ドイツ通信第191号 ロシア・プーチンのウクライナ軍事侵攻で考えること(6)
- 2022年 7月 30日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
- 2月のEU-アフリカ首脳会談が開催される直前、セネガル国家元首でアフリカ連合議長のマッキー・サル(Macky Sall)が、彼の同僚とともにEUおよびEU加盟諸国に、アフリカ諸国の化石燃料の採掘をできる限り自然環境への負担を減少させて援助するように訴えます。
バカンスで出国する人で賑わうドイツ各空港
ドイツは夏休みに入りました。2年半のコロナ規制からやっと解き放たれたいという熱望からか、市民は休暇に出かけていきます。大きな空港――フランクフルト、ベルリン等々のチェックインカウンター、セキュリティー、スーツケース処理部門では現下のコロナ感染と、さらにこれまでの長引くコロナ禍の中で職場への希望が持てず、多くの労働者が職を去っていったことによる人手不足から作業がはかどらず長蛇の列ができ、大混乱を招いています。それでも、人は出かけます。
感染数もこれまでにない高率を示していますが、旅行者にはお構いなしの体です。
他方で、時短労働等へのコロナ援助とは何だったのか、また、航空会社は政府の莫大な資金援助で倒産を免れながら、それが今なぜ、人手不足になるのかとの疑問が持ち上がってきます。各労働、経済分野への援助の必要性を認めながら、結果はその意図したものと正反対になっていることこそが問題であるように思われます。
飲食店、ホテル、レストラン等のサーヴィス部門での人手不足がここでも報じられ、夏の旅行シーズンにもかかわらず、一部では店を閉めなければならないというところも出てきています。
何が変わり、なにを変えなければならないのか? 同じことはウクライナ戦争でも問われていることではないかと思います。
南フランス コロナなどなかったかのような市民の立ち振る舞いに驚く
その旅行先では世界各国の人々との遭遇があります。例えば、6月末に一足早く南フランス・ニースに行って大統領決戦投票直前の様子を見に行ってきましたが、これまでコロナなどなかったかのような市民の立ち振る舞いに驚かされました。電車、市電等公共交通機関でのマスク着用がドイツと同じく義務づけられているため、さすがのフランス市民もコロナ規則を遵守していましたが、その中にアメリカ系の10人近くの若い男女グループが乗り込んできて大声で、飲み食いしている姿を見せつけられれば、腹が立つと同時に状況への国別を越えた共同理解の難しさをつくづくと思い知らされました。これは、ほんの一例にすぎません。
アメリカにないコロナ規制がフランス―ヨーロッパにあり、ヨーロッパ内部でも国々によって異なります。
ではその時、人は何に従うのか、また従えばいいのか?
「ヨーロッパの価値」
ウクライナ戦争で枕詞のように使われる「ヨーロッパの価値」とならんで耳目に飛び込んでくるのは、「ヨーロッパは、遂に一つになった!」という表現です。
これによって、それまで分裂・対立を繰り返してきたEUが、対ロシア制裁で今までに経験したことのない共同歩調を実現し、連帯を実現していると言いたいのです。
ユーロ危機、難民問題、コロナ禍では、各国のナショナルリズム的な利害の対立からエゴをむき出しにした醜いEU、そして各国の素顔を見せつけることになりました。何が、どう解決したかが総括議論されることなく時の成り行きにまかせ、一つが終わればまた次の問題が持ち上がってくるという経過をたどってきたのが、事実EUのこれまでの経過でした。〈その場しのぎ〉が各国のエゴを煽り、罵声・怒声も含めた対立を激化させてきた背景にあります。
故に、プーチンのウクライナ軍事侵攻は、「共同価値」の下にEU諸国を「一つにした」と政治家から語られても、素直には呑み込めない抵抗感があります。むしろそれは、プーチンのウクライナ軍事攻勢を前にした希望的願望ではないかとさえ思われてきます。長引くことが予想される軍事攻勢に対抗するためには、EU―西側世界の共同歩調が必要だというアピールです。過去の誤りを繰り返してはならないという咎めにもなります。
ここでヨーロッパが現実と願望を取り違えば、対ロシア共同歩調に足並みの乱れてくることが、十分に過去の経験から予想されます。
この点でプーチンが揺さぶりをかけ、戦争を長引かせる一つの重要な動機になっているように思われてなりません。
では何が現実で、何が願望――こう言ってよければ何が目的とする課題か?
何が現実で、何が願望――何が目的とする課題か?
