『スティグリッツ国連報告』 ―反・市場原理主義で世界金融を分析すれば―
- 2011年 7月 24日
- 評論・紹介・意見
- スティグリッツ国連報告半澤健市国際金融システム改革市場原理主義批判
本稿は、09年9月に国連に提出された「国際金融システム改革に関する報告書」の要約である。「報告」は一つの委員会の産物であり、現在進行中の「世界恐慌」を論ずるための基本的文献だ。民間の一研究者が意気に感じて訳出したことを知り紹介する。 (註)
《スティグリッツ報告成立の背景》
国連の委員会は、当時の国連総会議長ミゲル・デスコト・ブロックマンがスティグリッツに委嘱して組織された世界各国の経済専門家の集団である。委員長のジョゼフ・スティグリッツは、米経済学者。クリントン政権、世界銀行、IMFの要職を歴任後、現在はコロンビア大教授。ノーベル経済学賞受賞者でもある。体制内部に生きる学者にしては「市場原理主義」に批判的で知られる。
20名の委員会に日本からは元大蔵官僚の榊原英資早大教授が参加している。委員会の目的は、世界経済危機の原因の究明と対処法の提示である
言うまでもないが、07年夏に兆しが始まり08年9月の「リーマンショック」で頂点に達した世界金融危機への国連の対応の一つであった。報告書は専門用語が多く論述もやや錯綜して難解である。細部については是非原文に当たられたい。
《報告書を主観的に要約すれば》
以下の順序でかなり主観的な要約を掲げる。
第一に報告書の現状分析を述べる。
第二に報告書の対策提示を述べる。
第三に私の感想を述べる。
現状分析
現状分析における主要な論理は次の通りである。
◆今回の危機は世界経済の心臓部で発生し周辺部にまで到達した。弱小の発展途上国に深刻な影響を与えた。金融危機から経済危機、社会危機へと変化した。国際・国内の両者で格差が拡大し弱者が増加した。危機の国際的な波及─これを「外部性」externalityと呼ぶ─に特に注目が必要である。
◆過去80年間で最大といえるこの経済危機は、「民間セクター」と「公的対応」の双方が失敗したことに起因する。サブプライムローンのような「毒入り商品」の開発はその一例である。
過去四半世紀を制した理論「市場原理主義」のテーゼは、「市場は自己修正的であり規制は極力撤廃すべきだ」というものである。それは、市場の失敗、金融機関の統治機能の崩壊、国際金融組織による警告の失敗、誤った政策発動、などの結果をもたらした。
◆市場に参加する経済主体の力の「非対称性」の拡大がこの期間の特長である。情報量、技術力、資金力などにおける圧倒的な格差が存在した。悪しき「権力の集中」が起こった。第二次大戦後の世界金融秩序であるブレトン・ウッズ体制自体が制度疲労を起こし機能不全に陥っている。
対策提示
対応策における主要な論理は次の通りである。
◆今回の金融危機・経済危機は世界大であり国際貿易・金融システムの大改革が必要である。国内の改革だけでは不十分で国際的なシステムの早期の改革が必要である。
◆市場と政府のバランスを回復する必要がある。規制緩和の行き過ぎを是正し政府の役割を増大し透明性、説明責任を拡大することが必要である。インセンティブと商品開発、マクロ健全性規制、過大なリスクの制限、投資家保護、規制機関の整備、国際金融における国際規制の強化、などに新視点からの行動が必要である。
◆対応策の短期的、長期的という性格を自覚し政策実行に付随する配分の不公正を許してはならない。「大きすぎて潰せない銀行」too big to fail の処理などに好ましからざる既得権者の力が働いている。
◆経済政策における「順循環的政策」pro-cyclical policiesと「反循環的政策」counter-cyclical policies の活用を意識的に行うべきである。先進国では後者が発動しやすく有効的である。途上国ではリソースが少く前者に偏りがちで経済変動の負の作用を受けやすい。
