二十世紀文学の名作に触れる(37) 『ニルスのふしぎな旅』のセルマ・ラーゲルレーヴ――自然保護の大切さを説いた先見性
- 2022年 8月 23日
- カルチャー
- 『ニルスのふしぎな旅』ラーゲルレーヴ文学横田 喬
(上)(下)二巻、一千頁を超える長尺の物語の中で、私は第十九章「大きな<鳥の湖>」の内容にとりわけ胸を衝かれた。スウェーデン中南部にある小規模の湖(トーケルン湖)の干拓をめぐる挿話だが、眼力に富む女性作家は百年以上も昔に環境破壊の危険性を見抜き、自然保護の大切さを力説している。優れた文学が具える先見性に対し、改めて敬意を抱く。
セルマ・ラーゲルレーヴは1858年にスウェーデン中部の、伝説や民話が数多く残るヴェルムランド地方の大地主の家に生まれた。幼い頃から足が不自由だったせいもあり、内向的で読書好きだった。十代の中頃から詩を書き始め、文学を一生の仕事にしたいと思い始める。
85年にストックホルムの女子高等師範学校を卒業し、スウェーデン最南部のスコーネ地方で教職に就く。傍ら、作家活動への意欲を燃やすが、私生活では悲報が重なる。最愛の父親が亡くなり、一家は破産。故郷の豪壮な生家も広い所有地も手放すほかなかった。
セルマは女学校で歴史を教える傍ら、創作に励む。女流作家の育成に力を注いでいたある男爵夫人がセルマの才能に目をとめ、力になってくれた。90年、セルマは『イェスタ=ベルリング物語』という小説を書き上げ、雑誌の懸賞小説の一等になる。男爵夫人の経済的後援を受け、一年間休職してこの作品を書き継ぎ、長編として完成させる。94年には短編集『見えないきずな』を発表。この中の<羽ぶとん>が好評で、劇として上演される。
翌95年、文学の道に専念するため教職を退き、イタリアへ旅行する。この折の見聞を基に97年、社会主義(反宗教)とキリスト教との比較を試みる『反キリストの奇跡』を著す。99年に『地主の家の物語』、1901年から02年にかけて大作『エレサレム』を発表する。エジプトやパレスチナに旅行した時の実感に基づき、優れた芸術性が窺える作品だった。2004年には『アルネ師の宝』『キリスト伝説集』を刊行する。
十九世紀後半から二十世紀初頭にかけてのスウェーデンは、産業革命の波に乗って工業化が推し進められ、世の中が大きく変わろうとしていた。同時に、それに伴う社会の矛盾も露わになり、昔ながらの伝統や習慣が失われていく時代でもあった。国内では教育への関心が高まり、国民学校(小学校)の教師たちは生徒たちが母国の地理や歴史について楽しく学べる、新しい本が必要だ、と考えた。
待望される書物の書き手として白羽の矢が立ったのが、当時四十三歳の女性作家セルマ・ラーゲルレーヴである。大人向けの長編小説の書き手として筆力は申し分なく、作家活動に専念する以前は教師の経験が十年ほどあり、目を付けられるのも当然だったと言えよう。
彼女は母国の地理・歴史・動植物に関する文献を調べ、各種の提案や意見に耳を傾け、自身の足で国内各地を取材して回った。スカンジナビア半島東側に位置し、東西の距離で最長約五百㌔、南北は千六百㌔近い。国土の総面積は日本のほぼ一・二倍に当たる約四十五万平方㌔(半分以上が森林で湖や川の多い「森と湖の国」)。人口は1950年当時で約七百万人。
セルマはイギリスのキップリングの作品から大きなヒントを得る。動物たちの擬人化だ。そして、雄の鵞鳥ガルテンが北方を目指して雁の群れと飛んでいくという設定は、子供の頃に祖母から聞いた話からアイデアを得た。さらに、スウェーデンには古い屋敷などに住むとされる小人の妖精トムテの言い伝えがある。彼女は主人公の男の子をトムテの姿に変え、鵞鳥の背中に乗せ、スウェーデン中を旅行させるアイデアを固める。空から地上を俯瞰させること、国土を鳥観図として捉えることは地理の教科書にはもってこいの手法だった。
私自身は、全55章のうちの第19章「大きな<鳥の湖>」の内容に胸を衝かれた。スウェーデンの東南部の東ヨータランド地方にトーケルン湖という、そこそこの広さの湖がある。周囲には東ヨータ平野が広がり、一帯に住む人々はこの湖が地味の肥えた平野の大部分を占領していると考え、干拓して湖の底を畑にする計画を立てる。が、計画はうまくいかず、干拓はできないままに終わり、湖は全体に浅くなって深い処でも二~三㍍しかなくなる。
この環境が生育条件にぴったりだったのが葦だ。湖の遠浅の岸辺や小さな泥の州の周りなどにみっしり生え、人間の接近を許さない。人の背よりも高く生え、幅の広い帯状に湖全体に広がり、ボートで進むのは不可能に近い。人間が近づけないことは、他の多くの生き物にとっては朗報だ。何千羽ものマガモが住み着き、白鳥やカイツブリ、オオバン、アビ、ハシビロガモなどが年々続々集まって来る。セルマはトーケルン湖に住む若い雄のマガモと農家の人々らが交流するエピソードを設定。環境保護の大切さを、しっかり説いている。
彼女は1907年にウプサラ大学から名誉博士号を受け、翌々09年にはスウェーデン人として、また女性として初めてノーベル文学賞を授与される。授賞理由は「その著作を特徴づける崇高な理想主義、生気溢れる想像力、精神性の認識を称えて」。受賞の記念講演では「家庭と国家」と題し、自身のことには触れず父親のことや故郷について語り、多くの人々に感謝の言葉を捧げた。
10年には、ノーベル賞の資金で人手に渡っていた故郷モールバッカの生家や土地を買い戻し、以後は農業や牧畜を営みながら、作品を書き続けた。11年に『リリュクローナの家』、12年『死神の御者』(結核撲滅協会の仕事に協力して書いた作品)、14年『ポルチェガリエの皇帝』と次々に刊行。第一次世界大戦の最後の年、18年には『追放者』という作品を著し、戦争反対の思いを訴えた。
その後も筆力は衰えを見せず、21年『トロルと人間』(伝説集)、幼少時の思い出を綴った『モールバッカ』三巻(22年、30年、32年)、33年の『秋』(七十五歳の折の静かなエッセイ集)と着実なペースで著述を重ねている。
40年、セルマは脳出血で倒れ、八十二歳で亡くなった。第二次大戦さなかで、ソ連軍が隣国フィンランドに侵入してきたことに心を痛め、担当の医師にこう尋ねたのが最後の言葉になった。「先生、いつ平和になるのでしょうか?」
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