弁護士懲戒請求発言をめぐる最高裁判決について(補足)
- 2011年 7月 28日
- 評論・紹介・意見
- とら猫イーチ弁護士懲戒請求発言
「橋下大阪府知事の弁護士懲戒請求発言に関わる最高裁判決について」と題して7月16日に投稿いたしましたが、この間には「ちきゅう座」への御異議の御投稿もあり、先の私の投稿では簡略に過ぎたのかと反省もしまして、私が、最高裁の判決内容に同意するまでの経過を少し補足したくて投稿をいたしました。
お断りしておきたいのは、橋下氏の発言の元になった光市の母子殺害事件の衝撃的な犯罪事実について、私自身は、余り詳しく知り得る立場にはありません。 また、氏の発言に対する私の感想は、この事件とは直接に因果関係がありません。 つまり、私は、事件の被告と弁護団の言動と、橋下氏の懲戒請求発言とを無意識に個々に評価するべく努めていたのです。
訴訟に関連した資料は、関係者のHPと裁判所のHPで簡単に閲覧が可能ですので、一部引用させていただきます。 加えて、ジャーナリストの江川紹子氏が、この事件について多くの議論を要約されご自身の論評を加えておられるので、便宜上、この記事を一部引用させていただき、私の感想を補足してみたいと思います。 ところで、なぜ、江川紹子氏か、と聞かれても困るのです。 ファンなので。
http://www.egawashoko.com/c006/000235.html
刑事弁護を考える~光市母子殺害事件を巡って 江川紹子
肝心の橋下氏のテレビ番組での言動ですが、私にとって不利なことに、江川氏は、全体として橋下氏に批判的です。 曰く「弁護士がワイドショーやバラエティ番組に出演するのは、法律的な説明や理性的な解説を加えて、話が感情だけに流れないようにすることに意味があると思っていたが、橋下氏はまったく逆。人々の怒りの感情をあおり、番組を盛り上げる役割に徹していた。弁護士というより、まるで大衆受けを狙う人気取りのタレントである。橋下氏を応援する人たちは、『彼は弁護士として、懲戒請求という制度を視聴者に教えてあげただけ』と言うが、実際の彼の発言はとてもそのようには聞こえない。」
さすがに江川氏は、橋下氏の発言に関わる問題点を鋭く捉えられています。 最高裁の判決でも、この発言について、一般国民ではなくて弁護士によるものとして「不適切」との指摘があります。 当の御本人も、「最高裁では、軽率・不適切な表現との指摘。これは真摯に受け止めます。」(橋下徹Twitter)と殊勝でした。とすれば、「懲戒請求を呼びかけた橋下氏の発言を『勇気ある発言』とまでとら猫イーチ氏は 前記のとおり、ちきゅう座『交流の広場』で礼賛されている。」と言われる中山 武敏弁護士の御指摘は的を得ておられることになります。 弁護士であるからには、一般国民以上に注意を払い品位を保った発言をしなければならない、と言うことなのでしょう。 一般国民のレベルで性急に評価した私の論は失当の誹りは免れないでしょう。
しかしながら、橋下氏の発言が、番組の娯楽性からタレント並みの発言になるのは、ある程度やむを得ない、と思われます。 実際、タレントなのですから。 彼は、大阪人として天性のタレント性を持っているとも思います。 勿論、お笑い系ですが。 また、この大阪を地元とする番組は、当然ですが、大阪弁による「えげつない」突っ込みが「売り」であり、他地域の方々からは、地元と同じ受け取られ方はしない場合もあるでしょう。 他地方の方々が、橋下氏の発言を「扇動」と受け取られても、地元では、大した感想を持っていなかったりするのです。 橋下氏は、昨年にも「道頓堀でケツ出し」の名文句を発せられ、地元大阪ではかなり受けました。 それはそれで、品が良いとは申せませんが。 河内弁で言うところの「おもろいやっちゃ」(面白い奴)であるのは確かです。 現在は、大阪市長の平松氏と激論中で、かなり「えぐい」やり取りをしていますが、幸い双方とも訴訟にまで訴えるところまで頭に来ていません。
しかしながら、品が無いからと言う理由では、不法行為の責任を認められません。 訴訟になり、第一、二審では橋下氏は負けたのですが、本当に橋下氏に損害賠償責任を負うような違法行為があったのかどうか、と私は、自問しました。 右(江川)か左(橋下)か、と迷った、というのが真相です。 結論的には、弁護士と言えども批判の対象から外す言われは無いのではないか、と考えたのです。 橋下氏は、自身が弁護士であるにも拘わらず、番組で弁護団を批判され、弁護士会への懲戒請求の制度の存在を周知されたのですが、それは、彼が自身の弁護士としての方法論に基づいたものであり、弁護団の方針等に異議を持っていたからでしょう。 そして彼に同意すれば、懲戒請求の手続がある旨を番組中で広報したのです。 彼は、この時点で承知していたでしょう。 件の弁護団からは、あらゆる法的手段を取られる、と言うことを。
資料は、橋下氏を訴えた弁護団が用意されていますので、HPを参照願います。 それと、橋下氏のHPが以前は参照出来ましたが、今は、政治家に脱皮されたからでしょうか、この関係資料は眼にすることが不可能になりました。 ただ、判決に関する感想等は、Twitterで読むことが出来ます。
http://wiki.livedoor.jp/keiben/