◆IMF、世界銀行、WTOなど多くの国際経済組織が依然として市場主義原理を奉じている。これらの機関における新しいインセンティブの導入、米ドル中心の国際決済と国際準備通貨システムに代わる「国際準備通貨制度」の検討が急務である。債務不履行に対処する「国際債務再編法廷」、「対外負債委員会」、「GDPリンク債」などの新制度も研究に値する。
◆世界の金融・経済は大国の支配が行われている。G7、G20の時代から「G192」の時代が構築されなければならない。
《アメリカもウォール街も報告を無視している》
さて、スティグリッツ報告をどう評価すべきか。
本報告の特徴は、
①市場原理主義批判の立場を明確にしていること
②民間と国家(と公的機関)の双方が危機管理に失敗したとみていること
③規制強化、国際組織新設などいくつかの漸進的な提案を行っていること
④国連の書き物らしく途上国、とりわけ弱小の途上国の立場を重視していること
などに集約されよう。これらはプラス面であると評価したい。
同時に私は次のことを痛感した。
一つは、報告を嘲笑するかのように市場原理主義は依然「極めて健康」だということである。
「訳者あとがき」によれば本報告書は「米国政府からは無視されている」。
私自身が、小さな窓から米国経済界の言説を覗く限りでも、市場原理主義は不動のようであり、ウォール街の論調もこのイデオロギーから1インチも離脱する気配はない。一体、国連は世界の金融・経済の社会では主要なアクターではない。報告は国連の「経済問題介入」の正当性を強調するが、実態がそうでないことの表現であるのだ。
二つは、歴史的思考の欠落である。「無い物ねだり」という批判を承知の上でいう。この報告書には、世界経済への「歴史的視点」が完全に欠落している。現行制度の欠点や経済「理論」と「政策」の失敗を、率直に認めていながら、その由来には決して言及しない。「市場の失敗」はあたかも人間の自然であるかのように描かれるのである。
《情報拡散時代における情報の運命》
08年9月の「リーマンショック」から3年、当時は「リーマン・ブラザーズ」の名前すら知らなかっ人々にもそれは日常語となった。 元米連銀総裁のアラン・グリーンスパンはこの危機を「百年に一度の津波だ」と言った。しかし我々の日常では「リーマンショック」は「十日に一度のニュース」程度に収縮している。
一方で、マスメディアとソーシャルメディアの膨大な情報が世界を飛び交っている。かつてメディアの「送り手」は整序した情報を「受け手」に手渡していた。そのルールはなくなった。「ウィキリークス」の例を見れば分かる。日米外交関係だけでも何十万本の情報が集積され、特定の経路とはいえ、「タレ流され」ているのである。それを、たとえば『朝日新聞』が受け入れて膨大なエネルギーを投じて解析し報道する。そこで暴露されるのは日本外交の対米従属を語る多くの事実である。それを真面目に受け止めれば昔ならば内閣が吹っ飛んだであろう。
しかし、そういう日米関係を知っても「リーマンショック」同様に、人々は消化不良のままに日常生活の一話題に融解させてしまう。送り手側も受け手側も「歴史の文脈」という機軸を維持できない。これが21世紀の特色であろうか。私は『スティグリッツ国連報告』がそうならないようにこの記事を書いた。
(註)・邦訳 『スティグリッツ国連報告─国連総会議長諮問に対するジョセフ・E・ステイグリッツを委員長とするる国際通貨金融システム改革についての専門委員会報告』、森史朗訳、水山産業㈱出版部刊、11年1月、1400円(税込み)
・報告書の英語原文http://www.un.org/ga/econcrisissummit/docs/FinalReport-CoE.pdf
・訳者森史朗氏のブログ「和泉通信」http://izumi-tsushin.cocolog-nifty.com/blog/
初出:「リベラル21」より許可を得て転載http://lib21.blog96.fc2.com/
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔opinion0561:110724〕
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