それぞれが可能な限りのスタイルで平和のための活動を 「声なき声の会」が3年ぶりに6・15集会
- 2022年 6月 20日
- 時代をみる
- 「声なき声の会」安保闘争岩垂 弘平和
6月15日(水)夕、参議院議員会館地下1階の会議室で、参加者約30人のささやかな集会があった。反戦市民グループの「声なき声の会」主催の「6・15集会」。62年前の日米安保条約改定阻止運動(60年安保闘争)の中で亡くなった東大生・樺美智子さんを追悼する恒例の集会だったが、ウクライナ戦争の最中とあって会場には緊迫感がただよい、「平和実現のために今こそ、1人ひとりが行動を起こさねば」という発言が目立った。
樺美智子さんを追悼するために国会南門前に集まった「声なき声の会」の人たち。
遠方に見えるのが国会議事堂(2022年6月15日午後7時過ぎ写す)
1960年、岸信介・自民党内閣が日米安保条約改定案(新安保条約)の承認案件を国会に上程。社会党(社民党の前身)、労組、平和団体などによって結成された安保改定阻止国民会議が「改定で日本が戦争に巻き込まれる危険性が増す」と改定反対運動を展開。これに対し、自民党が5月19日、衆院本会議で承認案件を強行採決したため、これに抗議して全国から集まってきたデモ隊が連日、国会議事堂を取り囲んだ。
千葉県柏市の画家、小林トミさんと、その仲間の映画助監督の2人が6月4日、「誰デモ入れる声なき声の会 皆さんおはいり下さい」と書いた幕を掲げ、新橋から国会に向けて行進を始めた。岸首相が「私は『声なき声』にも耳を傾けなければならないと思う。今あるのは『声ある声』だけだ」と述べたので、「声なき声の会」と名乗った。すると、沿道にいた市民が次々と行進に加わり、その人たちによって「声なき声の会」が結成された。
6月15日には全学連主流派の学生たちが国会南門から国会構内に突入して警官隊と衝突、その混乱の中で樺美智子さんが死亡した。抗議の声があがる中、新安保条約は6月19日に自然承認となった。
その後、声なき声の会は「日米安保条約に反対する運動があったことと樺さんの死を決して忘れまい」と、翌61年から毎年、6月15日に都内で集会を開き、集会後、国会南門で樺さんへの献花を続けてきた。
が、2020年と2021年はコロナ禍のため6・15集会を中止し、国会南門での献花のみをおこなってきた。このため、今年は3年ぶりの6・15集会となった。
この集会は何かを決議するということはしない。その代わり、参加者全員が発言する。それも、何を話してもかまわない。60年安保闘争との関わりや、自らの近況や、地域で起きていることを報告する人もおれば、内外の政治情勢に対する感想を語る人もいる。
今年の集会も中高年齢者が多かったが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が続いている時期での開催だっただけに、そのことに関連する発言が目立った。
ある男性は「ウクライナの悲惨な現実が毎日報じられている。それを見ていると、自分は何でこう無力なんだろうという気持ちでいっぱいになる。何にもしないのはよくないと、在日ウクライナ人の集会に出かけていったが、戦争は止まない。どうすればいいんだろう」と語った。
これに対して、さまざまな発言があったが、その中には、こんな提案があった。
「かつてベトナム戦争に反対して運動したベ平連が掲げたスローガンに『殺すな!』というのがあった。今こそ、『殺すな!』と言わねば」
「今こそ、私たちは世界に向けて『戦争反対』『安保破棄』と宣言しよう」
ウクライナ情勢ばかりでなく、他の問題にも関心を持とう、という発言もあった。ある参加者は「ウクライナのことだけを考えていてはいけない。また、自分の国のことばかり考えていてはいけない。ミャンマーのこと、シリアのこと、中国の人権侵害にも目を向けなくては」と訴えた。
運動の進め方についても、こんな発言があった。
「平和を実現するためには、結局、1人ひとりが声を挙げてゆく以外にない」
「自分のできることを背伸びしないで長く続けることが大切。例えば、街頭でスタンディングを続けるとか」
「地に足がついた運動をやる必要がある。それには、個人、個人が地域でつながることが大切だ」
「権力者に対して監視の目を持とう」
「選挙には必ずゆきましょう」
ウクライナ戦争を機に、日本国民の中で軍備増強や日米軍事同盟強化を望む声が強くなりつつあることを懸念する声もあった。68歳の男性は、こう話した。
「5月5日の東京新聞に共同通信社が実施した世論調査の結果が載っていた。それによると、日米同盟関係を強化すべきが22%、今の同盟関係のままでよいが65%、同盟関係を薄めるべきが11%、同盟関係を解消すべきが1%。なんと日米安保条約破棄は1%に過ぎない。60年安保闘争は何だったのか」
これに対し、72歳の男性から、こんな発言があった。
「60年安保闘争があったから、政府は軍拡に走らず、経済成長の道を歩んだ。このため、平和がこれまで続いてきた。安保反対運動があったからこそ、私たちは平和に暮らせたのだ。この際、そうした事実を改めて認識したい」
集会後、参加者たちは国会南門に向かい、南門に生花を供えて樺美智子さんを偲んだ。
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