ドイツ通信第197号 植民地主義と〈富の略奪〉――〈略奪文化財〉はどこに?
- 2023年 1月 25日
- 評論・紹介・意見
- T・K生
2022年のクリスマス直前、ドイツは植民地時代に略奪された〈ベナンのブロンズ〉をナイジェリアに返還しました。アフリカの植民地支配からここまで、時間は実に125年経過しています。返還された〈略奪文化財〉の数は20品で、ドイツ外相アナレナ・ベアボックと文化担当大臣クラウディア・ロス(両者とも緑の党)が、直接現地に赴き個人的に手渡しました。
これらは、1897年イギリスの略奪行為の後にドイツに売り渡された貴重な歴史的かつ文化的な芸術作品で、莫大な数におよぶ全〈略奪文化財〉のほんの一部にすぎませんが、しかし、ヨーロッパ帝国主義諸国とアフリカ植民地政策へ学術的、そして根本的な批判作業が今回の返還を可能にしました。これで幕引きされることはなく、さらに世界的に取り組まれていく第一歩を示したことになります。
帝国主義による〈富の略奪〉の実態は、ISテロ攻撃を受け、難民の波に見舞われていたフランスのマルセーユに行った2016年に見ることができました。
そのとき、マルセーユでは「Made in Algeria Genealogy of a Territory」と題する展示が行われていて、フランスの植民地主義とアルジェリア難民・移民問題への歴史批判的な取り組みが始まっていることを知ることができました。
古い記録フィルムでは、アルジェリアからマルセーユに船一杯運ばれてくる農・海産物、そして華やかなパリでは、われ先にとそれを買い求めるフランス人の姿が映し出されていました。オリエンタルな貴重品への興味も尽きなかったでしょう。
そして次に来るのは、アフリカ観光です。フランス人―キリスト教の「白人」が、イスラム教の「有色人種」をどんな思いで見つめていたかは、その眼差しと振る舞いから見て取れるところです。フィルムを見ながら〈奇異と好奇〉という言葉が思い浮かんできました。
では他方で、アルジェリアでは何がその時進行していたのかということです。疲弊困憊し痩せはてたアルジェリア農民と市民の姿が映し出されています。自分の手で長い時間をかけ育ててきた食料品が、宗主国フランスに持ち出されていき、アルジェリアの市場には何も残されていません。アルジェリア市民、農民そして漁民は生産しながら、手元には何の収穫も得ることはできないのです。貧困と飢餓のなかに取り残されました。
フランス産業の発展とともに、アルジェリア市民、特に青年たちは「安い労働力」としてフランスに職を求めて海を渡ります。彼たちも「商品」の一部になります。
しかし70年代の石油危機を契機に80年代、90年代になるとフランス産業(といわずヨーロッパ)が衰退過程に入り、社会分裂・対立が顕在化することによって、今度は移民が祖国への送還を強制されることになります。その時彼らの居場所は、はたしてフランス(ヨーロッパ)か、アルジェリアか?