次に、この問題を政治議論の中から整理してみます。
ロシアからドイツに供給されるガスがストップしてしまえば、今年の冬をどう過ごせばいいのか? 食料品価格が約8%、エネルギー・コストもまた約40%近く跳ね上がり、そればかりではなく、燃料不足によって生産過程の稼働停止を決断しなければならないケースが現実に予想される。
連日ニュースのトップを占めるのは、このテーマです。そこで経済・エネルギー省(大臣―緑の党)を中心にエネルギー節約プログラムが検討され、他方で新しいガス供給源の開発がすすめられます。同時に、FDP(ドイツ自由民主党)およびCDU/CSU(キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟)からの圧力で原発再稼働に向けた議論が俎上に上ってきます。緑の党にとってみれば、党派原則を揺るがすテーマになります。
ロシアに依存してきたドイツの過去のエネルギー戦略と、それによってヨーロッパへのガス配給を保障してきた体制がプーチンの戦争によって破壊され、今後そこからどう体制を立て直せばいいのかという瀬戸際に立たされることになりました。議論の背景には、党派間の駆け引きもあります。
ここでの苦悩と苦境は、7月初旬に行われた経済大臣ハーベックの国会におけるエネルギー政策への提言に見てとれます。
苦渋に満ちた表情と言葉でエネルギー節約の必要性を訴えながら、他方で、なぜドイツは行き詰まったのかと問い返し、そこでの発言に私は注目することになりました。
概略以下のようになります。
過去10年の政権が自然エネルギーへの取り組みをしてこなかったことが今日の状況を招いた。10年という年月は、新しいエネルギー転換を実現するに十分であったはずだ。
3党(SPD=ドイツ社会民主党・緑の党・FDP )連立政権で、過去の政権を批判する言葉がこれまで聞かれなかったことに私は注目していました。新政権ができれば、過去の政権を批判しながら自己の正当性を強調するのが通常になっていたように思います。しかし、今回はそれがなかったです。TV番組の政治討論でも聞かれなかったことに意外な感がしていました。政治家の世代の違いが明らかになったといえるでしょう。
3党連立は、過去の政権が残した課題を自分の課題として引き受けたのだと理解し、その政治モラルにシンパシーをもってきました。
そんな経緯がありますから公然と、「過去10年の政権」を名指ししないまでも言い放ったことに驚かせられながら、その背景を考えてきました。
新政権はロシアのプーチンのウクライナ軍事侵攻とともにスタートしたといっていいでしょう。戦争と軍事供与、エネルギー転換と環境保全、EU―NATO安全保障、それに加えてウクライナ戦争下での経済・財政援助が緊急の課題となります。新しい政治を展望していた新政権には、言ってみれば戦時下の足枷をはめられることになります。3党の足場が固まらず政策一致が困難になり、政権運営が滞ります。
他方では、新しい社会を期待した市民には戦費の重荷がのしかかってきて、〈戦争疲れ〉が出くる兆候も読み取れます。
はたして、どこまで持ちこたえられるのか?
これがコロナ感染をものともしないで混乱する空港に押し寄せる市民の姿であり、一方で5人に1人が財政的理由から夏季休暇を家で過ごすという世論調査の結果となって現われてきています。
新政権への批判は受け入れるとして、しかしどこに解決の糸口を見出し、何が変革されなければならないのか。そのためには何が、どこに現状の原因があるのかが議論されなければならない、というのが経済大臣ハーベック(緑の党)の訴えたかったところだと私は理解しています。
メディアは、即、「メルケル(CDU)16年間の政権批判」と名指しで報道することになりました。
当のメルケルは、6月中旬、新聞インタヴュー(注)に答えてプーチン・ロシアのガス・パイプライン(Nord Stream 2)建設を防衛していました。
(注) Redaktionsnetzwerk Deutschland
メディア、マスコミは一斉に「6ヵ月の沈黙を破って」と書き連ねます。2月24日プーチンのウクライナ軍事侵攻以降、メルケルは沈黙したままで、その間ウクライナ戦争などどこの話かといわんばかりに〈私人〉としてイタリアで休暇を楽しむ姿がメディアで報じられていました。
その姿は、メルケルの16年間の政治スタイルを象徴しているでしょう。
〈ドイツ経済は順調で、ドイツ市民は自由と解放を謳歌できる〉イメージづくりです。しかし一度としてテーマを取り上げ議論することはありませんでした。それに市民は安心感を持ち、親しみを感じたのでしょう。当時のマスコミもメルケルの木で鼻をくくったような対応にたぶらかされ、その一端を担いでいました。それが「選択肢のない」議論スタイルでした。この事実を一つひとつ挙げればきりがありませんから、ここでは触れません。
結果は政治離れと停滞です。
政治離れと停滞
これをインタヴューに沿ってみていきます。
1.パイプライン決定は、容易ではなかった。
2.東方外交(ブラント首相―SPD)といわれる〈通商による変革〉(Wandel durch Handel)を信じたことはなかった。
3.しかし、〈通商による提携〉(Verbindung durch Handel)を信じていた。特に、核兵器を保有する二大国の一つ(ロシア―筆者注)、独裁国との提携は必要だった。
4.Nord Stream 2は正しく、ロシアのガスは安上がりになる。
5.2月24日当時、ロシアのガス供給はNord Stream 2がまだ稼働せず、使用されていなかったことにより、プーチンがガスを武器に使ったとは言えない。
6.LNG(液化ガス)ターミナル建設を市民の税金からの援助ですすめる案もあったが、それをやる企業が出てこなかった。LNGガスは高くつくので、輸入業者の誰もが前もって長期的な容量を予約することができるとは考えなかった。
これを受けて、轟々たる批判がジャーナリストおよびマスコミから浴びせられます。
自分自身を批判する痕跡がまったく認められない!
