憲法の人権を「まちの人権」へ~人権文化を育もう!
- 2022年 8月 22日
- 評論・紹介・意見
- 人権尊重条例長谷川孝
◆「人類普遍の原理」が憲法そして国家の基礎
《……国家再建の基礎を人類普遍の原理に求め、自由に表明された国民の総意によって確定されたのである。即ち、日本国民は、みづから進んで戦争を放棄し、全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し、常に基本的人権を尊重し、民主主義に基づいて……》
たまたま目にした池澤夏樹さんの新聞連載小説で、この引用を読んで驚きました。何とこれは、日本国憲法公布記念式典での昭和天皇の勅語。手許の小六法では、「朕は、……深くよろこび、……これを交付せしめる」と云う最後の四行だけ載っているものの、ほとんど目にすることはありません。(戦後法で公布の勅語付きは多分、憲法と「憲法の一部」ともされた改悪前の教育基本法だけです。)
勅語ではありますが、憲法の基本と制定時の志気が端的に述べられていると思います。それとともに今、改めて憲法の第一歩に立ち返り、初心を確かめなければいけない状況にある、と感じさせられます。国家の基礎として人類普遍の原理、自ら選んだ戦争放棄、平和への念願、基本的人権と民主主義――。
◆九条の基礎は、基本的人権=個人の尊厳
《人類普遍の原理》とは何でしょうか。自然法を素直に考えれば、すべての生きものの生命の尊さ、つまり「生命権」で、人類にとっての「基本的人権」。その主体は、一人ひとりの個人です。まず、個人の尊厳があってこそ、自由も平等も、主権や参政権も、非戦・平和も、基本的に成り立つはずです。
今も、この国はそれなりに「平和で繁栄」と思っている人たちもいるようです。でも、事実上の空母を保持し、集団的自衛権行使を容認し、敵基地攻撃論が主張されても、そして貧困、格差が広がり、差別やSNSでの中傷などが横行してもなお、《ほどほどの平和と繁栄》などと安穏でいていいのでしょうか?
また、ミャンマーで軍事政権の独裁・圧政に抵抗する人々が弾圧・虐殺され、入国管理局で外国人が命を奪われているのを脇目に、平和の祭典なるものを賑やかに催す――。憲法の精神に鈍感だ、と言っては極端でしょうか? 外国人など少数者がヘイトスピーチで生活を脅かされている街で、平和や繁栄、自由や福祉を、どう考えればいいでしょうか。
もしかすると憲法が、その理念や理論が、生活感覚から〈遠いもの〉になっていないか、と危惧されます。《憲法の人権をまちの人権へ》……人類普遍の原理を生活感覚の原理にしていくことが求められるように思います。言い換えれば、人権の知識・意識を「人権感覚」にしよう、というわけです。
そんな動きの一つとして注目したいのが、相模原市の「(仮称)人権尊重のまちづくり条例」の制定への取り組みです。
◆「人権尊重のまちづくり」を目指す取り組み
相模原市では今、人権施策審議会で条例制定に向けた議論が続き、一月二五日に第四回の審議がありました。「人権尊重のまち」とは、平和で安全な地域社会と言い換えてもいいでしょう。憲法九条の基底には「個人の尊厳を最も破壊する戦争を許さない」との意思がありますから、この条例の制定は〈九条の具体化〉と考え、大事に注目したいと願います。
条例制定に向けた審議では、ヘイトスピーチへの規制をどう盛り込むか、刑事罰まで規定するかが、もっぱら注目されています。もちろん重要な問題で、個人の尊厳(基本的人権)への侵害は原則として「犯罪」と認識すべきだと思います。個人の尊厳とは、「一人ひとりが、かけがえのない、代わることのできない〈いのち〉」の尊厳ですから。
審議会の議論では、子どもという差別と子どもの人権に関する認識が乏しいようです。人権教育についても、具体的に突っ込んだ議論が少ないようです。子どもたちがのびのびと学び育てる地域社会は、平和で安全な社会でしょう。より良き条例制定にむけ、関心と関与をお願いします。
初出:「さがみ九条の会ニュース53号」及び「相模原 市民がつくる総合雑誌アゴラ」No.101より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
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