帝国・主権国家・国民国家――世界史に探る「帝国主義」の起源 的場昭弘著『19世紀でわかる世界史講義』(日本実業出版社2022.7)を読んで
- 2022年 8月 18日
- 評論・紹介・意見
- 世界資本主義フォーラム的場昭弘矢沢国光
1. 世界資本主義フォーラムでは9月3日(土)、オンライン・フォーラムで的場昭弘さんの話を聞くことになった[ちきゅう座掲載のフォーラム案内はhttp://chikyuza.net/archives/120756]。的場さんが本書を参考文献として挙げたので、読んでみた。多くの人に読んで欲しい内容なので、紹介する。
著者の的場昭弘さんは、新MEGAの編集委員も務めたマルクス学者であり、「アソシエ」事務局長をしていた実践家でもある。肩書きは大学教員であるが、ユーゴスラヴィア、フランス、ドイツなどに「住んでいた」経歴があり、世界史を足で書いている。マルクス・エンゲルスが頼まれて「共産党宣言」を書いた義人同盟にはヴァイトリングら職人共産主義者がいたことから、当時の職人がマイスターになるための遍歴の旅程を実地踏査するという凝りようだ。政治経済だけでなく人々の生活まで探ることによってはじめて「歴史」の真実がつかめる、というのが著者の流儀だ。読者は、臨場感あふれる「世界史」を堪能できる。といって、歴史好きのための趣味の本ではない。
2. 本書は第1部「18世紀」、第2部「19世紀」からなる。
なぜ「世界史」を、古代からではなく、大航海時代の15世紀からでもなく、18世紀以降に焦点を当てて叙述するのか?フランス革命とナポレオン戦争が、それ以前の「帝国」に替わる「国民国家」を、大陸ヨーロッパに一斉に誕生させたからだ。
「帝国」は、オスマン帝国に見られるように、その支配下のさまざまな民族、多言語、あらゆる宗教を包摂していく仕組みで、そのゆるやかな支配形態の中で、さまざまなアイデンティティをもつ人々が、相対的に自由に、違和感なく暮らしていく。
それに対して、「国民国家」は、近代市民社会をつくり上げた近代国家であるが、他民族や他宗教を異端として排除する国家でもあった。近代国家は、戦争に次ぐ戦争、さらに侵略と帝国主義を生み出した。
的場は、レーニンの言う「帝国主義」と、昔の「帝国」とはまったく別のものであり、「帝国主義」は、近代国家による植民地化が帝国主義であるとする。
「世界史」のポイントは19世紀の「帝国主義」の出現にある。本書が『「19世紀」でわかる世界史』と銘打つ理由だ。
3. 本書の第一の柱は、帝国→主権国家→国民国家→帝国主義、という「国家」規定の中で「帝国主義」を位置づけることだ。
「帝国」から「(国王主権の)主権国家」が生まれ、主権が国王から国民へと移行することによって「国民国家」が生まれる。「国民国家」と結びついた資本主義がその市場を国外に求めて進出する「帝国主義」へと発展した、というのだ。
4. 本書の第二の柱は、「西欧対非西欧」だ。
古くは、11世紀に始まった「十字軍」がある。通説では、十字軍は、イスラムに占領されたキリスト教聖地の奪還のための闘いとされるが、的場は、イスラムだけでなく、ユダヤ教、キリスト教異端派も十字軍の攻撃の対象であったという。非西欧の視点によって西欧の性格――「西欧」の「非西欧」に対する一方的破壊的な姿勢――が浮かび上がる。
「非西欧」には、その後のドイツ、東欧、ロシアも含まれる、という指摘は、とくに「ロシアとは何か」を考える上で、ひじょうに重要である。オスマン侵攻による「ビザンツ」の北上とロシアのビザンツ化(正教化)、それによってロシアは西欧化による近代化を図るも、西欧化しきれない。
ナポレオン敗退後のベルサイユ体制では、ロシアはイギリスと並んで二大強国の地位を占めていたが、じつは「陸軍大国」は見かけだけで、クリミア戦争でそのもろさが露呈した。第一次大戦でロシア帝国は、政治体制も軍事体制も経済体制も、大破する。
レーニンの「十月社会主義革命」をどう評価するかが今問題になっている。本書はここまで立ち入ってはいないが、「ロシア帝国」がスターリンによって非資本主義の「帝国主義」になってしまったことが、第一次大戦に次ぐ第二次世界大戦を引き起こし、冷戦体制とソ連崩壊後のプーチン・ロシアにつながっているのではないか。著者の見解を聞きたい。