光市事件懲戒請求扇動問題 弁護団広報ページ
http://www.hashimoto-toru.com/
橋下徹オフィシャルウェブサイト
翻って、相手の弁護団には、批判されるところはないのでしょうか。 無ければ、橋下氏も口角泡を飛ばして「ボロクソ」に言われることも無かったのでしょうが。
まず江川氏の記事にある被告弁護団の「戦術」と「態度」です。
「私個人の感想を言えば、記者会見での説明を聞いても、私は被告人の言い分は納得できないし、弁護団の戦術にも違和感を感じている。同じ内容の主張をするにしても、もう少し被害者側に配慮した対応はできるはずだ。なのに、もっぱら権力に敵対して権利を主張することを美学とする”原理主義”的な態度が、遺族の感情を逆撫でし、それに共感する多くの人たちの反感を招いている。」
「反権力の弁護士」と言えば、私に思い浮かぶのは、布施辰治と山崎今朝弥のお二人です。 特に、私には、山崎今朝弥の名前が強烈に印象に残っています。 森長英三郎著「山崎今朝弥-ある社会主義弁護士の人間像」の影響です。この一風変わった弁護士は、ある意味で人を喰った言動で権力の矛先をかわしながら、戦前・戦後の権力の弾圧に抗して一生を全うされたのでした。 彼の真似をせよとは申しませんが、江川氏と同じく、私も、弁護団にもう少し柔軟な対応を望んだものです。 特に、この殺人事件では、残されたご遺族に対する配慮が、特段に必要だったのではないでしょうか。 また、結果的にではありますが、被告人に対する「極刑」が予想されるこの事件にあっては、余りに特異な主張は、裁判所に対しても被告人の利益には働かないのではないか、との疑念も抱きました。 しかしながら、弁護団に対して激しい感情を持つということはありませんでした。 奇異な感じがしただけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E4%BB%8A%E6%9C%9D%E5%BC%A5
山崎今朝弥 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%83%E6%96%BD%E8%BE%B0%E6%B2%BB
布施辰治 Wikipedia
江川氏は、また、「弁護団主犯説」についても触れられています。
「今回の弁護団に対する批判の一つに、死刑廃止運動にこの事件を利用している、というものがある。安田主任弁護人が死刑廃止運動のリーダー的な存在であることは知られており、『死刑を回避するために、弁護人が入れ知恵をして、被告人に荒唐無稽な主張をさせている』という”弁護団主犯説”も展開されている。
弁護団は、死刑廃止と事件の弁護を結びつけるのは間違いだと反論しているが、私もこの弁護団の成り立ちは、死刑を巡る議論と切り離すことはできない、と思う。」
こうした意見があるのは、私も承知していましたが、橋下氏の発言に対する感想とは別問題です。 また、実は、私も、刑罰としての「死刑」には、反対の立場なのです。 従いまして、この事件に限らず応報的処罰感情に駆られた人々のご意見とは違い、いかなる事件の犯人に対しても「極刑」は望まないのです。 この立場は、私が、この世の法律よりも、仏法を尊ぶのが理由です。
更に、江川氏は、弁護士会の対応についても、具体例を挙げながらその非違を記されています。
「多くの人が、弁護士は身内に甘い、と思っていることも、弁護士会は真剣に受け止めた方がいい。
中略
被疑者・被告人の利益を守らない弁護士を放置していながら、外に向かって被告・弁護人の権利を主張しても、あまり説得力がないのではないか。」
私にとっては、この批判点の比重が大きいのです。 しかし、事実を論うことは止めておきます。 橋下氏は、歯に衣着せず物を言われますが、それは、弁護士から知事にまでおなりになるだけの堅固な意思と知力をお持ちであるからです(氏のTwitter参照)。 一般国民が不用意に弁護士を批判して、訴えられ橋下氏のように最高裁判所まで付き合わねばならなくなったりすれば、金銭的にも精神的にも耐えられるのでしょうか。 その意味では、件の弁護団は、この訴訟を通じて、社会に警鐘を鳴らされた、と評価出来るでしょう。
さて、私が最終的に同意することになった最高裁判所の判決に触れない訳にはまいりません。 判決は、橋下氏の「本件呼び掛け行為は,懲戒請求そのものではなく,視聴者による懲戒請求を勧奨するものであって,前記認定事実によれば娯楽性の高いテレビのトーク番組における出演者同士のやり取りの中でされた表現行為の一環といえる。その趣旨とするところも,報道されている本件弁護活動の内容は問題であるという自己の考えや懲戒請求は広く何人にも認められるとされていること(弁護士法58条1項)を踏まえて,本件番組の視聴者においても同様に本件弁護活動が許せないと思うのであれば,懲戒請求をしてもらいたいとして,視聴者自身の判断に基づく行動を促すものである。その態様も,視聴者の主体的な判断を妨げて懲戒請求をさせ,強引に懲戒処分を勝ち取るという運動を唱導するようなものとはいえない。他方,第1審原告らは,社会の耳目を集める本件刑事事件の弁護人であって,その弁護活動が,重要性を有することからすると,社会的な注目を浴び,その当否につき国民による様々な批判を受けることはやむを得ないものといえる。