到站下車 「駅に着いたら下車しよう」 ―あたりまえではないか
- 2022年 7月 26日
- 時代をみる
- 中国田畑光永習近平
最近、中国に「到站(タン)下車」という言葉がある、と知人が教えてくれた。「站」は駅である。だから「駅に着いたら下車する」―つまり当たり前のこと、当然のことの比喩に使う。日本語でいえば「雨の降る日は天気が悪い」のような。もっともこの日本語には最近、異論もあるようだが、それは別として、「到站下車」は中国で至極普通であることの比喩として、使われていると聞く。
「と聞く」と、歯切れが悪くて申し訳ないのだが、じつはこれ、新しい言葉のようである。どうしてこの言葉が生まれたか。例によってまた習近平国家主席の話になる。憲法に国家主席の任期は「1期5年、連任は2期まで」と書いてある制度のもとで、2013年に習近平は国家主席に就任した。だから、2期目が終わったらやめるのは「到站下車」だよね、というわけである。
しかし、実際には2018年にその国家主席の任期自体を憲法から削除することが決まった。習近平は来年春に就任10年には到達するが、やめなければならない理由は法律的にはない。だから無期限続投を狙っているにちがいないというのが、今や常識となっている。
もっとも、習近平が3期目を狙っているとか、永久政権を目指しているとか、そういう話は中国以外の外国メディアでは日常茶飯に登場するが、中国のメディアには一切登場しない。その代わりにニュースのトップは毎日、判で押したように習近平がらみである。適当なニュースのない日でもなにかしら習近平の話題を作って、画面や紙面を作るのが日常となっている。
しかし、共産党の絶対的掌握のもとにあるマスメディアが黙っていても、民衆は事情を百も承知。せめて「到站下車」とつぶやいて、何も言えない状況に一矢報いているのだろう。
もう一つ、今度は詩の形を借りて、やはり習近平を皮肉った一篇である。
『認知了』 『分かってるぜ』
闭嘴! うるせえぞ!
说你呢 お前なんぞはな
高高在上 樹のてっぺんで
一片聒噪声 ぎゃあぎゃあ騒いで
平添几分燥热 暑苦しいだけだ
自以为聪明 自分じゃ利口だとうぬぼれて
肥头大耳 でけえ頭に耳をぶら下げてるが
土堆里 土の中に
蛰伏 閉じこめられて
5年以上 五年以上
才爬出阴间 やっと暗闇から這い出し
却只会用屁股 けつを震わせて
唱夏日里的赞歌 夏を喜んでるだけだ
不知人间疾苦酷暑 世の中の苦労も知らねえで
——《致知了》 宣克炅 ――「分かってるぜ」 宣克炅
(お気づきのように、元の詩は1行ごとに1字づつ字が増減して紙面にきれいな斜線を描いているが、翻訳ではそういう芸当はできない。ご覧のような無粋な形で、作者と読者に申し訳ないが、乞う、ご寛恕。)
この詩で罵られているのは蝉である。夏の短い間、大声で喚き続ける蝉に、毎日メディアに登場する習近平をなぞらえて皮肉っている。出来の良し悪しは読者の皆さんにゆだねるしかないが、最初の「闭嘴!」(「うるせえぞ!」と訳したが、原義は「口を閉じろ!」)に、「あんたの話はもうたくさんだよ」という国民の気分が現れている。「いくら騒ごうと所詮は短い命ではないか」というのが、蝉に託した作者の吐き出したい鬱憤であろう。
一方、こういう国民を相手に選挙もなしに政治を続けるほうも楽ではないだろう。勿論、国民に政権批判を許さず、反対党の存在も認めないところにすべての問題の根源があるのだが、こういう形の皮肉や当てこすりは取り締まるのも難しければ、抑えようとしても抑えようがない。そのいら立ちがますます過激な取り締まり国家、監視国家の活動空間を広げていってしまうのだろう。
この連鎖はどこまで続くのだろうか。
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