というものです。
批判は正当です。これは何も政治家に限ったことではないでしょう。一般市民の人生についても同じです。その当時は、そう判断して間違いないと確信しながら、時間の経過と事態の発展の中で、「あの当時」を振り返りながら自省するというのが人間思考の在り様だと思うのです。こうして人は利口になってきたと思うのです。だから思想を発展させ闘争を豊かにしてきたはずだと考えるのです。
それがメルケルには欠けているのがわかります。そこから政治スタイルがつくり上げられました。
典型的には、インタヴュー2.の「変革」か「提携」かの違いです。変革、転換という場合、パートナー相互の内的な変遷を伴うはずですが、提携、コンタクトという関係性には、business as usual の利害面が強調され、相互取引の域を超えないように思われます。例えば冷戦構造を崩壊させたのは、市民の変革への意識が形成されたことによってでした。大国、独裁国との提携では、体制を残しながら現状を維持していくことです。これは、対中国政策にも認められます。
何故か? 経済資本の安定が第一で体制変革への展望を持たないからです。それをまた提起できないからです。
インタビュー6.の言い分――というより言い訳に聞こえてしまいますが、当時、そして現在もLNGのFracking工法による自然環境破壊、人体被害(ガン誘発)、地下水汚染、地震誘導に対する反対運動が市民の中に非常に強く、さらに経費的に高くつくことを理由に投資のないことは事実です。それは誰もが知っています。2017年にFrackingは、法律的に禁止されました。問題は、だから戦争の中でエネルギー転換をどう進めるのかという時間を振り返った戦略的なとらえ返しです。そんなものはどこにも見られません。
こうして残された課題が新政権の課題として引き継がれたという経緯です。
無為、無策に過ぎた16年を振り返り、党略的な新政権への批判にいたたまれなくなった経済大臣ハーベックの対応だったと理解できます。
ウクライナ戦争は安全保障体制の見直しと、自然環境、エネルギー問題の戦略的な位置づけが問われています。
7月21日までの10日間、ロシアは「パイプラインの点検・修理」を理由にガス供給をストップしました。このとき、ドイツでは再びプーチンがガス供給を契約通り継続するのか、あるいはそのままストップさせてしまうのではないか?という不安混じりのニュースと議論に明け暮れていました。
ウクライナ連帯、EU共同歩調を訴えながら、そこから聞こえてきたのはナショナルな響きです。国民の生活と経済を守るため、公然と語られはしませんが、ウクライナ連帯――ロシア制裁を問いただす方向への世論の風向きを心配しました。
それ以前に、既に許容能力の40%まで落とされていた供給量が、再開後は20%まで減少させられ、ロシアからドイツにチョロチョロとガスが流れてくるパイプラインが想像されます。ガス量を手加減しながらプーチンは、市場原理を悪用し世界のガス価格を釣り上げ、各国の国民経済に打撃を与え、インフレによる市民への生活苦を強制していることは明らかです。同じことが小麦についてもいえます。それはまた、一種の心理テロでもあることは間違いありません。KGB(ロシア秘密情報部)上がりの大統領の本領といえます。
反面、経済制裁を解除するための強硬手段だと見れば、ロシア経済が逼迫し、また軍事的には、前線の戦死者を補う後方からの志願兵補給が計画通りに捗らず、加えて休暇を取り祖国に帰った兵士の40%が、前線への再動員を拒んでいるといわれる状況を図らずも口にしたことになります。
ロシアのウクライナ軍事侵攻と爆撃は、それ故に人道も理性も顧みられることなく、今まで以上に無差別、無慈悲に激化していきます。
そこで揺さぶりをかけられたEU内の「ナショナルなエゴ」と表現される意味内容に関して、この間の経緯を踏まえながら検討してみます。そこに将来に向けた展望と課題を見ることが可能だと思われます。
論旨はまず、ヨーロッパ大陸はエネルギー不足で、そのために化石燃料の入手を必要としているところ、アフリカを援助することによってヨーロッパ自身が太陽、風、水からなる再生可能エネルギーの将来に向けた投資の資金援助ができるのではないかというところにあります。
