二十世紀世界文学の名作に触れる(48) ジッドの『狭き門』――大胆不敵な愛と心理洞察
- 2022年 12月 1日
- カルチャー
- 『狭き門』アンドレ・ジッド文学横田 喬
フランスの作家アンドレ・ジッド(1869~1951)は1947年、ノーベル文学賞を受けた。授賞理由は「人間の問題や状況を、真の大胆不敵な愛と鋭い心理洞察力で表現した、包括的で芸術的に重要な著作に対して」。その代表的な著作『狭き門』(新潮文庫、山内義雄:訳)の内容の概要を、私なりに紹介したい。
父を失った時、未だ十二にもなっていない私は ひよわな質だった。叔父ビュコランの一家は大西洋岸隋一の都市ル・アーヴルに暮らし、従姉妹二人と従弟一人がいた。二つ年上の従姉アリサは美しかった。愁いを含んだ、おぼつかなげな、問いかけるような表情に、なぜ私の心が捉えられ、一生まで決定されるに至ったか。それをこれから話すことにしよう。
二年後、再会したアリサは自室で独りベッドの枕もとで跪いていた。彼女の顔には涙があふれていた。この瞬間が、私の一生を決定したのだ。私は今もなお、苦しく思わずにはその時のことを思い出せない。私は彼女をかばうように、ただ抱きしめてやるしかなかった。
私たちがパリに帰着するや否や、一通の電報が母をル・アーヴルへ呼び戻した。叔母が家出をしたのだった。そういえば、先日訪ねた折、叔母の後ろに中尉の軍服姿の若い男が佇み、親し気な様子だった。今考えれば、実に言語道断なことのように思われる。そう言えば、あの時アリサは言った。「誰にも言わないでね。お父さまは何もご存じないんだから・・・」
十四歳だった私のアリサに対する愛は、私をして遮二無二その方へ推し進めることになった。それは全く突然な内面の啓示だった。そのお陰で私自身というものがはっきり分ってきた。即ち、私には、自分が内省的で、内気であり、希望に満ち、克つことと言えば只自分の内心の勝利しか考えない人間であることが分ってきた。その頃の私は恋で一杯だった。
時が過ぎ、私は高等師範の一年生になっていた。アリサとの結婚は兵役を済ませてから、という心づもりだった。ル・アーヴルの家を訪問し、アリサに婚約したい旨を婉曲に申し出ると、呟くように彼女は言った。「いいえ、ジェローム。婚約はなしにして。後生だから・・・」
少し間をおいて、「まだ早いの」。そして、私が「なぜ?」と尋ねると、「なぜ、このままではいけないの?」。彼女は私を押して自分から離れさせた。それが彼女との別れだった。
翌日、私は次のような手紙を受け取った。
――私は、貴方にとって年上過ぎはしないか、と思いますの。私は貴方に、どうかどうかもう少し世の中がお分かりになるまで、待って頂きたい、と思いますの。こんなことを言うのも、みんな貴方のためを思ってなんだということを分かって頂戴。そして私には、貴方を愛さないようになぞ決して決してなれっこありませんの。
土曜の晩、私はル・アーヴルを訪ねた。アリサは長いこと姿を現さず、やがて窓の傍の片隅で刺繡に夢中になっている様子を示した。しばらくして、果樹園の奥で二人きりになれた。
彼女の傍にいると、自分がいかにも幸福に思われ、何一つ望む気持ちになれなかった。
「もし、その方がいいと言うんだったら」。私は他のあらゆる希望を諦め、現在の全き幸福に身を任せながら、重々しい調子で言った。「君のためなら一生待ってもいい、と思うほど僕は君が好きなんだ。だが、君が僕を愛してくれないようになり、僕の気持ちを疑ったりするようになるなんて、アリサ、そんなことは考えただけでたまらない」
「あら、ジェローム、私、何で、疑ったりできるかしら?」
こう言った彼女の声は、優しいとともに寂しげだった。私は高等師範の学生生活のあれこれや、私の計画やらを話し始めた。アリサは耳を傾け、いろいろ尋ねかけてきた。私は今まで、これほど心のこもった彼女の愛情、これほど迫った彼女の愛を感じたことはなかった。
「さあ!」いざ出発という時、アリサは私にキスをしながら言った。半分は冗談に、だがまるで姉とでもいったような態度で、「さあ、これからは今までのようなお坊ちゃんじゃなくなるって、約束して頂戴」。問題は何もなく、この日の折ほど幸福だったことはなかった。
私の信頼は片時もゆるむことなく、私は日曜の度ごとに長々と手紙を書いた。その他の日は友人たちとも付き会わず、アリサのことを思いながら過ごしていた。彼女の手紙は、相変わらず私を何か不安な気持ちにさせていた。私に付いてこようとする彼女の熱心さの内には、素直な心の動きというより、むしろ私の勉強を勇気づけようという気持ちが見出されるように思った。が、私は自分の書く手紙の中に、そうした不安を見せないように努めた。
