(投稿)7月31日に87歳の由井格(いたる)さんが亡くなられた==== さようなら 由井さん、ほんとにありがとう
- 2022年 8月 8日
- 評論・紹介・意見
- 三上治
経産省前に、街路樹のプラタナスがある。毎年、冬を迎えるころには丸裸にされて寒々しい光景をさらす。こちらまで寒くなる思いがして嫌なのだが、そのプラタナスが青々とした若葉を茂らせている。その生命力にはいつも驚くのだが、今の季節はほどよい日陰を創り、時には心地よい風を送ってくれる。暑い日の座り込みにはオアシスのような感もするが、このプラタナスの下での座り込みに笑顔でよく訪れてくれたのが、由井さんだった。
いつも、季節の煮物をタッパに詰め込んで訪れてくれた。春は山菜、秋はキノコ、時にはシカ肉などを携えてである。彼は信州の山郷の出だが、こよなく故郷を愛し、よく帰郷していたが、その都度いろいろのものを持って来たのだった。その多くは故郷の人々が山づととして彼に持たしてくれたものだったのかもしれない。彼はそれを座り込みしている人たちと供食したかったのだろう。それは彼が終生、身につけていたものと言える「人へのもてなし」だった。彼の連帯の流儀だったのかもしれない。
僕に、嬉しそうに山菜などの説明をしてくれる。彼の笑顔に心和ませられながら、とてもうれしくなったものだ。何を隠そう、この僕も彼と同じように、ある時期まで、田舎と呼ばれる場所で過ごしたのだから。彼は田舎育ちの人の美風というべきものをそのまま残し、さりげなく、やっていたのだ。僕などが到底及ばない他者への応対だった。そんな由井さんに会えなくなるのは寂しい。テントを作って、いろいろの人と出会い、交歓をしてきた。それがテントや座りこみの力の源泉だった。由井さんと会うことは、その一つだったのだが、櫛の歯が欠けるように消えていくのは悲しい。
本当に由井さんありがとう、僕はあなたがいなくなって、こういう言葉しか言えない、でも本当に感謝している。
僕が由井さんと初めてあったのは、1960年だ。ひと昔も、ふた昔も前のことである。よく、連れ合いに「もっと長い付き合いの人がいる」と冗談めかして言うことがある。そんな一人だった。彼と出会ったのは、僕が1960年に上京し、安保闘争に関わったころである。彼は1960年に大学を卒業したから、僕とは入れ替わりだったのだが。彼は卒業後の運動に関わっており、そこで出会ったのである。彼は僕らに安保闘争と併行して激発していた労働争議などの支援の要請に来ていたのである。それはホテルや病院などの労働争議であり、介入する右翼などに対抗する支援の要請にきていたのである。僕は彼の要請に応じて、後に労働運動家になった友人等とホテルや病院の争議支援に駆け付けた。
彼は安保闘争においては東京地評と学生の連携のことをやっていたらしいが、中小の労働争議などにも関与していたらしい。1960年の安保闘争と三池闘争が併行してあったことはよく知られているが、こういう小さな労働争議もあったのである。由井さんが何をしている人か当時はわからなかったが、いつの間にか、長いつきあいは続いてきた。彼とは同じ政治組織に属したことはなかったが、つきあいは続いてきた。それは大衆運動や市民運動の関係においてだが、それ以上に友人だったのだ。
僕は1960年の安保闘争以降、組織(政治党派)と関係は薄く、どちらかといえば、独立独歩の様相が強かったから、彼はいろいろの問題を持ち込める相談相手だった。相談ができる数少ない先輩だった。彼は、僕が小学三年生のころ高校生で、朝鮮戦争に関わる闘いに参入していたらしい。1950年代の前半のころである。運動への関りという意味では、はるかに先から関わっていたのだ。
彼は、政治党派の問題やその矛盾的な所業に振り回されながらあったのだろうと推察されるし、それを想起させる話をしてくれたが、左右問わず、運動や闘いにあるものが、自己の正当性を疑わず、そのことに固執することに疑念を持ち、真相、真実を明らかにすることをやってきた。誤ったことのない前衛という観念は、誤ったことのない天皇ということの裏腹のことだが、自己の所業を客観化(対象化)しないで、それに拒否反応を持つ日本的思考に疑念を持ちそれに対峙していた。
これは思考が権威化するものに支えられる。そこに根拠を得ようとすることだが、この伝統的な思考に懐疑を持ち、それに対峙しょうとしていた。彼は多くの資料(闘争の記録)などが執着し、集めようとしていた。それは本についてもいえる。それは真相や真実を明らかにしようとすることであり、権威あるものとして流通するものを下にあるものから、それを暴こうとしたのだ。これは流通する文化、政治、社会の言説の宗教性を暴くことでもあった。その意味では由井さんは生粋の左翼だった。イデオロギーではなく、左翼的思考が身についていた。
僕は、由井さんがうれしそうな表情で古本屋街で見つけてきた資料を示される時に、いつもそんなことを思っていた。
由井さんは、経産省前の行動の中で、いつの間にか進行するリニア中央新幹線建設の現状について話をし、情報をもたらしてくれた。東電が柏崎刈羽の原発再稼働に固執することと、リニア中央新幹線のことの関連などを。由井さんのことを思うと、とどめもなく、いろいろのことが思い浮かぶが、それは別の機会にあらためて語ることにして、ご冥福をお祈りしたい。(三上治)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座http://www.chikyuza.net/
〔opinion12257:220808〕
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