「独裁者」へと走る三代目 ― 中国共産党大会を考える 8
- 2022年 10月 31日
- 時代をみる
- 中国共産党田畑光永習近平
中国共産党の第20回大会が終わって、はや 1週間が過ぎた。だいぶ前から、習近平の総書記3選ははたして成功するか?と議論を呼んでいたわりには、胡錦涛前総書記の「いやいや連れ出され事件」(10月24日の本欄6に概要)という奇妙な寸劇があっただけで、大会はべつに波乱もなく、習近平の「総書記3選、習一派の党中央乗っ取り」という目論見を実現して幕となった。
政権を自分の思い通りに動かすだけの力を持ち、かつ現実に動かす政治指導者を「独裁者」というとすれば、現代中國ではこれまで毛沢東、鄧小平と2人の独裁者がいた。死ぬまで共産党主席のままでいた毛沢東と自らの思いのままに看板の担ぎ手を変えた鄧小平と、統治の手法では2人は異なったが、実際に国を自分の思う方向に動かしたという意味で2人は独裁者であった。そして今度の共産党大会の結果は3人目の独裁者が生まれたというか、あるいは控えめに言って「生まれそうだ」というところであろうか。
そして、それが大方の予想通りの結果ということであれば、いまさら解説を加えるまでもないのだが、今度の党大会の結果にため息をついている(と私が想像する)大方の中国人に代って、一言、悪態をつかせてもらう。
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習近平という人は奇妙な人だと思う(「奇妙な」というのは、ともかく他国の元首だから、ずいぶん点数をおまけしての形容詞である)。なぜなら、総書記3選を果たした、ということは、長く権力の座にいたいのだろうが、それにしては今度のような人事はまるで目的に合致しないはずだからである。
中國共産党という政党は9600万人もの党員をかかえる大集団である。そしてその権力が集約されるのはまず205人の中央委員(今大会での選出数)である。権力が集約されるというのは、党の大方針、国の大方針を決め、その執行にあたる中央政治局員(24人)を選ぶのが中央委員会だからである。そしてその中央政治局員の中から最高首脳部である7人の中央政治局常務委員会のメンバーが互選される。
この段階の人の選び方、そして実際の選ばれ方がどうであったかは明らかにされない。結果が知らされるだけである。ということは、まあ、簡単にいえば、談合だろう。だとすれば、擁する勢力の大きいものが勝利する。
今回の24人の中央政治局員のうち、少なくとも3分の2くらいは、私程度のウオッチャーでも習本人とのつながりが分かる。さらに最高位の常務委員となれば、今回は全員が習近平と密接なつながりを持っている。
奇妙な人というのは、権力の座に長く居座ろうと望むなら、普通はこういう人事はしないからである。ポストには限りがあるわけだから、それを分ける場合、ある程度、身内に分けるのは義理もあろうし、人情もあろうから仕方がないが、だからといって、ポストを全部、身内で独占したなら、反対勢力を大きくし、結束させて、権力維持には不利だからである。
ここで余談を1つ・・・
胡錦涛総書記(2002~2012)時代に首相を務めた温家宝(80)という人をご記憶だろうか。この人が昨年4月、『澳門(マカオ)導報』という地方紙に回想録を書いた。なぜ澳門の新聞に?という疑問はさておいて、その回想録は素直ないい文章で、私はこの人を見直したものであったのだが、中國国内ではほかの新聞への転載が禁止された(と伝えられた)。
どこが当局の禁忌に触れたのだろうかと不思議に思って、読み直したところ、こういうくだりがあった。温氏が首相になった時、ご母堂が氏に手紙を書いて、「自分の地位を自分だけのものと思わないように。周りの人たちの言うことをよく聞きなさい」と、次の一句が添えてあったそうだ。「孤樹不成林」(1本だけの木は林になれない)。
この文章が転載禁止となったとすれば、この一句が習近平の気に障ったか、あるいはその周辺の輩の忖度網にひっかかったのではないか、というのが、私の推理である。もっとも習近平は周りを自分好みの木で守っているのだが。
本題に戻る・・・
習近平が周りを自分の子分だけで固めたことについては、彼自身が権力を誇示し、独裁政治をやりたいためではなくて、じつは対抗勢力、例えば李克強首相ら共産主義青年団系統から協力を拒否されたのではないかという、もう1つの見方もありうる。
たとえば、次期首相との下馬評が高かった共青団系の胡春華前政治局員・副首相(59)が、今回、常務委員に昇格どころか政治局員からも外されて、1人の中央委員に格下げされたのは、派閥人事としてはいくらなんでも露骨すぎるので、むしろ胡錦涛前総書記(79)、李克強首相(67)、汪洋政協会議主席(67)ら共青団系統が習近平政権の前途に見切りをつけて、協力を拒んだのではないか、という見方である。李克強、汪洋両氏がまだ役職離脱内規の68歳には達していないのに、今回、2人ともあっさりポストを捨てたのは、確かに淡々としすぎているし、冒頭に触れた胡錦涛氏の「事件」もそれとなんらかの関係があったのではないか、という推測は成り立つ。
私としてはそうあって欲しいという気持もあるが、中国の政治はそんなに甘いものではなかろうとも思う。第一、中央委員選挙にしろ、さらに言えば、その前段の約2300人に上る大会出席代表にしても、公明正大な選挙ではなく、中央主導のいわば「行政指導」のような話し合い(中国語ではこれを「酒を醸す」という意味の「酝酿」という)で決まる現状では、一時、身を引いて他日を期すというやり方は通用しないのではないか、と。