5. 本書の第三の柱は、イギリス、フランス、ドイツ、日本の「国民国家」が資本主義経済と結びついて、「帝国主義」に発展し、世界戦争に突入する過程だ。的場は、この過程を、基本的に、国民国家の資本にとって、国内市場だけでは不足となり、アジア、アフリカ、ラテン・アメリカに新たな市場を求める、というホブソン・レーニンの「帝国主義論」で理解しようとしている。
究極の不生産的産業としての軍事産業(ローザ・ルクセンブルク)が過剰資本の歯止めになっているという指摘は、今日の「臨戦体制」の恒常化をどうやって止揚するかを考える上で、カギになるかもしれない。
1917年10月革命後のロシアに対してソヴェト政権への武力侵攻を主張してロイド・ジョージ首相にたしなめられたチャーチル軍需大臣は、第二次世界大戦時のイギリス首相として、ソ連の西部戦線構築の要請を拒否し続け、独ソの共倒れを望んでいたとみられる。第二次大戦後の「冷戦体制」は、チャーチルによって第二次世界大戦時から画策されていたのだ。チャーチルのイギリスは、冷戦崩壊後も相変わらずの軍事対決至上主義で、それはジョンソン首相のウクライナ軍事支援強化政策にも表われている。これと対照的に、フランス・ドイツを中心とするEUが国家主権の放棄による非戦体制をめざすのは、歴史から学ぶ智恵であろう。
軍事力をもてば、それはかならず他国への圧力として使用される。
6. 本書の第四の柱は、帝国→主権国家→国民国家→帝国主義という過程を生みだした「思想」の力だ。国家の転換、とくに帝国→主権国家→国民国家の転換は「革命」である、と的場は言う。そして革命をもたらすものは「思想」である。
ボーダン、マキアベリ、ホッブス、そしてマルクス、エンゲルス、ゲルツェンとナロードニキ、レーニン、…。なぜか、毛沢東は出てこない。
「思想」が一部の知識人のものから人民大衆のものになるには、人々が自由に意見交換する場が必要だ。18世紀のヨーロッパ諸都市のカフェが上流階級の人々のたまり場になって啓蒙思想を生み出し、19世紀の居酒屋は労働者・職人の情報交換の場となった。
7. 最後に、的場「世界史」への注文。
的場は、「国民国家」としての資本主義が市場分割戦のために「帝国主義」になった、というホブソン・レーニン流の帝国主義論で、第一次大戦に至る資本主義の軍事強国化を説明しているが、オランダ、イギリス、ドイツ、日本の資本主義国家のそれぞれの形成過程を追っていくと、「過剰資本→市場獲得競争」は、後景に退く。
的場も、イギリスの「植民地支配」とは実際には、世界海上覇権のための主要港湾の支配であることを明らかにしているが、イギリス資本主義権力の実体をなす「海軍と資本主義経済の結合」は、名誉革命による国民国家の成立に基づく中央銀行、国家財政、公債発行、海軍建設先行の鉄工業、といった一連の資本主義経済と国民国家権力の結合によって成立した。
イギリスに対抗する後発資本主義のドイツ帝国、日本帝国は、はじめから「富国強兵」で資本主義化し、周辺国に対してくりかえし仕掛けた戦争の勝利、賠償金獲得による金本位制、軍需に傾斜した工業化によって資本主義強国となった。
フランスは、19世紀後半、なぜか「富国強兵」政策が弱く、第一次大戦では戦勝国とはいえ戦線が半ば崩壊し、第二次世界大戦では、ドイツにあっさり占領されてしまう。
軍事強国としての「帝国主義」は、19世紀末以降の諸国民国家と諸帝国の対立抗争を外的条件として、国内軍事経済体制の構築によって形成された。ホブソン・レーニン流の「帝国主義論」ではこうした「帝国主義」の実態を捉えきれないのではないか。
ウクライナ戦争は、冷戦後の世界もまた軍拡臨戦体制の世界が終わっていないことを告げ知らしめた。
「19世紀の世界史」で明らかになったことは、国民国家が戦争を引き起こす、ということだ。なぜ国民国家は戦争に訴えるのか。国民国家は、帝国とちがって「他民族や他宗教を異端として排除する」と的場は本書で指摘する。
的場は、11世紀十字軍が、西欧の非西欧に対する非寛容の軍事的破壊攻撃であったことを明らかにした。こうした「非西欧に対する非寛容的破壊性」の歴史遺伝子が17世紀イギリス資本主義国家に引き継がれ、イギリス経済の衰退後は、アメリカに引き継がれたと見ることはできないか。
そのアメリカもまた衰退しているとき、日本の中に、このときとばかり「国民国家の軍事強国化」を声高に主張する勢力が台頭している。
国民国家が戦争を引き起こす、という「19世紀世界史」の教訓は、今こそ重要だ。
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