反王権の神を祀る湯島天神の賑わい
- 2022年 10月 28日
- 評論・紹介・意見
- 天皇制澤藤統一郎
(2022年10月27日)
天気晴朗、風は穏やかな散歩日和である。この時期の散歩では、例年湯島天神に足を運んで菊まつりの準備の様子を眺める。境内には、幾旒もの「関東第一菊まつり」の幟。ほう、「関東第一」である。明治神宮より、新宿御苑よりこっちが上だという、心意気。天皇家何するものぞ、という天神のプライドであろうか。
菊まつりは11月1日から。今、菊が運び込まれて、丁寧に飾り付けの作業が進行している。コロナ小康だからであろうか。菊に興味があろうとも思われぬ修学旅行と思しき子どもたちで賑わっている。セーラー服の女子中学生の声が耳にはいる。
「ねえ、こんなところでの結婚式もいいんじゃない」
「えー。わたし絶対にイヤだぁ」
神式結婚式派も拒絶派も、学業成就を祈願し、100円の恋みくじを引いていた。子どもたちの多くは、学業成就・合格祈願グッズを買っている。合格お守りやら、お札やら、絵馬やら、鉛筆やら。大人向きには、合格祈願の祈祷である。祈祷料は5千円・1万円・2万円とランクがあるという。5千円に較べて1万円の祈祷は倍の効果があり、2万円出せばさらに倍の合格可能性が見込まれるに違いない。天神の宗教活動であるような、経済活動であるような、そしてまた悪徳商法でもあるような。
この神社で祀られている「天神」は、王権への反逆神である。菅原道真の怨霊は、その怒りで天皇を殺している。民衆は、天皇を呪い殺した天神を崇拝した。これは、興味深い。
右大臣菅原道真は藤原時平らの陰謀によって、謀反の疑いありとされてその地位を追われ大宰府へ流される。左遷された道真は、失意と憤怒のうちにこの地で没する。彼の死後、その怨霊が、陰謀の加担者を次々に襲い殺していくが、興味深いのは最高責任者である天皇(醍醐)を免責しないことである。
道真の死後、疫病がはやり、日照りが続き、醍醐天皇の皇子が相次いで病死し、藤原菅根、藤原時平、右大臣源光など陰謀の首謀者が死ぬが、怨霊の憤りは鎮まらない。ついに、清涼殿への落雷で多くの死傷者を出すという大事件が起こる。国宝・「北野天満宮縁起」にはこう書かれている。
延長八年六月廿六日に、清涼殿の坤のはしらの上に霹靂の火事あり。(略)これ則、天満天神の十六万八千の眷属の中、第三使者火雷火気毒王のしわざなり。其の日、毒気はじめて延喜聖主の御身のうちに入り…。
延長8(930)年6月26日、清涼殿に雷が落ちて火事となった。何人かの近習が火焔に取り巻かれ悶えながら息絶えた。これは、道真の怨霊である「天満天神」の多くの手下の一人である「火雷火気毒王」の仕業である。この日、毒王の毒気がはじめて醍醐天皇の体内に入り、… 醍醐天皇はこの毒気がもとで9月29日に亡くなっている。
道真の祟りを恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行い、993(正暦4)年には贈正一位左大臣、さらには太政大臣を追贈している。
道真だけではない。讒訴で自死を余儀なくされた早良親王(死後「崇道天皇」を追号)も、自らを「新皇」と称した平将門も、そして配流地讃岐で憤死したとされる崇徳上皇も、怒りのパワー満載の怨霊となった。怨霊の怨みの矛先は、遠慮なく天皇にも向けられたのだ。だからこそ、天皇はこれらの怨霊を手厚く祀らなければならなかった。
靖国に祀られている護国の神々も、実は怒りに満ちた怨霊なのだ。臣民を戦場に駆りだし、命を投げ出すよう命じておきながら、自らはぬくぬくと生き延びた天皇に対する、戦没者の憤りは未来永劫鎮まりようもない。天皇の側としては、怒れる戦没者の魂を神と祀る以外にはないのだ。醍醐天皇の後裔が、道真の怨霊に対する恐怖から、これを神として祀ったように。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.10.27より許可を得て転載
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