むしろ、第3期の習近平政権の顔ぶれではいずれ遠からず政策的に破綻する。その火の粉を被らないためには、たとえ無役になっても距離をおいたほうがいいという策なら理解できなくもない。
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だとすれば、第3期の習近平政権は政策的にはどういうタイプの政権になるだろうか。勿論、各人の政策や主張が明らかにされているわけではない以上、確たることは言えないが、少なくとも顔ぶれと序列を見る限り、他国の野次馬の目にも、はなはだ心配である。
新指導部の役割分担を推測すると、党総書記と国家主席は勿論、習近平(69)の留任だが(2018年の全人代で、習はみずから「2期まで」と憲法に明記された国家主席の任期制限を撤廃した)、首相には序列2位の李強(63)が就任すると見て間違いない。この人物は習近平の浙江省時代の秘書役だが、現職の上海のトップ(党委書記)としては、「ゼロ・コロナ」という習近平の執念ともいうべき政策の忠実な執行役となって、厳格、無情の都市封鎖を強行し、多くの市民の怨嗟の的となり、それが上海経済にまで悪影響を及ぼしたと言われている。
3位の趙楽際(65)と4位の王沪寧(67)は、慣例ではそれぞれ代議機関である全人代と国政諮問機関である政協会議の委員長と主席につく。以下に続く蔡奇(66)、丁薛祥(60)、李希(66)のうちでは、李奇はすでに汚職取り締まりの規律検査委員会書記と決まっている。すると、政策マンたる筆頭副首相は蔡奇か丁薛祥だが、経歴からみて、現在、北京市のトップを務めている蔡奇となる可能性が高い。
この人物は問題である。5年前の2017年の話だが、北京の小・中学校で冬になっても暖房が入らず、子供たちが校庭を走り回って寒さをしのいでいるというニュースがあったことをご記憶だろうか。その張本人がこの蔡奇である。北京の空が煤煙に汚れていては習近平に恥をかかせると、学校で石炭ストーブを焚くのをやめさせ、プロパン・ガスに変えたのだが、その変更が間に合わず、子供が走り回る事態となったのだった。
そればかりではない。もっと大きい罪がある。北京市の中心部から南へ20キロほどの大興区新建村という出稼ぎ労働者の多い一角があったが、同じ年の12月、その地区の不法建築のアパートから出火して、19人の死者が出た。
怒った蔡奇は、みっともない出稼ぎ村をつぶしてやるとばかりに数キロ四方にも及ぶ広い面積から住民を待ったなしで立ち退かせて、強制打ちこわしを実行した。これも無謀な行政として大きなニュースとなった。いずれも自分を北京のトップに引き上げてくれた習近平への恩返しの点数稼ぎであることは、誰の目にも明らかであった。
私は打ちこわしの直後と1年後の2回、現地を見たが、計画的な取り壊しでないために、大小の瓦礫と立ち退いた人が持ち切れなかったと思われる家財道具が堆積していた光景は、1年経っても緑色の網で覆われただけであったのには驚いた。事後の計画もなにもなしに、とりあえず汚いものを壊して、人々を追い立てた蛮行であった。そういう人物である。
次の習近平政権の政策マンはおそらくこの李強と蔡奇の2人である。習近平の顔色を羅針盤として仕事をするところが本領である。とくにうわべの印象をよくすることに力を入れる点において。
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さて、それで新政権の前途はどうか。直面する課題の最大のものは、不動産業の危機を中心とする経済の立て直しであるが、これはあらゆる角度からみて容易な解決策は見当たらない。多面的かつ大量の対外貿易がこれまで通り命綱であろうが、それだけには頼れないと昨年、「内外双循環」なる方針を打ち出したわけであるから、血路を開くのは容易ではあるまい。前途は多難である。
そこで心配なのが台湾海峡である。私は現在の状況では、台湾海峡が火を噴く可能性はほとんどないと考えている。なぜなら現在の両岸関係は双方の住民の往来にも商取引その他の交流にもなんの支障もない。両岸の住民どうしが争う理由はなにもないからである。争いといえば、大陸側の政府が自分の「威信と面子」をかけて台湾側の政府をつぶそうとしているだけである。
しかし、それだけで同胞同士に殺し合いをさせるわけにはいかない。だからこれまで「危機」は何度かあっても、それが実際に火を噴くことはなかった。ところが、このまま行くと、習近平政権はこれまでのどの政権よりも国民の信の乏しい政権になりそうである。そこで自ら「民族分裂の危機」をあおり、威信回復のために武力を持ち出す危険がある。
こういう時、恐ろしいのが独裁政権である。命をかけてでも独裁者に無謀をやめさせる人間がいるかどうか、独裁者はそういう人間が概して嫌いである。自分の顔色を見て行動する人間を傍におきたがる。3期目の習近平政権の顔ぶれはまさにそれである。
はからずも救いは現在のプーチンである。彼の失敗から習近平が学ぶべきを学べば、無謀なことは避けるであろうが、権力を失わないためには、余人には分からない判断を独裁者はするそうだから、前途は不明である。長い歴史を持つ中国人はそんなことは百も承知のはずだから、いざとなった時の彼らの知恵に期待して見ているほかはない。(221029)
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