これが現在の移民、難民問題の始まりだと、私は理解しています。
これを見たとき、〈富の略奪〉という意味を現実に知らされることになりました。確かに、レーニンの「帝国主義論」から資本の蓄積と領土分割、そして「戦争から革命へ」の道筋を、さらに「民族自決論」で「民族解放」の論理を学ぶことはできました。が、その議論についていけないもどかしさが、個人的には残っていました。もっとも、それほど集中して勉強したわけでもないから当然ですが。
今思うに、それらの理論をつなぐ帝国主義間および内部の人々の存在だけではなく、そこで流動し交叉する人々の実際の姿が見られず、それによって帝国主義の実態が現実的に把握できなかったからだと思われるのです。
私には、〈高尚すぎる〉議論でした。
2019年「ワイマール100周年」展示を見にベルリンに行ったとき、別の美術館で「略奪文化財」に関する展示も同時に行われていて、それも見てきました。
当時、ベルリンでは元のDDR(旧東ドイツ)人民会議のあった建物跡に「フンボルト・フォーラム」美術館の建設が進められていて、それと並行してドイツでの「略奪文化財」議論が行われていました。しかし、私の印象では新聞、雑誌等文化面での限られた範囲ではなかったかと思われます。「返還」をめぐる難解な議論でした。
その後2021年のクリスマス休日に、コロナ禍で委縮しないために社会的な活動を求めてフランクフルトの「ドイツ・ユダヤ博物館」で行われているガイドに参加し、翌日、小さい博物館で「略奪文化財」の展示を見る機会がありました。
入り口を入った正面の壁に、Nana Oforiatta Ayimの名前で以下のような文章が書かれたポスターが貼ってあります。
私が考えるに、西側世界で行われている全議論――われわれは、誰に作品を返還すべきかわからない――は、君らとは何の関係もない。それは、君らの責任ではない。作品をその国――責任ある人たちがその国々の指導者として選ばれた国――にこそ返還すべきである。そして、その国々に自分たちで決めさせればいい。
いつ読んでも、簡潔明解な言葉です。
2022年7月と10月に再度、開館されたベルリンの「フンボルト・フォーラム」を訪れ「略奪文化財」を見て、その数の多さにあらためて驚かされました。
これが、私が直接「略奪文化財」に接した機会でした。作品群の世界とその歴史的経過は理解できました。その「返還」の意味と意義について現実的な説明を受けたのは、フランスで20年近くこのテーマに携わってきた美術史学者の話を聞いたときからです。
カッセルには「理性のグラス」(Das Glas der Vernunft)という名の市民賞があります。受賞盾がガラスからできていることから、このように名付けられています。
市民賞の趣旨は、
精神の自由、イデオロギー的な制限の克服、民主主義及び意見を異にする人たちに対する寛容が自由、人間性そして平和を実現する社会形態の前提条件にならなければならない。
と結ばれています。差別、人権、公正そして自由のために闘う人たちが毎年受賞しています。その一人に(元CIA職員の)スノーデンもいますが、本人不在の受賞になりました。昨年は、植民地主義の歴史と〈奪略文化財〉の研究のみならず、その返還を実践的に主張してきたフランスの美術史学者(Benedicte Savoy)が受賞することになりました。
授賞式は2022年10月9日に行われました。会員の一人が出席できないというので、私たちが代理人で参加することができたことは幸いという他はありません。こんな機会は、滅多にないことですから。
まず、劇場の大スクリーンにビデオが流され、フランスだったと思いますが、数人の若者たちが美術館に展示してある〈略奪文化財〉を盗み取り、元の国に持ち帰り、そこで地元の人たちに手渡し歓談している姿が映し出されていました。「すげーな!」と思うばかりです。そんな情景が、次々にいくつも出てきます。
次に二人のジャーナリストが、彼女の業績を讃え、その人柄について話します。しかし、私には研究活動の意義が伝わってきません。それが長々と続きます。「いい加減に切り上げて、本人に話をさせろ!」と痺れを切らしていました。
やっとのこと、彼女のスピーチが始まります。
「グラス」というので、ワイン・グラスかなと思ったと切り出し、片手で一杯飲むそぶりを見せ、それから以下の様に続けます。