次に、パリ協定が容認する発展途上国の権利から、先進工業国より長期にわたって化石燃料をエネルギー源として使用できるよう要請しますが、EU委員会議長のフォン・デア・ライエン(CDU)と当時の評議会議長であったフランス大統領マクロンが以下の理由で拒否します。
「化石燃料に投資する時代は終わった。今は、再生可能エネルギーに投資する時代に入った」
これが前史とすれば、プーチンのウクライナ軍事侵攻後に開かれたG7首脳会談では、世界のエネルギー危機の中でアフリカが拒否された化石燃料を再生可能エネルギーへの移行を保障するための過渡期のエネルギーとして維持する決定を下ろします。
最後は、ドイツ首相ショルツ(SPD)がロシアのガスに代わる新しい供給源を求めてセネガルに赴きました。(注)
(注) Frankfurter Rundschau 13.Juli 2022
„Die energiepolitische Heuchelei der EU“ von Boniface Mabanza Bambu
2.同様なケースが難民問題でも見られました。具体的な政治展望を持てないとき、どういう理念の空回りが引き起こされ、一方で国家相互間の駆け引き道具に利用され、当の難民に屈辱と非人間的な生存条件を強いることになるかという一例です。
2016年3月、トルコを通過してEUに入ってくる難民の流れを食い止めるために、トルコとEUの間で協約が結ばれました。それはEUがトルコに資金を提供し、トルコが難民キャンプを建設して難民の流れを断ち切ることを目的にしていました。この交渉をしたのは当時の首相メルケル(CDU)です。メルケルの対応は、実にハードだったといわれています。
確かにヨーロッパへの難民数は激減しましたが、問題は何ら解決されることなく、今日まで引き継がれています。
この時期はトルコ大統領選挙が開かれていて、私たちはトルコの友人を訪ねて議論することになりました。この相互協約が、独裁制を固めるエルドアンを助けるだけであることは明らかでした。しかしトルコの友人は、「ドイツにはいいことだろう」と繰り返し言い返すだけです。私たち、そういう意味では部外者のエルドアン批判など彼は聞きたくないのがわかりました。協約によって何がドイツ(の政治と社会生活)にもたらされるのかを知れと、友人は言いたいのです。他人のことより自分のことを知るべきなのです。彼は、それを聞きたいのです。一見まっとうなと感じられる政治分析と批判ではなく、それが各自にもたらす意味を知るべきで、そこから議論が始まるべきことを痛感させられました。同じことは他の諸国で(の人との出会いに)も言えます。
ここに見られる事情を、現在のウクライナ戦争の中で一人の国際法学者は次のように解釈しています。(注)
われわれ(EU)が手を汚すことなく、トルコ人に難民を食い止めさせ、そのためにトルコ人に金を出す。 これは、われわれの義務を他人に負わせることである――国際法が要求するように、人間をそのように扱ってはならないと知っていながら。この西側世界の偽善が、当然、われわれが人権を要求する国々には鼻につくのである。
(注) Frankfurter Rundschau 20.Juli 2022
Menschenrechte- ?Die Scheinheiligkeit des Westens faellt auf“ von Hans-Joachim Heintze
上記2つの記事の見出しには、それぞれ2つの異なる厳しい用語(Heuchelei, Scheinheiligkeit)が使用されていますが、共通して〈偽善〉という意味です。
南北、東西の紛争と対立が繰り返されてきました。そこで問われていたのは、先進工業国――北と西の経済システムがつくり上げてきた発展途上国――南と東の人材と資源、つまり富の略奪構造を土台から根本的に変革することでした。
その代わりに語られたのが、「民主主義、人権、エコロジー」という先進工業国の理念と価値観でした。こうして、新植民地主義論が議論され始めています。
なぜ、UN ロシア制裁決議で反対、棄権を表明したグループに南大陸の国が多数を占めるのかは、ここから説明できると思います。
ロシアと中国が影響力を強めているアフリカから聞こえてくる声は、〈(ロシアと中国は)西側世界のように価値(民主主義と自由)を求めることなく経済援助をしている〉と。
