死せる孔明生ける仲達を走らす――ブレジンスキー対プーチン――
- 2022年 6月 20日
- 評論・紹介・意見
- ウクライナプーチンブレジンスキーロシア岩田昌征
今日、全世界が眼前に目撃する露宇戦争、すなわちプーチン侵略は、社会主義ソ連と社会主義ユーゴスラヴィアの解体、それに続く資本主義移行期のロシア連邦と新ユーゴスラヴィア(セルビアとモンテネグロからなる連邦国家)が北米西欧の外圧に直面しつつ、新しく安定し自分達に適合した国家構造を追求する過程で生起した一大悲劇である。新ユーゴスラヴィアの場合は、すでに二十余年前、1999年にNATO=北米西欧市民社会の軍事力による78日間にわたる大空爆戦争、すなわちクリントン侵略を経験していた。
これら二つの解体と二つの戦争を分析する際に、アメリカの地政戦略家、カーター大統領の国家安全保障問題担当補佐官ズビグニェフ・ブレジンスキーの政略・軍略を想起する必要がある。特にクリントン侵略の時のタカ派リーダーアメリカ国務長官マデレーン・オルブライトは、ブレジンスキーの直弟子である。
ブレジンスキーの旧ユーゴスラヴィア工作を具体的に例示する。1978年8月13日から19日までスウェーデンのウプサラで第9回社会学者世界大会が開かれた。全世界から5000人を超える社会学者が参加した。旧ユーゴスラヴィアからも50人ほどの社会学研究者が参加した。
大会直前に一定数のアメリカ人社会学者を集めてブレジンスキーは、秘密会合を開き、そこでアメリカ政府のソ連東欧政策についてレクチュアした。その一部、対ユーゴスラヴィア政策に関する部分がユーゴスラヴィア連邦構成共和国クロアチアの内務省公安部が入手していた。
Душан Вилић、Бошко Тодоровић、РАЗБИJАЊЕ JУГОСЛАВИJE 1990-1992、Бeоград、1995、pp.102-104 とRAIF DIZDAREVIĆ OD SMRTI TITA DO SMRTI JUGOSLAVIJE SVJEDOĆENJA Sarajevo、1999、pp.428-429
以下に要約整理して紹介する。
(1) ソ連に抵抗する力としてユーゴスラヴィアの中央集権勢力を支援するが、同時に共産主義の「天敵」である分離主義的・民族主義的諸勢力すべてに援助を与える。ソ連におけるロシア人とウクライナ人、ユーゴスラヴィアにおけるセルビア人とクロアチア人、チェコスロヴァキアにおけるチェコ人とスロヴァキア人の間の緊張と不和が物語るように、民族主義は、共産主義より強力である。
(2) ユーゴスラヴィアにおける反共産主義闘争においてマスメディア、映画製作、翻訳活動など文化的・イデオロギー領域に浸透すべきである。
(3) 共産主義的平等主義に反対する闘争においてユーゴスラヴィアにおける「消費者メンタリティ」を一層刺激する必要がある。
(4) ユーゴスラヴィアの対外債務増大は、将来、経済的・政治的圧力手段として用いることができる。それ故、ヨーロッパ共同体諸国の対ユーゴスラヴィア新規信用供与は続けられるべきである。債権者にとって一時的にマイナスであっても、それは、経済的・政治的措置によって容易に補償される。
(5) ユーゴスラヴィアの様々な異論派グループをソ連やチェコスロヴァキアの場合と同じやり方でシステマティックに支援すべきであり、彼等の存在と活動を世界に広く知らせるべきである。必ずしも、彼等が反共産主義的である必要はなく、むしろ「プラクシス派」(チトー体制を左から批判していたユーゴスラヴィアのマルクス主義哲学者グループ:岩田)のような「人間主義者」の方が良い。この支援活動でアムネスティ・インターナショナルのような国際組織を活用すべきである。
(6) Xデイ(チトーの死)の後に、ユーゴスラヴィアの「軟化」(強調は岩田)に向けて、組織的に取り組むべきである。民族間関係が主要ファクターである。ユーゴスラヴィア共産主義者同盟SKJとユーゴスラヴィア人民軍JNAがユーゴスラヴィア維持の信頼できるファクターであるのは、チトーが生きている限りである。SKJは、すでに政治的独占を失っているし、JNAは、外的には強いが、内部からの攻撃には弱い。全人民的防衛体制は、諸刃の剣である。
たしかに、1990年代の旧ユーゴスラヴィア多民族戦争の勃発からNATO大空爆を経て、2000年10月5日のセルビア民衆によるミロシェヴィチ打倒の大衆暴動に至る歴史的事実を目撃した後で、ブレジンスキーの政略軍略を読み返すと、その適格さに納得する。1999年NATO大空爆という大軍事力行使も1978年以来の文明力工作があってはじめて有効となったのである。
ブレジンスキーの対ロシア政策は、山岡洋一訳『ブレジンスキーの世界はこう動く』(日本経済新聞社、1998年・平成10年、The Grand Chessboard American Primacy and Its Geostrategic Imperatives、1997)にきちんと表現されている。ここでは、特にウクライナとの関係にしぼって関連個所を提示しておこう。
