観戦である。アメリカに先に1点を先取された時には、三人一緒にため息をつき、日本が再び同点に追いついた時には、画面上でドイツの観客たち(その中には現首相のメルケルもいた)が、一斉に立ち上がって拍手する姿が大写しされていた。更にアメリカが2点目を取り、僕ら三人が少し暗くなりかけた時に、再度追いつき、最後はフリーキック戦(と呼ぶのかどうか?)で勝利。家内が「アメリカだけには負けたくなかった」ので大変うれしい、という。同感だ。
月曜日の「シュツルテン」では大勢の人から「おめでとう」と言われ、握手を求められた。繰り返すが、僕はナショナリストではないのだが、やはりうれしかった。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0556 :110721〕
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