SJJA& WSJPO【西サハラ最新情報】503 西サハラ難民を生んだモロッコ<緑の行進>
- 2022年 11月 13日
- 評論・紹介・意見
- サハラモロッコ平田伊都子西サハラ難民
今年の11月6日も、モロッコ国王は<緑の行進>を祝って、イケイケ演説をしました。
11月7日、友人が「昨日(11月6日)のNHKニュース7で、西サハラをモロッコと同色に塗った地図を使っていた」と、報せてくれました。モロッコは西サハラをモロッコ色で塗りつぶそうと躍起になっています。
11月8日、西サハラ長距離ランナーのサラーが、「モロッコ占領地西サハラ、はますます酷くなっている」と、訴えてきました。
① <緑の行進>とは?:
<緑の行進>とは、1975年11月6日、モロッコ軍に守られたモロッコ国王官製デモ隊の西サハラ越境侵攻事件を指す。当時のハサンⅡ世モロッコ国王はセネガル川までモロッコという大モロッコ王国構想を掲げ、まずは足下にあるスペイン領西サハラの強奪を企んだ。当時の西サハラ宗主国スペインは、独裁者フランコ将軍の危篤で、内戦寸前にあった。領土略奪の好機と見たハサンⅡ世モロッコ国王は、約35万人(モロッコ王室発表)の失業者や罪人を<あごつき>で動員し、モロッコの最南端国境からスペイン領西サハラに不法侵入させた。「王様万歳! 西サハラはモロッコのもの!!」と、叫び、砂まみれになりながら歩く群衆に、世界のメデイアは興奮した。
デモ隊の実数は5万人弱と言われ、フェンスも壁もない国境を越えた。が、1000メートルも行かない所でUターンし、モロッコに帰ってきたのだ。
デモ隊の砂塵が沈んだ後には、モロッコ軍がいた。
ムハンマド六世の実父故ハサンⅡ世は、力ずくで現状を変えようと、次の行動に移った。
故ハサンⅡ世はもう一方の隣国モーリタニアを誘って、フランコが後継者と指名したカルロス・スペイン皇太子に、西サハラ領土の分割を強要した。まだ、西サハラに原油やウランなどの地下資源が見つかっていない頃の話で、西サハラ・ゲリラに手を焼いていたカルロス皇太子は、あまり旨味のない西サハラを手放すことにした。そして1975年11月14日、西サハラ住民にも国連にも内緒で、スペインはマドリッド三国秘密合意を結んだ。植民地西サハラの北部をモロッコに南部をモーリタニアに分譲し、スペインはリン鉱石鉱山権35%と沖合漁業権を手に入れ、スペイン植民地軍を退去させた。
<緑の行進>の<緑>は、イスラム教の象徴色で<イケイケ>信号だが、西サハラ住民にとって、恐怖の赤信号となった。。
スペイン植民地軍が撤退した途端、北からモロッコ正規軍に南からモーリタニア正規軍に、爆撃と<緑の旗>で故郷を追われた西サハラ住民は冬の砂漠を北へ1,000キロ以上、ゾンビとなって歩き続けた。そして、アルジェリア砂漠での過酷な難民生活を、47年たった今も、続けなければならなくなったのだ。
② ムハンマド六世の<緑の行進>祝賀演説:
西サハラ人民受難の47年は、モロッコ国王にとって祝賀の47年になるようだ。モロッコ王室は、「サハラ(モロッコは西サハラをモロッコサハラ、又はサハラと呼ぶ)のモロッコ化を確立させた47年を祝って」と前置きして、ムハンマド六世モロッコ国王陛下の長~い演説を公表した。その要訳を以下に紹介する。
「輝かしい<緑の行進>で解放された我らがサハラでは、ますますモロッコ化が広がっている。その恩恵に預っているサハラ地方の住人は、<緑の行進>をさらに前進させていくことを、この良き47周年記念日に誓った、、
2015年11月にラユーンで2016年2月にダハラで、契約を結んだ南部地方(西サハラ)の開発には。77 0,000,000,000デイルハム(約10兆円)をつぎ込んだ。太陽光と風力エネルギーを始め80%の建設は完成し、その7年計画はダハラハイウェイで完遂をみる。
歴史的に、モロッコサハラはモロッコとアフリカを結ぶ要になってきた、、その延長で、友人のムハンマド・ブハリ・ナイジェリア大統領と2016年12月に契約したNMGP(ナイジェリア・モロッコ・ガスパイプライン)計画が稼働し始めた、、この計画は、単に二か国だけでなく、西アフリカ諸国とのパートナーシップにとっても重要だ、、
団結を守り発展を遂げモロッコとアフリカの繋がりを強化させ、<緑の行進>精神を持続させていかなければならない」
つまり、モロッコ国王は、唾をつけた西サハラを、国連決議や国連憲章に違反しようとも、国際社会から批判されようとも、西サハラ人民自身が逆らっても、手放す気も再検討する気も、毛頭ないのだ。
