別れと 新たな出会い
- 2022年 12月 16日
- 評論・紹介・意見
- 労働組合小原 紘戦争
韓国通信NO710
よくもまあ ぬけぬけと しゃあしゃあと
息を吐くように嘘をつく政治家たち。死んだ元首相はその典型的な人物だった。次の菅首相も、岸田現首相も、辞職した三閣僚も、退任を求められている閣僚もその類と言ってよい。「大丈夫かァ 日本」とついため息がでる。
最近逝った人たちがしきりに思い出される。エリート政治家とは無縁で真逆の人たち。同時代をともに生きた仲間が私に「よく生きろ!」と励ましているように感じる。
<忘れられない人>
喪中はがきのシーズン。亡くなった本人の家族からのはがきが多くなった。季節柄、イチョウや紅葉が目と体に沁みる。
昨年亡くなった仙台の私の従兄。2歳年上の彼は山を愛し囲碁がとても強い建築家だった。戦後、満州から引き揚げる帰路に母親を栄養失調で失った。歴史書をよく読み、たまに会うと戦争や政治について語って意気投合する仲だった。高校時代に登山仲間と野良犬を鍋にして食べた。飼い犬を思い出して泣いたという。やさしい兄のような存在だった。
80才になった途端、丈夫な体を誇っていた彼が大腸がんであっという間に亡くなった。コロナ渦のオリンピックのバカ騒ぎのさなか、病院は最後まで患者との面会を許さなかった。携帯電話だけが外界との唯一つながり。コロナと政治によって人のつながりが断ち切られた孤独死という思いが強い。
孤独死-もうひとりの友人
同じく2歳年上の職場の女性も忘れ難い。
動脈瘤剥離で2年近い闘病生活の末今年の夏に亡くなった。おしゃべり好きな彼女は最期まで昏睡状態のままだった。誰からも好かれる明るい人柄。組合の約半数を占める女性組合員の中心メンバーのひとりでムードメーカーでもあった。えくぼが可愛いい高卒出のお嬢さんが会社のイジメに鍛えられ、いつのまにかたくましい組合員に成長した。私が彼女知るようになったのは組合の差別撤回闘争を通してだった。
「母親の苦労を知ったら女性を差別できないはず」「女は三界に家なし」。彼女の抗議に人事担当常務は返す言葉を失った。「闘士」というイメージからはほど遠い笑顔がトレードマークだった。有言実行。闘争資金に社内預金のすべてをつぎ込んで皆を驚かせた。また、ほとんどの組合員がそうだったように彼女も転勤に次ぐ転勤を強いられた。職場での影響力を会社が恐れたからだ。
印象に残る事件があった。ボーナスの支給額が100円少ないからと受け取りを拒否した。職場の組合員は彼女一人だけ。書記長の私が加わり支店長と交渉をした。「たまたま100円少なくなった」と恐縮する支店長に彼女は一歩も引かずに女性差別に対する謝罪と支給の訂正を求めた。個人的に弁償するという支店長を断り、次回の支給時に穴埋めすることを約束させた。100円をそのままもらったら喜劇になるところだった。交渉経過は全職場に知れわたり他の支店長たちは首をすくめた。
最近職場の女性の均等処遇に関心が集まっているが、約50年も前の話だ。女性たちの頑張りで男女間の昇格、賃金格差はほとんど解消された。今から思うと奇跡のような話だが100人足らずの組合が日本橋の本店前に100日を超す座り込みと粘り強い交渉で勝ちとった成果だった。憲法と労働基準法を守れという主張を銀行は認めざるを得なかった。女性の管理職が続々と誕生し彼女も課長に昇格したのは言うまでもない。
最近、女性支店長、女性重役が脚光を浴びているが、彼女たちは所詮政府と企業の目玉商品みたいなもの。非正規雇用者に占める女性が多いことからもわかるように劣悪な労働条件と職場の男女差別は以前より一層深刻化している実態さえある。
彼女の笑顔を再び見ることはできない。だが、仲間とともに闘い抜いた彼女の人生は「誇り高き女性」として私たちに記憶されている。
「権利は勝ち取るもの」。日本信託銀行の労働組合員たちが苦労の末到達した確信である。「連合」初の女性会長となった芳野会長は大いに学んで欲しい。
<新たな出会い>
ぬけぬけ しゃあしゃあと生きるあの人たちと同時代に生きているのが恥ずかしい。「やられる前にやっつけろ」「先手必勝」は喧嘩の常道かも知れないが、平和憲法を持つ日本はここまで来た。先手であれ、後手であれ、戦争をしたらどうなるのか誰もがわかっている。これこそが憲法の神髄である。仮に防衛費を10倍に増やしても同じことだ。
12月3日、駅前で「戦争するな!」とプラカードを掲げていたら子供たちが話しかけてきた。「戦争はしてはいけない。日本は核武装してはだめ」と学校で習ったという。もっと話そうかと言うと、話しかけてきた子がうなずいた。
「おじさんも君たちと同じ年くらいの時に戦争が起きたら何もかもなくなると思った。周りの国々と仲良くしなければいけないのに戦争が起こりそうでとても心配」。後ろにいた子どもたちも聞き耳を立てている。中国、北朝鮮脅威論に振り回され、「ああでもないこうでもない」という大人たちにはない反応に感動した。「戦争のない平和な国を君たちに残したいと頑張っているけれど、君たちも関心を持ち続けて欲しい」。
土曜日の午後、部活帰りというジャージ姿の彼らは別れ際に「ありがとうございました」と頭を下げて立ち去った。高校生と思ったら地元の中学生だった。以前も高校生に「僕も同じ考えです」と声をかけられたことを思い出した。ビラ撒き、スピーカーを使った宣伝活動を考えたが、長続きさせるために横着してスタンディングを始めてから6年になる。毎月3日、一時間だけのアピール活動に頭を下げて通り過ぎる人。「がんばれ」と一言、手を振る人。「くだらない」と無視する人もいる。72回目のスタンディングの後半は地元「さよなら原発」の仲間と合流。1時間半の宣伝行動の疲れは若者たちとの話で吹き飛んだ。「変なオジサン」に話しかけるのは勇気がいるはず。未来への期待が持てそうな新たな出会いがあった。
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