このような2つの流れを見ていると、時間は冷戦体制に逆戻りしているように思われます。ソ連共産主義衛星圏と資本主義世界市場の対立。
これが「ナショナルなエゴ」の源泉だと思われます。
この言葉の現実的な意味を ユーロ危機のときにドイツと交渉した当時のポルトガルの事務次官(Bruno Macaes)は、その時の経験から現在のEU共同のエネルギー安全戦略に関して猜疑的な見解を述べています。(注)
ドイツは数年間、ロシアのガスに代わる代替策をブロックしてきた。そこからドイツの抵抗によってイベリア半島と他のヨーロッパの間にパイプラインが敷設されることがなかった――と前置きして、次のように続けます。
ユーロ危機の時にショイブレ(メルケル政権の財務大臣)は、常に、コストが社会化されてはならないといっていた。それがなぜ、今、ドイツの一連の誤りの後に、(EU共同戦略が―筆者注)実現できるというのか?
(注) Der Spiegel Nr.29/16.7.2022
„Stresstest fuer die Solidaritaet“
ドイツは、ギリシャ――ユーロ危機のリスクとコストを共有できないということです。これによって財政政策をめぐりEU内の抜き差しならない対立がありました。簡単にいえば負債国へのすべての責任転嫁です。「連帯」などという素振りもありませんでした。
ドイツ政府内のCDU/CSU政治家は、「ギリシャは(財政健全な―筆者注)ドイツから学べ!」とさえ言い、税務所轄部にドイツの事務官僚を送りつけようとさえしていました。
結局、ギリシャへの財政援助の利息で、EU内でもっとも利益を得て懐を増やしたのはドイツでした。
その時、ギリシャの街中に年金者、年配者、障害者のデモが繰り広げられていました。歯科治療を受けられず、歯の抜けた老齢者、歩くのも困難と思える杖をついた年配者、そして障害者たちのデモをしていた姿が、今でも強く記憶と印象に残っています。
ブリュッセルあたりから「EUが一つになった!」というフォン・デア・ライエン等の屈託ない晴れやかな声を聴いていると、理想と現実を取り違えている政治(家)のパフォーマンスに鳥肌が立ちますが、それに戦争勝利論が加われば、危険というしかありません。
EU ―西側世界の課題がどこにあるかは、以上の経過から明らかになるだろうと思われます。既存の経済制度を変革していく内的な政治潮流が社会運動を呼び起こし、ロシア・プーチンへの国際的で政治的かつ経済的な圧力に決定的に必要なアフリカ、南アジア、南アメリカとの連帯を可能にしていくはずです。発展途上国との連帯なしに、プーチンの軍事侵攻は止められないと思います。
発展途上国の社会変革を言うのであれば、まず、そこから人民の富を収奪し、貧困と餓死を強いている先進工業国自身の経済システムを変革すべきでしょう。
その時、人は〈民主主義、自由〉の言葉に耳を傾けることになるはずです。これは私の経験でもあります。
南北、東西に人民を取り残して、一人にさせてはならないのです。つながらなければならないのです。それが私にとっての〈連帯〉という意味であり、「一つになる」ことです。
この人民の社会的な力が、間違いなく軍事の発展を規制しストップさせていくだろうと確信しています。 (つづく)
追記
これを書いている途中、ミヤンマーで4人の野党、政府反対派の活動家の処刑があったという報に接しました。
30年間以上も処刑は行われてこなかったといいますから、間違いなく、アメリカの極右派による暴力的な国会突入・占拠 、中国による香港民主化運動の軍事的鎮圧と香港支配、ベラルーシ民主化運動の軍事制圧、そして現在のロシア・プーチンによるウクライナ軍事侵攻と人民虐殺――これら一連の経過が、ミヤンマー軍事政権の人民処刑を誘発させ、加速させたのだと思います。
アフガン―「アラブの春」―イラク―対IS―難民―ベラルーシ―香港―ミヤンマー、そしてウクライナ――西側世界と人民は何ができるのか。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12231:220730〕
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