時が過ぎ、私は成人になり、軍隊生活を経験する。いろいろな顛末の末、アリサの妹ジュリエットの方が先に結婚し、幸せな境遇に落ち着く。アリサから、こんな内容の手紙が届く。
「懐かしいジェローム、夜です。私は貴方に手紙を書くために起きています。二人がまだ小さかった頃、何かとても綺麗なものを見ると、すぐ、≪神様、こうしたものをお造り下すったことを感謝致します≫と思いました。そして、突然、私の傍にいて頂きたい、貴方はここにおいでなのだ、と。貴方にも、きっとこの気持ちが通じるに違いない、と思いました。」
私がどれほど有頂天になって、どれほど愛の嗚咽にむせびながら、これを読んだか。想像して頂けると思う。何通かの手紙が続いた。彼女は確かに、今年私が会いに行かないことを望んでいるのだ。そのくせ私の居ないことを残り惜しく思い、今や私を望んでいるのだ。
私たちは久しぶりに再会した。が、手違いが重なり、気まずいものに終わった。私がパリに帰ってまもなく、アリサはこんな手紙を寄こした。「何という悲しい再会だったでしょう。何という気まずい思い、はぐらかされた気持ち、こわばり、沈黙だったでしょう。あなたの愛が、何よりも先ず頭脳の愛、愛と信との美しい知的な執着に過ぎないもののようで・・・」。
その後三日間というもの、私は苦悶に終始した。私はあまりにむきになった論争や、あまりに激しい抗弁で、二人の傷口を癒し難いものにするのを恐れた。私が遂に意を決して彼女に送った手紙、涙に洗われた手紙の写しを見る時、今もなお涙なしではいられない。
――アリサ! 僕を憐れんでくれ。そして、僕たち二人を。君の手紙は実に辛い。理屈を言おうとすると、言葉がたちまち凍ってしまう。君が好きであればあるだけ、僕にはうまいことが言えず、うまく話ができなくなるのだ。
まもなく身内に不幸が起き、私たちは再会した。ずっと若くなったアリサは、今までにないほど美しかった。「僕たちもそろそろ」と私が言いかけると、彼女は言った。「私たちは、幸福になるために生まれてきたのではないんですわ」。私が「では、魂は、何を望むというんだろう?」と叫んだら、彼女は小声でつぶやいた。「聖らかさ・・・」。あらゆる私の幸福は、いま翼を広げ、私を逃れて、空の方へ飛び去ろうとしていた。
私は二人の文通もこれで終わりだ、この上どれほど巧みに説いてみても、これ以上どうすることもできないだろうということを了解した。私はアリサからもらった手紙に返事を出さなかった。この沈黙こそ、確かに私に課せられた最後の試みに違いなかった。僕は君の気持の分からなくなったことを思って絶望し、泣いていたのだった。君の激しい恋心を、それによる沈黙の謀計や残酷な技巧などで推しはかることのできる今、何を嘆いたらいいのか。
三年後、私はまた、アリサに会うことになった。彼女は驚くほど変わっていた。その痩せ方や色艶の悪さに、私の胸は恐ろしいほど締め付けられた。私は夢中になってキスし、「僕が君以外、誰も愛せないことを知ってるくせに」と呟くと、アリサは言った。「私たち、お互いを憐れまなければ! どうか、二人の恋を傷つけないで」。木戸が閉められ、閂が引かれる音を耳にした時、私は何とも言えない絶望感に襲われ、戸にもたれて倒れてしまった。
――懐かしいジェローム。私はいつも貴方を限りない懐かしさを以て愛しているのです。でも、私からはそれを決して言うことはできますまい。貴方とお別れすることが解放であり、苦い満足であるので。(5月3日)/今の私には、この世の生活に未練がない。今の私は、神様だけで満足すべきで、神様の愛は無上のものになるからに違いないから。(10月10日)/私は闇の中におり、黎明を待っております。《主よ、我が至りえぬこの磐の上に、願わくは我を導き給え》(10月13日)/私はこのまま、再び自分の独りであることを思い出さないうちに、すぐさま世を去りたいと思っている。(10月16日):アリサの日記(抜粋)
アリサの死の報せに接し、ジュリエットは尋ねた。「いつまでもアリサの思い出に操を立てるお心算なのね」。私は暫く答えなかった。やがて呟いた。「僕にはそうするより他に仕方がないんだ。他の女性と結婚したって、愛しているような振りしかできないだろうから」。
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