日本国民は戦争で人を殺し殺されることをやるのか ~参院選後に日本は戦時体制に移行する~
- 2022年 6月 21日
- 時代をみる
- 渡辺幸重
日本は今、戦前と同じように戦争への道を進んでいます。戦前と異なるのはアメリカの世界戦略の中にがっちりと組み込まれていることで、戦争忌避に向けての外交努力は戦前よりもむしろ少なく、平和を求める国の意思はどこにも感じられません。権力をチェックするべきマスコミも野党も牙を抜かれ、国民世論は軍備強化を許す傾向に流れています。7月10日実施の参議院議員選挙は自公政権の勝利が予測されており、選挙後の日本は軍備が強化され、国民は権利を剥奪され、生活と生命が脅かされる戦時体制同様の社会になるでしょう。戦争がいつ起きても不思議ではない状況になるのです。はたして日本国民は自分たちの生存に関わるこのような状況について、いつ議論し、いつ決めたのでしょうか。来たるべき選挙で「戦争反対」の意思を示さなければ声を挙げる機会は奪われてしまうでしょう。私たちは今、人を殺し、人に殺される戦争を目の前にして何をするべきか、しっかりした自覚を持たなければなりません。すべてを決めるのは日本国民なのだから。
いまだに続く安倍元首相の野望:軍事大国化への道
そもそもこのような事態はどのようにして作られたのでしょうか。私には真っ先に「安倍元首相のあくなき執念」を思い浮かべます。「岸信介の亡霊」と言ってもいいかもしれません。安倍元首相は、日の丸の国旗化・君が代の国歌化などの右傾化路線上に立って、第一次政権時には教育基本法・学校教育法を改正し、憲法“改正”に向けた国民投票法を制定しました。まず教育で国民を洗脳するという独裁者の常道に則って管理された教育によって愛国主義・国家主義をたたき込み、平和憲法を戦争ができる憲法に変えるシナリオを進めたのです。第二次安倍政権成立以降はさらにあからさまな行動に移り、急激に“軍事大国化”を進めました。中国や北朝鮮の脅威を喧伝し、“自由で開かれたインド太平洋”を旗印に当時のトランプ米大統領の言うままに戦闘機やイージスアショアなどの兵器を爆買いし、自衛隊と米軍の一体化や琉球弧(南西諸島)へのミサイル配備などを進めました。10の法律を一括“改正”した「安保法制(戦争法)」では集団的自衛権を認め、世界で戦争ができる体制を整えました。自衛隊の戦闘参加の範囲を拡大し、“専守防衛”をも逸脱する戦艦の空母化・ミサイル開発、敵基地攻撃能力の保持などを国民的議論のないまま進めています。一方、「秘密保護法」で国民の目から情報を隠し、「ドローン規制法」で軍事施設をブラックボックス化し、「重要土地等調査規制法」で軍事施設周辺や「国境離島」などの区域内にある土地・建物の利用を制限(罰則付き)するなど国民の重要な権利を剝奪する体制を作りました。これらは「軍事要塞法」「治安維持法」など戦前の軍事体制下の一連の法律を思い起こさせます。いったん、政府が“有事”を宣言すると、国民や自治体は抵抗する手段を奪われ、自治体が所管する港が軍事利用され、民間が所有する船が徴用されることでしょう。ミサイルが飛び交い、琉球弧のミサイル基地が狙われ、住民が島から逃げられなくなることも考えられます。ロシアのウクライナ侵攻では原発が占拠されました。日本では「原発が破壊されなくてよかった」と対岸の火事のように語られますが、日本の原発にミサイルが撃ち込まれる事態は起きないと思っているのでしょうか。
軍事費は2倍以上になり、国民の生活・生存は破壊される
安倍元首相は、ロシアのウクライナ侵攻に関連して日米での「核兵器共有」に言及し、「台湾有事は日本有事」とも言いました。岸田政権に対しては防衛費の大幅増を求め、意にそぐわないと「遺憾」や「怒り」を現すと報じられています。まるで安倍政権が切れ目なく続いているようです。岸田政権は「骨太の方針」を発表しましたが、安倍元首相の要求を次々に飲んだそうです。そこには「5年以内に防衛力を抜本的に強化」が盛り込まれました。これは自民党の提言にもある「防衛費GDPの2%以上」を意味すると解説され、岸田首相がバイデン米大統領との首脳会談でも約束したと言われています。GDPの2%は実に世界第3位の軍事費のレベルです。自衛隊を軍隊と呼ぼうが呼ぶまいが日本はすでに世界屈指の軍事大国なのです。
安倍元首相および彼のコアな支持者は一貫して日本の軍事大国化を進めてきました。それは彼の祖父にあたる岸信介元首相の夢を実現しようとしているとの指摘があります。安倍グループは明治時代のような“強い独立国家(大日本帝国)”を目指しているのかもしれません。明治憲法への回帰や天皇制、軍備強化などの政策を考えると納得がいきます。今は仕方なくアメリカの影に隠れているがそのうちに一本立ちし、“アジアの雄”になろうとしているのではないでしょうか。しかし、日本はいまや弱小化し、人口減少・超高齢社会で、経済力・技術力・研究力ともに落ち込んでいます。しかも外交力さえないこのような状態で軍事優先政策を進めるならば国民生活とのギャップが広がり、国民の生活と生命は絶望的なくらい脅かされることになります。
「戦争はどんなことがあっても起こしてはならない」
しかし、安倍元首相の執念とは逆に、国民の抵抗や批判の声は大きくありません。森友事件や加計学園疑惑、桜を見る会問題はどれ一つとっても安倍元首相が政界から追放されるほどの問題ですが、彼はいまだに説明もせず権力を振り回しています。過去の総選挙では「自民党はぶれない。TPP反対」と公約しながら政権を奪還したとたん、TPPを牽引し、アメリカが抜けても公約違反を続けています。なぜ国民もメディアも問題にしなかったのでしょうか。「長いものには巻かれろ(野党には厳しく、政権政党には従う)」式の風土を感じます。
このように権力に弱い国民であっても戦争には強く反対すると思ってきましたが、琉球弧の軍事要塞化が強行され、日本列島全体をオスプレイが我が物顔に飛ぶようになっても「戦争反対」の声は大きくなっていません。むしろウクライナ情勢の影響で野党も含めて「軍事力を増強すべき」との声が強まっています。メディアの権力批判も期待できず、大学の研究者も一連の大学改革や大学ファンド創設などで声が出せない状況に追い込まれています。沖縄で「ノーモア沖縄戦! 命どぅ宝の会」が結成され、全国に「戦争反対」を呼びかけていますが、これは沖縄島をはじめ琉球弧全体に軍事施設が配置され、米軍・自衛隊一体となった要塞が目の前に現れていることへの危機感があるからです。なぜそれが日本列島全体の問題だと受け取れないのでしょうか。「安倍の執念」で国の形は大きく変わっているのです。いったん戦闘が始まれば、戦火は琉球弧を越えて日本列島全体に広がるかもしれません。戦争は「焼き尽くし、殺し尽くす」まで終わらない側面を持っているからです。私たちは安倍元首相以上の執念と覚悟を持って戦争に反対しなければなりません。沖縄戦の教訓もウクライナ侵攻の教訓も同じで、「戦争はどんなことがあっても起こしてはならない」のです。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
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