2023年元旦にあたって プーチンの戦争は「プーチンの戦争」で終わらせよう 「リベラル21」編集委員会
- 2023年 1月 1日
- 時代をみる
- 「リベラル21」編集委員会2023田畑光永
われわれがこのブログ、「リベラル21」をスタートしたのは2007年3月であった。今年で16回目の新年を迎えたのだが、今年ほど重苦しい気分でこの日を迎えた記憶はない。
言うまでもなく、ウクライナにおける戦火の故である。この世界から戦火が完全に消えた日がこれまでにあったのかどうか、不勉強の私には分からないが、これほど理不尽な戦争もまた珍しいのではないかと思う。
すくなくとも第二次世界大戦が終わって以降、戦火は極力なくすべきもの、平和は守るべきもの、という原則が広く受け入れられてから、これほどあからさまに一国の指導者の個人的野望のために国家の武力(兵士も含めて)が正々堂々と消費され、それが外国の国民と国土に巨大な被害をもたらす様を、鮮明に、日常的に、長期間にわたって見続けた記憶はない。
いつまでウクライナの国民はこんな状況を耐えなければならないのか。人間は強いものが弱いものを征服し、支配し、生きるに必要なものを弱いものから奪うのを当然とする枠組から所詮抜けきれないものと諦めなければならないのか。人類は昔からそうであった、そして、これからもそうであろう、と。
しかし、今度の戦争を通じて、そうとも言い切れない事象も生まれた。西側諸国からのウクライナに対する武器援助である。武器援助そのものは別に珍しいことではないが、多くは予想される衝突にあらかじめ約束されていた援助(武器に止まらず兵士までも)が実施されたという例が多い。
今回は事態が発生してから、期せずして多くの国から援助が提供されたように見えた。「そんなことはない、今度の戦争で世界の武器メーカーや商人がどれほど儲けたか」、という陰謀論めいた反論があることは承知しているが、私には国によって差はあれ、「プーチンの暴虐は許せない、ウクライナを助けるべきだ」という人間の自然な感情が期せずして形になったのが今回の特徴で、これがあらかじめ想定されていたこととは思えない。
とすれば、これは世界史的に見て新しい事象ではないか。戦闘を部外者の目で見て、他国の民衆が一方を許せないと思い、その感情がいわゆる反戦運動の枠に止まらず、自国政府を動かして、あるいは政府がそれを背に受けて、被害国を助けるために武器を送るとなったことは画期的ではなかろうか。
これは軍事同盟とは違う。軍事同盟は諸国間の矛盾対立の絡み合いと、当事国間の「意思と能力」のありようを事前に計算した上で行動が予定されるのであるが、今回のウクライナ支援は違う。起きた事態に衝撃を受けた各国の国民感情に発した支援実現であったと思う。プーチンがうまくいくはずと読んだ設計図が大きく外れたのはまさにその故である。
私はこの経験をこれからの安全保障に生かすべきだと考える。従来の軍事同盟はおおむね仮想敵は決まっていて、接点で衝突が起こればほぼ自動的に発動される構造となっている。起こるべき多くの事態はあらかじめ想定されている。一方が事を起こそうと思えば、相手の反応も相当程度予想できるだろう。
しかし、今回の武器援助のようなことが普通のこととして定着すれば、開戦を決意する側は自らの戦争目的が無関係な国の民衆の支持が得られるか否かを考えなければならなくなる。これは大きなブレーキとなるはずだ。
私はウクライナ戦争に触発された日本の国防論議には大きな違和感を禁じえない。いつもそうなのだが防衛論議といえば、まず予算増額、防衛力増強、新兵器調達と話の行方は決まっている。この論理で行けば、武器が多ければ多いほど世界は平和になるということにならざるを得ない。軍縮は戦争を誘発する危険な仕業となる。おかしくないか。
今回のことで、私はこういう平和の仕組はどうだろうかと考えた。平和を望む国々で「武器相互支援同盟」を結ぶ。そして国力に応じて資金を拠出して武器を一定量確保する。必要な場合には同盟としてさらに調達する。
そして同盟加盟国が攻撃を受けた場合は勿論、同盟国以外でも理不尽な攻撃を受けた国から要請を受けた場合には武器を無償で必要なだけ支援する。
その場合、大事なことは最初に発砲した国には(たとえ同盟加盟国であろうと)武器は絶対に供与しないとまず決めておくことだ。武器の先制不使用を誓えない国はこの同盟に参加できないこととするのだ。
次に大事なのは、ある国から武器の供与を求められた場合、それに応ずるか否かはまず参加国がそれぞれ、国民投票もしくは議会での投票で決めることとする。戦争とか軍事力とかとなると、ともすれば専門家の前で素人は口がきけなくなる。しかし、戦争の性質を見抜く力は一般国民が持っていることをこの同盟は前提とする。加盟国の判断が分かれた場合は加盟国間で協議の上、対応を決める。
なぜこのような取り決めが必要かと言えば、戦争を起こす国は民主主義が機能していない場合が多いからだ。国の統一と安全のために独裁が必要だなどといった詭弁を弄する政権には、守ってくれる友邦はないことを明らかにする必要がある。
大きな問題は「国」という概念をどう扱うかである。分裂国家や政権が複数ある国家をどう扱うかは難問である。しかし、同時にそういう国こそ紛争発生の危険がある。慎重に粘り強く解決策を見つけるしかないが、そこではあくまで「武器先制不使用」を共通の拠り所として世界をつないでいくことはできないものであろうか。
「プーチンの戦争」を不名誉の代名詞と世界が公認し、こういう戦争を2度と起こさせないために知恵を絞らなければならない。
(1月2日、3日は休載とします。次回は1月4日となります)
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