福島の現実―中手聖一さんのお話から
- 2011年 8月 4日
- 交流の広場
- 松元保昭
福岡の青柳さんの投稿から、福島の現実を紹介させていただきます。
「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の中手聖一さんの話を要約したものだそうです。
●子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク
http://kofdomofukushima.at.webry.info/
=====以下転載=====
筑紫建彦(福島原発事故緊急会議・憲法を生かす会)さんから:
福島の子どもたちの避難問題でインタビュー
[この報告は2011年7月25日、福島市庭坂の果樹園の一隅にある「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の事務所で、代表の中手聖一さんに聞いた話を要約したものです。]
<福島ネットワークの活動状況>
3月末に学校の測定を始めた時、メンバーは3人だった(危険を知る脱原発派の多くは、いち早く県外に避難。自分も子どもを岡山に疎開させた)。学校の測定で76%が管理区域(と同じ)と判明し、4月の文科省の「20mSv」問題で自主避難の動きが大きくなった。
250人で5月1日に福島ネットワークを立ち上げたとき、当初は変人扱いされたが、不安が広がるにつれ仲間も増えていった。避難相談では、5月中はローン問題や家族間の意見の不一致などの調整とともに、避難受け入れ先とのマッチングも行おうとした。
しかし、6月に入ると万単位の避難者見込みとなり、マッチング活動をするのは不可能になった。このため(避難受け入れ先の)情報提供までとし、あとは自分たちで連絡を取り相手と相談するようにしてもらっている。(計画的避難区域以外からの)自主避難は、3万5000人と報道されたが、実際は4万人を超えていると思われる。
初め、子どもの避難・疎開は「夏休みがピーク」と思っていた。これは当たっていたが、7月になって「このままではまずい」と初めて気がついた人たちが多くなった。そこで、とりあえず夏休みだけでも乗り切ろうと、「今年だけでも親子で動いて」と要請している。2学期以降、また相談が増えると思う。次の移動のピークは来年3月の年度末に来るのではないか。
県外からのボランティアの申し出はないわけではないが、地元の親たちの相談に応じるには、被災・被ばくの経験や地元事情の理解などが重要なので、相談活動では地元に残っている人や自主避難したメンバーで担っている。県外の人には、むしろ各地で子どもたちの受け入れ先でスタッフとして働いてもらった方がいいと思う。
<行政・議員の対応>
強制的避難でコミュニティが崩壊することに抵抗が強い。(避難に伴う)補償問題もあり、国には避難区域を拡大させたくないという姿勢がある。
地元自治体は避難に反対だ。理由は「住民がいなくなる」から。除染は「国任せでなく自治体もやる」とは言うが、避難には反対。ところが「市長自身はいち早く避難した!」と噂された市も出た。各政党の自治体議員たちも避難問題は口にしない。革新候補も「除染」を掲げるところまで。情けない限りだ。
<教育委員会>
教師への締め付けが厳しい。生徒にマスク着用を勧めただけで、不適切と「指導」が行われ、辞める教師も出た。修学旅行バスの表示にも市町村名は書かず、「〇〇小学校」とだけ書くようにさせ、子どもたちには「福島から来たと言うな」と指示したところがある。福島人であることを恥と感じさせるような教育でなく、差別があればそれに立ち向かえる子どもにしていくのが大人の責任ではないか。
行政・教育委員会は、避難を妨害して被ばくを拡大させる結果になっている。中体連、高体連は県内での大会開催を決定し、部活を再開させた。生徒たちは(放射能の)砂まみれになる。
<医者>
山下俊一氏の福島県立医大副学長就任が象徴するように、県内の医療界からは誰も異論を出さない状況だ(自分の子どもだけは県外に脱出させている医師が多数いる)。ドイツの場合、医療は家庭医制度のせいもあり、医師たちは脱原発の先頭に立った。福島に(良心的な)医者がほしい。病院を作ることを真剣に考えるが、困難も大きいだろう。
<メディア>
地元メディアは当初、何も載せず、記者は原稿を書くが「不安を煽る」と没にされた。福島ネットへの取材は海外メディアが圧倒的に多かった。最近は、両論併記の形で工夫すれば載るようにもなってきたので、記者たちも「何かあれば知らせて」と言う。しかし、避難問題は相変わらずダメで、福島ネットのメンバーの名前は全国紙などには載るが地元紙には載らない。
<労働組合>
「脱原発」「除染」までは打ち出すが、「避難」は出さない。教組の郡山支部が例外的に頑張っているぐらいだ。もちろん個々に意思を持って動こうとしている教師たちはいる。
[註:これらから、住民の避難に対する「エリートの恐怖心」とも言うべき構造が浮き彫りになる。]
<内部被ばく>
福島だけでなく日本中に放射能汚染が広がっており、北海道でも0・1μSv/hが出始めている。これから私たちは、いやおうなく放射能汚染の中で生活せざるをえない。その中で、子どもに放射能の少ない食糧をどう与えるかが重要だ。学校給食制度には問題もあるが、こうなっては給食の仕組みを最大限活用すべきだと思う。「今日の給食は〇〇ベクレルでした。明日はもっと減らす新たな工夫をしましょう」という社会になるしかない。
<サテライト疎開の提起>
選択的避難のあり方でも、「サテライト疎開」を提起したい。これは学校を核にして、たとえば札幌や広島に「分校」を設け、寄宿舎を作ってもらい、あるいは家族は借り上げ住宅に住み、「福島人」として暮らす。市町村も「分所」を設け、行政サービスも「〇〇市から」として継続する。住民税も「〇〇市」に払い、有権者も「〇〇市民」として存続する。数年~十数年のちに除染が進めば故郷に戻ってくることが前提だが、戻るかどうかも自己選択とする。
学校以外でも、障がい者自主生活センターや「子ども福島」の支部を核としたサテライト疎開も考えられよう。
<「子どもに疎開を!」の国民運動>
私たちが声をあげず、動かないなら、国も自治体も子どもの避難には動かないことがはっきりした。声を上げることによって各自治体が動き、国も費用を出すという状況にしていく以外にない。
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