(1) とくに打撃が大きいのは、ウクライナを失ったことである。ウクライナが独立国家になったため、ロシア人は政治と民族のアイデンティティを見直さざるえなくなったうえ・・・。(p.127)
(2) ウクライナをいずれなんらかの形で「再統合」することが、ロシアの政治支配層の多くにとって、いまでも信念になっている。(p.143)
(3) ウクライナが加わらなければ、CISかユーラシア主義かに基づく帝国再建は、政策としての現実性をもてなくなる。(p.155)
(4) 新規加盟国の領土(NATO東方拡大が実現される以前に書かれていることに注意:岩田)へのNATO軍の駐留と核兵器の配備を制限すれば、ロシアの当然の懸念を和らげられるが、そのような保証を与える際には、ロシア側も、戦略的に脅威になりうるカリーニングラードを非武装化し、NATOとEUに加盟しうる国との国境近くへの大規模な軍隊の配備を制限して、同等の保証を提供しなければならない。(pp.272-3)
(5) ヨーロッパ・ロシア、シベリア・ロシア、極東ロシアからなる緩い連邦に移行すれば、ヨーロッパ、中央アジアの新国家、アジア諸国との経済関係も進むであろう。連邦を構成する三つの地域も、モスクワの官僚組織によって何世紀にもわたって抑えられてきた地方の創造力をもっと活用できるだろう。(p.274)
(6) 地政上の多元性を強化する政策は、ロシアとの友好関係を前提とするものであってはならない。ロシアとの友好関係が深化しなかった場合の保険としても、重要な政策なのである。なかでもとりわけ重要なのは、主権国家としてのウクライナの立場を強化する政策である。
今日、露宇戦争の展開を目撃しつつ、ブレジンスキーの対ロシア軍略政略を読み返すと、例えば(4)(5)(6)の内実は明らかにロシア押し戻し・弱化・軟化政策であり、対ロシア関係の改善は全く念頭にない。プーチンのウクライナ侵攻は、ブレジンスキーがロシアの最終的国体として望んでいる形が現実化しないようにする為の予防戦争のように見えてくる。
ブレジンスキーは、資本主義対社会主義、民主主義対権威主義、人権対国権の対抗関係において前者のために後者と闘争していたはずである。しかしながら、市民社会の普遍的価値(自由、民主、人権、私的所有)の視点だけから見れば、セルビア人とクロアチア人、ボスニア・セルビア人とボスニア・ムスリム人、セルビア人とコソヴォ・アルバニア人、そしてロシア人とウクライナ人の間に北米西欧国家の外交軍事があれほど正反対の対応格差をつける、体制益上・国益上の客観的理由は余り見い出せない。何かそれにだけではない歴史的文化論的位相がありそうだ。
ロシアにせよ、セルビアにせよ、スラヴ人世界の中で、西欧文明浸透圧の中で自分達の国家性を喪失しないで、ロシア帝国とユーゴスラヴィア王国、社会主義ソ連と社会主義ユーゴスラヴィア、プーチン大統領のロシアとヴゥチチ大統領のセルビアと言う形で自分達の国家的自立性を堅持できた民族である。西方の文化文明に丸ごと飲み込まれない所に誇りを感じる人々、正教徒だ。どうもブレジンスキーにはそれがすっきりせず、肌に合わないのかも知れない。優劣コムプレクスの深さ微妙さ。
アメリカ人ブレジンスキーはポーランド生まれのブジェジンスキである。ポーランド民族は西欧が開始した近代化の渦中で国家性を喪失した時期が長い。考えてみれば、彼の一番弟子のオルブライト国務長官はチェコ生まれのアメリカ人である。チェコもまたポーランドと似た運命を経験した。ポーランドもチェコもスラヴ世界の中で西方に対抗できなかった人々だ。対抗できなかった人々の一部が西方の盟主となったアメリカで出世し、かつアメリカの意を背負って、対抗できた二民族の国家指導者との間で外交戦争・武力戦争で対決することになった。オルブライト女史は、大空爆直前の国際会議でコソヴォ・アルバニア人側に立ってセルビア人を苦しめた。
ドイツ生まれのアメリカ人キッシンジャーの対ロシアと対セルビア政策には両者に見られる陰湿性は全くない。
不謹慎な想像かも知れないが、ブレジンスキー(2017年没)がプーチン露軍侵略のニュースを2022年2月24日に聞いた瞬間、「してやったり!」と黄泉国で祝杯をあげたのではなかろうか。ちなみに、オルブライト女史は、開戦一ヶ月後3月23日に亡くなっている。奇しくも、1999年NATO侵略空爆23周年3月24日の一日前である。
「ウクライナやグルジアのNATO加盟――。このことに、ロシアは、なぜそれほどまでに反対し、逆に米国はそれほどまでに熱心となるのか(強調:岩田)」(『「新冷戦」の序曲か メドベージェフ・プーチン双頭政権の軍事戦略』北星堂、2008年、p.203) 故木村汎教授は、こう問題を提起している。そして、「ロシア」はの部分に自分の答えを出しているが、「米国」はの部分には何も語っていない。私=岩田は「ロシア」はよりも「米国」はのほうに非合理的な非客観的な何かを感じる。
令和4年6月17日(金)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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