③ モロッコの<緑の行進>外交とは脅し(威嚇)外交?:
<緑の行進>では、公称37万人の威嚇デモで、スペインに領土の明け渡しを迫った。
2021年にはスペイン領セウタにアフリカの不法移民を送り込み、西サハラのモロッコ地方自治州を認めろと、スペインに迫った。結局、スペインはモロッコの言うことを聞いた。
脅せば外国は言う事を聞くと、モロッコ国王陛下は、思っているようだ。西サハラ無任所大使のベイサットが来日した時、歓迎晩餐会で、「父親の故ハサンⅡ世は交渉相手を車に同乗させ、ポケットに忍ばせたナイフで突っつきながら話を進めた」と、明かしていた。
父を仰ぐムハンマド六世も、脅し外交を踏襲し、西サハラの呼称や地図からの抹殺をしてきた。モロッコが参加する国際試合や国際会議では、必ず使用されている地図をチェックする。11月1日と2日のAAS会議でも、西サハラをモロッコの赤で塗りつぶしていないとごねて、アラブ連盟議長の署名入りで謝罪文書を出させた。
日本が共催するチュニジアTICADアフリカ国際開発会議でも、西サハラの参加を理由に、モロッコは出席しなかった。会議後、モロッコは林外務大臣に、「日本はSADR(西サハラ・アラブ民主共和国)を国家承認していない」という声明を出させ、MAPモロッコ国営通信が。林外務大臣の写真をつけて公表した。
モロッコは<緑の行進>に因んだフォーラムを港町タンジェで開催し、その最終日に、<タンジェ・アピール>と銘打った声明を出した。MAPモロッコ国営通信は、「タンジェ声明は、歴史的に地理的に法的に見てもSADRなる国の存在は容認できず、アフリカ大陸にとって、AUアフリカ連合にとって、非常に害毒な存在だと、断定している。声明には、AU加盟国の有識者や元外交官が署名した」と、11月8日に報道した。今やモロッコは、AUアフリカ連合から、西サハラを追放しようと暗躍している。
モロッコ占領地西サハラの首都ラユーンで、モロッコ軍用車が威嚇走行
する中を自転車で通学する少年(占領地西サハラ通信社 発)
力ずくでも、モロッコは西サハラを手に入れようとしています。 「力ずくで現状を変えようとする一方的な試みは、、世界のどのコーナーでも起こってはならない」と、石兼公博・日本国連大使が第11回国連緊急特別総会で述べました。西サハラはそのコーナーです。
母に会うためモロッコ占領地西サハラに帰ったサラーは、「西サハラ人居留区に押し込められた西サハラ非占領民は、差別や弾圧だけでなく、占領当局が強制徴収する高い公共料金にあえいでいる。被占領民に未来はない」と、嘆いていました。
モロッコ国王にサラーの嘆きを届けたいですね、、
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「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。
著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、
定価:本体1,800円+税、
発行人:松田健二、
発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―3―10、電話:03-3814-3861
同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。
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Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。
「人民投票」日本語版 URL :https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL: https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。
「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL: https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2022年11月13日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12538:221113〕
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