「昨日はマンガ・メッセ(毎年この時期に開かれています―筆者注)にたくさんの若い人たちがカッセルに集まり、楽しんでいる姿を見ました。しかし、私たちは学校の生徒たちと意見を交わし討論していました。」
続いて受賞のお礼を述べ、それでスピーチは終わりました。
何かもっと難しい話をするのかなと身構えていた私は、不意を突かれた思いでしたが、ここに彼女の真意が現われているのではないかと思われました。
〈若い世代、特にアフリカの若い世代への教育と社会参加〉と要約できるでしょうか。マンガに群がる若者たちを揶揄しているわけでは決してありません。若者たちのアイデンティティの形成がどこで行われていくのかという問題提起です。彼女の若者たちを見る目の温かさが伝わってきます。以下に、彼女が共著で出版した本(注)からその意味を考えていきます。
(注) Zurueckgeben. Ueber die Restitution afrikanischer kulturgueter
von Felwine Sarr, Benedicte Savoy Matthes&Seitz Berlin
2017年11月28日、フランス大統領マクロンはブルキナ・ファソの首都ワガドゥグーのワガ大学で、講堂にあふれる学生、教授、大統領を前にして、「5年以内にフランスは、アフリカの遺産が一時、あるいは最終的にアフリカに返還される条件を作り上げる」と発言したことを受けて、2018年3月、美術史研究者グループにその件の調査依頼が出され、同年11月報告書がマクロンの手に渡されました。出版された本は、その報告書をまとめたものです。
調査の重点はサハラ砂漠の南部に置かれ、この地域が忘れられた歴史の特徴的なケースだと指摘されています。該当する国はベナン、セネガル、マリ、カメルーンが挙げられています。
2018年はフランスの大統領選挙年に当たっていました。選挙戦の数か月前にマクロンは、
1.アルジェの植民地化は人道に反する犯罪で
2.植民地化はフランスの歴史の一部である
と、これまで誰もいえなかったことを明言しました。
1789年そして1871年とフランスは輝かしい革命の歴史を刻み込んできました。しかし、その背後で進行する植民地主義の歴史は、第一次世界大戦そして第二次世界大戦での帝国主義間戦争、反ナチ・ドイツに対する闘争で密閉され影の部分におかれてきました。
フランス革命の歴史は単なる拘束された古い政治支配からの社会の解放ではなく、権力のみならず文化遺産のパリへの中央集権化にあったことが、〈略奪文化財〉の歴史から知ることができます。この点で、イギリス、ベルギー、ドイツ、イタリアと区別されると報告書は言います。フランスは中央集権化では「超」がつくといわれます。
帝国主義の植民地支配の特徴をポイント的に挙げれば、
・調査団あるいは探検隊の派遣
・土地測量からの領土占拠
・軍事による暴力支配
・人質確保
・反対派、そしてインテリの収容と追放
一言でいえば「敵の非人間化」が進められたところで〈富の略奪〉が行われていく経過は、マルセーユの展示にも見られるところです。
この政治・社会条件の下で、西側世界が文化を「発見」し、それを「保護」することになります。報告書の表現を使えば、「野蛮の文明化」が起きます。
その精神的支柱を果たしたのがカトリック、プロテスタントのキリスト教でした。1925年バチカンで「布教展示」が行われ、「自然と文化財は切り離せない」とアフリカの儀式に使われる文化財を集め、布教博物館に納めたといいます。
また人類学、比較民族学の果たした役割も見逃せず、1975年に「暴力(装置―筆者注)中央の娘であった」と学会自身に言わしめています。
60年代には各国の民族解放闘争によって帝国主義の植民地支配に終止符が打たれましたが、今日までの課題は、果たしてそれによって何が変わり、被植民地諸国の現状は?そして将来は?という点に向けられていきます。
ここで〈略奪文化財〉が、大きな意味を持ってきます。
ヨーロッパの博物館に展示されているアフリカからの文化財を一括して分類すれば、宗教儀式、祭典、スピリチュアル、創造、音楽、そして衣服、装飾を含め日常生活等で使用されていた共同社会の財産といえるものです。
何百年もかけ世代から世代に引き継がれてきました。これは何もアフリカに限らず、どこの国でも同じです。それによって過去を知りながら、新しい時代の文化を育ててきました。それはまた、一つの教育過程でもあったでしょう。文化はこうしてその国の住民と結びついています。国民のアイデンティティといっていいでしょう。