そして,第1審原告らについてそれぞれ600件を超える多数の懲戒請求がされたについては,多くの視聴者等が第1審被告の発言に共感したことや,第1審被告の関与なくしてインターネット上のウェブサイトに掲載された本件書式を使用して容易に懲戒請求をすることができたことが大きく寄与しているとみることができる。のみならず,本件懲戒請求は,本件書式にあらかじめ記載されたほぼ同一の事実を懲戒事由とするもので,広島弁護士会綱紀委員会による事案の調査も一括して行われたというのであって,第1審原告らも,これに一括して反論をすることが可能であったことや,本件懲戒請求については,同弁護士会懲戒委員会における事案の審査は行われなかったことからすると,本件懲戒請求がされたことにより,第1審原告らに反論準備等のために一定の負担が生じたことは否定することができないとしても,その弁護士業務に多大な支障が生じたとまでいうことはできない。」
そして最終的には、「これまで説示したところによれば,第1審被告の本件呼び掛け行為は,弁護士としての品位を失うべき非行に当たるとして,弁護士会における自律的処理の対象として検討されるのは格別,その態様,発言の趣旨,第1審原告らの弁護人としての社会的立場,本件呼び掛け行為により負うこととなった第1審原告らの負担の程度等を総合考慮すると,本件呼び掛け行為により第1審原告らの被った精神的苦痛が社会通念上受忍すべき限度を超えるとまではいい難く,これを不法行為法上違法なものであるということはできない。」としたのです。
なお、判決には、三名の裁判官による「補足意見」があります。 竹内行夫裁判長による「補足意見」では、第一に「懲戒請求権が何人にも認められていることの意義」を、第二に「本件懲戒請求者の主体的な判断の意義」を述べられ、最後に「国家機関の関与を排除した自治的な制度としての弁護士懲戒制度が,公正かつ適正に運用されることを担保して国民からの信頼性を維持して行くためには,懲戒請求を広く一般の『何人』にも認めた弁護士法58条1項の趣旨が改めて銘記されることが必要であると考える。」と強調されています。
二つ目の補足意見では、須藤正彦裁判官が、利益衡量を綿密にされています。利益衡量とは、原告と被告の法益(法によりまもられた利益)を比較検討することです。 結論的には、「第1審被告の発言の趣旨,態様は不適切なものであることは免れ難いが,反面において,第1審原告らが侵害された人格的利益は必ずしも重大なものとはいえないと認められる。そうすると,第1審被告の本件発言中の呼び掛け部分が表現行為の一環としての側面を有していること,表現の自由が憲法的価値であり,民主主義社会の基盤をなすことなども考慮すれば,やや微妙な面があることは否定し難いものの,第1審原告らが害された人格的利益は受忍限度を超えたとまでいうのは困難であるというべきである。」とされています。
三つめの補足意見は、千葉勝美裁判官によるものですが、「そもそも,刑事事件の弁護活動といえども,あらゆる批判から自由であるべき領域ではなく(今日の社会において,およそ批判を許さない聖域というものは考え難いところである。),公の批判にさらされるべきものである。その際の批判等に不適切なもの,的外れなものがあったとしても,それが違法なものとして名誉毀損等に当たる場合であれば格別,そこまでのものでない限り,その当否は,本来社会一般の評価に委ねるべきであり,その都度司法が乗り出して,不法行為の成否を探り,損害賠償を命ずるか否かをチェックする等の対応をすべきではない。」とされ、「第1審被告の本件呼び掛け行為が契機となって,多数の懲戒請求がされた結果,本件弁護団は,その対応に負われ,精神的,肉体的に予期せぬ負担を負い,悔しい思いをしたことは間違いなく,被った精神的な負担はそれなりのものではあったが,法廷意見が述べるとおり,ある程度の定型的な対応で済み弁護士業務に多大な支障が生じたとまではいえず,上記のとおり,弁護活動は本来批判にさらされることは避けられず,また,弁護士としての地位やその公益的な役割等を考えると,社会的に受忍限度を超えているとまでは言い難いところである。」と補足されています。
こうして、私にとっては、理に叶った判決として、第一、二審の妙に不具合を感じる部分の無い全体として落ち着いた論理と感じることとなったのです。
過去の判決に観られるような一般的ではない漢語を排除し、出来るだけ平明に書かれた判決文ですので、ぜひ皆さまも御一読されるように御願いします。 裁判所も一般市民が気楽に利用出来るように様々な努力をされていますが、「法曹三者」で無ければ判読不可能な業界用語を駆使された文書類が不用な時代が早く訪れて欲しいものです。
http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?hanreiid=81507&hanreiKbn=02
裁判所 最高裁判例
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〔opinion0568 :110728〕
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