中国監視社会の恐るべき姿を見よ。日本の権力者に、この真似をさせてはならない。
- 2022年 12月 13日
- 評論・紹介・意見
- コロナ中国澤藤統一郎
(2022年12月12日)
江戸時代の農民一揆の多くは一定の成功を収めた。領主は一揆の要求を容れて事態を収拾せざるを得なかった。しかし、秩序を紊乱した者の罪を放置することはできず、首謀者は厳しく罰せられた。だから、一揆の指導者は自らの犠牲を覚悟して決起せざるを得なかった。それゆえ、数々の一揆伝説が生まれ、一揆の指導者は農民から尊敬された。
「白紙革命」と言わる中国の市民の動向。江戸時代の一揆衆に似ていなくもない。そして、中国共産党は、封建領主とその精神構造において瓜二つではないか。「民衆の不満を宥めて妥協しているようにみえる中国政府が、その一方で抗議活動への封じ込めには最先端の監視技術を駆使して弾圧している」と言うのだから。
頑なだった中国のゼロコロナ政策は、市民のデモの衝撃によって、大きく修正を余儀なくされた。これ以上の厳格な旧来の政策継続は、体制批判にまで進行する危険があると判断されたに違いない。習近平指導部の誤りを認めたとはいわないまま、民衆の要求を容れて事態の収拾が図られた。しかし、党の支配に抵抗して、秩序を紊乱したデモの参加者を許すわけにはいかない。しかも、恐るべきは、中国共産党が、ほぼ完璧といわれるレベルでのデモ参加者特定の技術と設備をもっているということである。いわゆる監視社会化である。
中国共産党は、人民管理の手法としての監視技術を発達させてきた。党指導部の言い分は、人民の幸福を最大限に確保するための監視社会である。「幸福な監視国家」で何が悪いと開き直って来ている。コロナ撲滅のための人民の監視と管理はその典型といってよい。人民にとって何が幸福かは党が決める。人民は、ありがたく賢い,党の指導に身を委ねておれば「幸福」なのだ。
ジョージ・オーウェルの『1984年』に描かれたデストピアが、既に中国で実現しているのではないか。市民のすべての行動は当局によって監視され、把握されている社会。その姿こそ、現代の中国ではないか。夢物語であった、デストピアが最先端のハイテク技術を駆使することによって、現実のものになっていると言われる。
中国の警察は世界で最も洗練された監視システムを構築し、しかも全国では2億台もの監視カメラが設置されているという。強力な顔認識ソフトウェアを開発し、地元市民を識別するようプログラムしていると報道されている。その監視技術が、いま大活躍と報じられている。
ニューヨークタイムズ外が、「中国の警察が電話機と顔写真を使って抗議者を追跡した方法」を報道している。抗議デモ参加者の多くは、目出し帽をかぶり、ゴーグルをつけて、あるいは服装を変えて、身を隠したつもりだった。が、それでも翌日から検挙されている。「警察は、顔認識や携帯電話、情報提供者を使って、デモに参加した人々を特定」したという。
デモ参加者の多くは、厳しい取り調べを受け、二度と抗議活動に参加しないようにと警告される。多くの人が、抗議活動の調整や海外への画像拡散に使われていたテレグラムのような外国のアプリを削除している。逮捕されたり、警察に声をかけられたりした後、多くのデモ参加者はVPN(仮想プライベートネットワーク)や、テレグラムやシグナルといった海外のアプリの利用を敬遠するようになった。
かつては、アメリカが「先進国」として、「今のアメリカの姿を見よ。これが明日の日本の姿だ」などといわれた。今、こう言わねばならない。
「恐るべき今の中国の監視社会化の姿を見よ。このままでは、これが明日の日本の姿になる。権力は民衆の一人ひとりの行動と思想までを把握したい衝動を持っているからだ。けっして、このような社会の到来を許してはならない」
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2022.12.12より許可を得て転載
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