略奪によってその過去が奪われていき、新しい世代の将来が不可能になります。
確かに人から人を通して過去は伝えられていきます。しかし、その文化を実践する手段を喪失してしまっているのです。それが、現在の問題です。
この状態を報告書は、「記憶の没収」と表現します。アフリカ大陸の住民の60%が20歳以下の年齢層といわれ、彼(女)たちの成長過程に必要な自国文化の再獲得が求められる所以です。
したがって〈略奪文化財の返還〉とは、アフリカ住民が没収された記憶を取り戻し再生していくために不可欠な帝国主義の謝罪行為と言わなければならないでしょう。
もう一つの点は、文化財の持っている影響範囲は、現在の国境ではとらえきれないということです。現在の不自然な国境は、植民地時代の暴力的な領土分割の名残であり、文化財的な観点から見れば、新しい国境の取り決めが必要になってきます。
それが可能かどうかは別にして、アフリカの現国境を超える新たな地域関係が形成されることを、帝国主義諸国は謝罪と補償によって援助していかなければならないでしょう。
2017年12月、40のアフリカ在外組織が共同で当時のドイツ首相メルケル(CDU)に、マクロンのイニシアチブに応えるべく公開の手紙を出しますが、「回答なし」の状態だといいます。
一方で、1994年当時のドイツ首相コール(CDU)は、第二次世界大戦でナチ・ドイツが略奪した27のフランス絵画をミッテラン大統領に返還しています。
ドイツの差別的な「ダブル・モラル」は、ここにも見られます。
さて、ここで先に取り上げた最初のニュースに戻ります。
ナイジェリアに返還された、所謂「ベインのブロンズ」の大半は16世紀以降国王宮殿を飾っていた文化財です。返還のモラル的な意味は理解されるのですが、その歴史的な背景となると、ベインが現在属するナイジェリアに返還されることが妥当かどうかに議論が別れてきます。
何故なら、ベイン王国は帝国主義の植民地以前に奴隷売買で富をなしてきた経緯があるからです。12―15世紀は別として、16世紀以降となると「ベインのブロンズ」は「血の金属」と奴隷犠牲者の末裔の間で語られるようになりました。
ブロンズには無慈悲な奴隷売買者による犠牲者の血が塗りこめられていると言う批判は、既にニューヨークの「返還研究グループ」(Restitution Study Group)から問題提起が行われていましたが、ドイツにはその声が届いていなかったといわれます。
「ベインのブロンズ」の歴史的意味は、従ってベイン王国が単に(帝国主義による―筆者注)殺人的な略奪の犠牲者ではなく、西アフリカから奴隷売買をビジネス・モデルとして築き上げてきた人道に反する犯罪の受益者であったという別の側面が顧みられなければならないことになります。(注)
(注)Frankfurter Rundschau Donnerstag,12.Januar 2023
Die Rueckgabe von Raubkunst und das boese Wort Doppelmoral von Harry Nutt
スイスの比較民族学者(Brigitta Hauser-Schaeblin)は、モラルを動機として驚くべきスピードで進められる返還行為への疑問を呈します。
非歴史的に行き過ぎた過剰なモラルに基づく責任告白によって、被植民地化以前の残虐行為と人権違反から眼をそらしてはならないことを訴えます。
最後に今回の決定には、現在のエネルギー問題との関連で、ナイジェリアへのドイツの経済利害が大きな比重を占めたのではないかという憶測も成り立ちます。政治的に不安定にもかかわらず豊富な地下埋蔵資源(地下ガス)を保有するナイジェリアとの将来を見越した経済関係をつくり上げることです。
こうして、「ベニンのブロンズ」返還という素晴らしいい話しの背後で、いつものように悪意に満ちた言葉―「ダブル・モラル」が登場することになります。(注)
(注) 同上
以上、私から言えることは限られています。今後は美術史研究者をはじめさまざまな各分野での専門的な取り組みが活発になっていくことでしょうから、それに注目していきます。
(つづく)
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/
〔opinion12765:230125〕
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